ほめられる大切さ、ほめる大切さ

ゴスペルシンガー、NHKゆかいなコンサート元歌のお姉さん

森 祐理

1、はじめに

本日は、VIP大阪にお招きいただき、このような素晴らしい一時を与えていただきましたことを心から感謝しています。VIPクラブではビジネスマンの方々がお話されるのが通例ですが、私のような若輩の歌い手がここでお話させていただけることを心から感謝しています。

普段は衣装を着て、歌いながら登場するのですが、今日は講演で、お話だけということなので、かえって緊張してドキドキしています。でもコンサートではお話できないことを話させていただければと思い、私自身とても楽しみにしてまいりました。どうか短い時間ですが、お耳を傾けていただければと思います。

2、母の祈り

現在私は、年間100回〜120回ぐらい、日本各地や世界中で歌わせていただく日々を過ごしています。しかし、音楽家の家に生まれたわけでも、両親が音楽に秀でていたわけでもありません。ごく普通の家庭に生まれ、父は「妻をめとらば才長けて」と、これ1曲しか歌いませんし、母はとても良い声なのですが、ある理由があり、絶対に人前では歌わないのです。それは、母が学生の頃、音楽の試験で『冬景色』という歌を歌わなければならない時に起こりました。「さぎりきゆる港への」という部分の音程がとれず、何度も何度も人前でやり直させられ、最後に音楽の先生から、「あんた音痴ね」と言われてしまったのです。そのことが母の心の傷になり、歌が大好きなのに「私は音痴だ」と思い、人前で絶対に歌えなくなってしまいました。

このようなことがあり、母は余計に歌に対する憧れが人一倍強くなったそうです。その当時、母はクリスチャンではありませんでしたが、子供を授かる前から、「どうか歌の上手な女の子が生まれますように」と祈り続けていたそうです。私が足りないながらも音楽の仕事をさせていただいているということは、「母の祈りを神様が聞いて下さったからかな」と思わされています。

3、祖母の特訓

そんな母の祈りと共に私は生まれましたが、別に天才少女だったわけでもなく、ピアノを習い始めたのも小学校に入ってからのことです。私には3人姉妹の従姉妹がいるのですが、私が歌を始めたきっかけの一つに、その従姉妹たちが合唱団に入ったことがあると思います。有名な合唱団で、コンサートを見に行った時に「いいな」と思ったのですが、口に出して言うことができず、私は一人公園で歌っていました。

当時、祖母がよく私の相手をしてくれていたのですが、その祖母が、ある時公園に来て、「祐理、そんなんやったら、合唱団の子供らに負けるよ。腹にもっと力を入れて歌わなあかん」と言うのです。とても賢く厳しい祖母だったんです。その日から、「口を大きく開けて」などと言って、毎日歌の特訓をさせられました。

 

4、音楽の先生にほめられて

その特訓の成果は如何に?と思い、次の音楽の授業の時に、先生に「歌を練習して来たから聞いて下さい」と言って歌いました。歌い終わったら先生が、「いやあ、祐理ちゃんってそんないい声で歌えたの、すごいね」と、とてもほめられたのです。そのことが嬉しくて、一生懸命練習し始め、公園で毎日毎日歌いました。そうしたら歌の試験の時に、「森祐理ちゃんが歌うから」とみんなが聴きに来てくれるようになりました。

ある時、日曜参観で音楽の授業があり、その時に「5年1組の祐理ちゃんが歌うから」と言って、違う教室の生徒や父兄がいっぱい聴きに来てくれたのです。その時はあまり緊張せずに歌え、とても気持ちが良かったことを覚えています。ほめられると益々私は木に登るんですね。特に子供は素直ですから、ほめられることがとても大きな力になると思います。とうとう、朝礼にて全校生徒の前で歌わせていただき、その時から、歌というものが私にとって特別なものとなりました。

5、声楽を習い始める

毎日毎日、公園で歌っていた小学5年生の終わり頃、一人のご婦人が通りかかり、「あなたね、毎日大きな声で歌っているのは。私は、ピアノを教えているの。そんなに歌が好きなら、歌の先生を紹介してあげるから来なさい」と声をかけられ、声楽を習い始めました。声楽のレッスンを1対1で習い始めたのですが、レッスンを5年生、6年生、中学1年生と続けていくうちに、「歌が好きだ好きだ」というだけでは次第に済まなくなってきました。

教則本や課題曲があり、だんだんしんどくなっていきましたが、そんな中で私の大きな支えとなってくれたのが母でした。私が歌の練習をしていると、近くに来て、「祐理、悪いんだけど、これちょっと歌ってくれない。お母さん、この歌大好きなの」と歌集を見せるのです。母は、少女時代に自分が歌いたかった歌を私に歌わせ、音痴だというので絶対歌えなかったというその夢を私に託したのでしょう。

6、母にほめられて

『桜貝の歌』、『初恋』、『石川啄木』や『小諸なる古城のほとり』などが、母の大好きな曲でした。私は一生懸命歌うのですが、まだ12、3歳の女の子なので、初恋の思いや、「小諸なる古城のほとりであの人を思う」という感情が入らなくて、全然うまく歌えないのです。

自分でピアノを弾きながら歌うのですが、ある時、自分でも「あまり上手じゃないな」と思って、歌いながらふっと後ろを振り向きました。母は洗濯物をたたみながら聞いてくれていたのですが、洗濯物をたたむ手を止めているのです。「ああ、やっぱり良くないのかな」と思ったら、実は母は泣いていたのです。「どうしたの、お母さん?」。何か悪いことをしたかと思い、聞いてみると、「祐理の歌、いいわぁ」と言いながら泣くのです。

お世辞にも上手とは言えない歌を、あんなに涙をこぼしながら「いいわ、いいわぁ」と聴いてくれる母の言葉。私は、母がお世辞抜きに心からほめてくれるその姿に、本当に力を得たのです。もしその言葉がなかったら、私は今頃歌ってなかったでしょう。

音程感覚も良くなく、欠点もいっぱいあります。しかし、そういったものを全て通り越して、いつでも歌う度に、「これが聞きたかったのよ。お母さんの少女時代のこの歌がね、祐理によって再現されたわ。」などと言われると、だんだん私もうれしくなって、もっともっと歌いたくなるのです。本当に「ほめるって大切なことだな」と思わされます。

7、マケリゴット先生の体験

私が以前所属していた教会に、マケリゴットという牧師がいらっしゃいました。その先生がお話くださったことが忘れられません。

先生には3人のお嬢さんがおられ、そのお嬢さんたちのために、ピアノを買ってあげたかったのですが、貧しくてお金がありませんでした。しかし「ダディ、ピアノ買って、ピアノ買って」とせがまれ、先生はがんばって貯金をし、ようやくピアノを買ったそうです。最初の内は、3人の子供たちは取り合いをして、ピアノを一生懸命弾いていましたが、6ヶ月ぐらい経過したら飽きてきて、ピアノを全然弾かなくなってしまいました。

「あんなに苦労してお金を貯めて買ったのに」と腹立たしく思い、「ジョイ、練習しなさい」、「お父さんは何のためにピアノを買ったんだ」と子供たちを叱ったそうです。しかし、怒れば怒るほど、「お父さん、私勉強があるの」、「約束があるの」と、子供たちは余計に弾かなくなっていきました。

ある日先生は、牧会や人間関係に疲れ果てて帰宅し、「聖書も読みたくない」、「ご飯も食べたくない」、「何もしたくない」という状態でした。「ジョイ、お父さんは本当に疲れている。だから悪いけど、ピアノを弾いてくれないか?」と頼むと、ジョイは珍しく「いいよ」と言って弾いてくれたそうです。先生は、「お父さん本当にホッとしたよ、ありがとう」とお礼を言いました。

翌日、先生が帰宅すると、玄関でジョイが待っていて、「お父さん、今日ね、お父さんのためにピアノ弾いてあげるから聴いて」と言ってきました。そして、弾き終わってから、「お父さん、疲れ取れた?」と聞いてくるのです。「取れた、取れた」と先生が喜んで答えると、それから毎日毎日、3人の子供たちは率先してピアノを弾くようになったのだそうです。

「お父さんの役に立っている」という思い、「ジョイのピアノで慰められた」というほめる言葉、それが頑としてピアノを弾かなくなった子供たちの心を変えたのだ、と先生はおっしゃっていました。小さな言葉でも、ほめる言葉は大きな励ましにつながると、先生のお話を聞きながら、私は昔の母のことを思い出しました。

8、小浜ワカエ先生に声楽を習う

さて時間を戻しまして、私が中学2年生の時のことです。私は小さい頃からバレエを習っていて、「大人になったら、宝塚歌劇団に入りたい」という夢を持った女の子でした。

「求めよ、さらば与えられん」で、中学2年生の時に、宝塚歌劇団の大御所と言われる、小浜ワカエ先生に声楽を習うことになりました。小浜先生は、鳳蘭、大地真央、昔で言えば春日八千代、八千草薫ら大スターをはじめ、宝塚歌劇団で多くのタカラジェンヌ達に声楽を指導された先生でした。池田市の豪邸に住み、太っていて、たくさんのアクセサリーを身につけ、「私はね、象さんなのよ。オホホホ」という感じの豪快な先生でした。先生の所には、宝塚のスターの方々が大勢来られていました。

私は1人中学生ですから、セーラー服を着て、おさげで、重い学生カバンをさげて稽古に通いました。その先生には、とてもよくしていただきました。最初に会った時に、「あなた、お顔はいいわね。お目目もいいわね。輪郭も大丈夫ね。それでもちょっと背が低いわね。男役は無理だから、そうね、女役にしても、今黒木瞳でも160あるから…」などと言われましたが、それでもレッスンに通い続けました。

9、小浜先生にほめられて

先生は、ある時私を呼んで、「祐理さん、宝塚は花火のような世界です。あなたは私のようにおなりなさい」とおっしゃいました。先生は東京芸大を出られ、82歳でありながら現役で歌っておられました。「若い時だけでなく、一生歌えるように歌の道を進みなさい。あなたにはそれができます」との言葉にとても感動したのです。そして、あれだけ「宝塚命」だったにもかかわらず、進路変更を致しまして、「目指せ芸大」になりました。

10、加藤恵美子先生との出会い

そのために紹介されたのが、加藤恵美子先生です。これが、私の生涯最高の出会いとなりました。未だにあのような恩師との出会いはありません。加藤先生は、小浜先生の娘さんで、当時55歳で私の母と同い年でした。

加藤先生は、本当に恐い先生でした。「姿勢を正し、4本の指は揃えて、角度45度で挨拶する」など、礼儀作法、挨拶の仕方、言葉使い、電話の受け取り方、食事の仕方、洋服の着方、下着の着方まで全部教えられました。その先生に、一から声楽をたたき直されました。

全国で国公立の芸大は、東京芸大、京都芸大、愛知県芸の3校だけです。東京芸大を希望しましたが、「ひとり娘なので京都芸大にしなさい」と言われ、京都芸大を受験することにしました。京都芸大は、60名の枠の中にピアノ科、バイオリン科等いろいろあり、声楽科は10人強という狭き門です。加藤先生について、私は猛特訓をしました。堺東にある泉陽高校で高校時代を過ごしたのですが、学校から千里中央にある先生の家まで、週に3回、差し迫ってからはほとんど毎日通い続けました。

11、叱る言葉の中のほめ言葉

「違う、違う、もう1回」とコーリュウブンゲン、魔の68番。私は一生忘れられません。68番がどうしても歌えなくて、本当に大変でした。でも、先生にどんなに怒られ怒鳴られても、私は嬉しかったのです。ですから、くらいついて、毎日先生の所に通いました。

何故かというと、先生の叱る言葉の中には愛がありました。そして、私に対する期待がありました。先生がご自分の人生をかけて教えてくれているということを、本当に感じました。「今でも、祐理ちゃんみたいな生徒は2度と現れない」と言ってくれます。「ほめる」という言葉は、口先だけではない。叱る言葉の中にも、本物の期待や愛がある時に、ほめられているように受け取ることができます。その時の私がそうでした。人間は心の中にあることを直感的にキャッチできるのですね。母のわかりやすい温かなほめ言葉、そして加藤先生の厳しいほめ言葉、私には、どちらもなくてはならない今の私を形作っているものだと心から思います。

12、歌恐怖症になる

猛特訓の甲斐があり、京都芸大に無事合格しました。その頃の私は、中学・高校の卒業文集に「私の将来ー国際オペラ歌手」と書いていました。偉い先生方からも「天使の声」と言われ、毎日音楽コンクール等に特別に呼び出されたりして、そうなれると信じていました。

ところが、大学に入った後に試練がやってまいりました。大学の教授が男性だったのです。声楽は体が楽器ですので、男性と女性では楽器の種類が違います。バイオリンなのに、チェロの先生に習っているようなものです。レッスンを受ければ受ける程、こんがらがり、全くわからなくなっていきました。音程もオクターブ、倍音も違いますし、体の厚みや声帯も男性と女性とでは全く違います。女性の声楽は、胸で響かせることをしません。私はだんだん、歌恐怖症になっていきました。

祖母に「声を出して」と言われてから大学に入るまで、「歌が恐い」などと思ったことは一度もありませんでした。朝礼で教育委員会の人がずらっと並んだ前で歌っても、全く恐くなかったのです。ところが、その男性教授が悪いわけでは決してないのですが、私は歌恐怖症、特に高音恐怖症になってしまったのです。

レッスンで「恐い」と思ったら、それが伝わり、先生もイライラされます。そして、煙草を吸いながら、「あなたね、何やっているんですか。音楽止めますか?」とまで言われてしまいました。門下生の中には、石を握りしめて海に飛び込んだ方もいらっしゃるくらい、とても恐い先生でした。加藤先生の恐さとは質が違いました。今では、教授のおっしゃったことを「その通り」だと頷かされるのですが、当時の私にはそれを理解する力がありませんでした。

加藤先生のように、1対1で命がけで教えてくれるのではなく、何十人もいる生徒の中で、月曜日の何時から何時までが私の時間というように、大勢の中の1人として機械的に取り扱われていくような感じを受けました。つまり、「私はあまり期待されていない」という感覚が、私にとっては、大きな傷、恐怖となっていったのです。

13、信じ、期待される幸い

その辛い中で私を支えて下さったのが、加藤先生でした。先生は、私が芸大の試験に受かった時、「自分の役割は終わりました。大学に入ったら、私からは一切あなたに電話しません。手紙も書きません。あなたは大学の先生に従いなさい」とおっしゃっていました。しかし、私は行き詰まり、大学3年生の時に先生の所に行って、「先生、私、もう歌えません。」と泣き崩れました。

先生は、それでも「あなたならできるわよ」と私をほめ続け、信じ、期待し、蔭ながら支え続けてくれました。先生がいらっしゃらなかったら、今の私はありませんでした。私だけでなくどんな人でも、自分に期待してくれている、信じてくれている人がいるということは、大きな成功の鍵になると心から思います。

14、愛はすべてを期待する

ここで、『愛はすべてを期待する』という本を読ませていただきます。エリザベス・バレットという詩人をご存知でしょうか? 11人兄弟の中で、暴君のような父親に押さえつけられて育ち、病気がちで、家で寝たり起きたりの生活を繰り返していました。ところがエリザベスが40歳の時に、ブラウニングの詩を読み、感動し、彼へ手紙を書いたのです。そして2人は出会い、互いに心をときめかせました。ブラウニングは、エリザベスのことを「病身で年増のオールドミス」とは思わず、「無限の可能性を秘めている才能豊かな人。真っ暗な部屋から太陽の輝く戸外へ歩み出したいと待ち焦がれているような女性」だと思いました。

ブラウニングはエリザベスに期待し続け、成長するように励まし続けました。そして2人はついに結婚し、エリザベスは素晴らしい詩を数々生み出していったそうです。

15、あなたの期待を求めている人がいる

「ブラウニングのような人は、そのままでいると駄目になってしまう人を、暗闇から輝きの中に連れ出す大切な働きをすることができる人です。

あなたの周りに、あなたの期待を求めている人がいるでしょうか? それは、あなたの子供かもしれません。あるいは、もう何年も優しい言葉の1つもかけていないあなたの奥様かもしれません。会社の社員かもしれません。あるいは、毎日顔を合わせる同僚や、隣人、見ず知らずの方かもしれません。でも、あなたの期待を求めている人がきっと身近にいるはずです」と、この本には書いてあります。

期待には、人にやる気を起こさせる不思議な力があります。加藤先生の期待は、私にとって大きな支えでした。

16、NHK、そして劇団に入社する

大学時代、歌に苦しんだお蔭で、それ以外にもいろいろなことを始めることができました。その内の1つが、司会業とテレビの仕事でした。大学3年生の時から始めたのですが、評判がよく、自分でもとても楽しかったのです。

大学を卒業して、普通は音楽教室や学校の先生になるのですが、加藤先生の支えに勇気づけられ、NHKを受けました。そしてNHK京都放送局に入り、「くらしのチャンネル」という番組で、毎日、ニュースや天気予報などを担当するようになりました。とてもいい経験でした。その中で、夢だった「歌のお姉さん」になることが決まり、東京に行きました。東京の劇団にも入り、すぐに主役のアンダースタディにも決まり、どんどんと道が広がっていったのです。

17、芸能界の恐さを経験

ある時、とても芸能界に詳しいダンスの先生と出会いました。山口百恵や桜田淳子を育てた70歳に手の届く方だったのですが、とても目をかけてくださり、「君のためにプロダクションを作る」とまでおっしゃってくださいました。私も若かったので、「はい、お願いします」と、劇団も辞めてその話に飛びついてしまいました。

しかし、辞めて後悔しました。本当に後悔しました。結局、プロダクションを作ることはできなかったのです。何のレッスンも受けることができず、ストレスだけが溜まりました。先生に言っても取り合ってもらえず、「そのうちね」、「レッスンはお金を払ってやるものだよ」と、態度が急に変わられてしまったのです。この世界ではよくあることだそうです。私のコンサートで「声を失ったことがある」とよく話しますが、それはこの頃のことです。

18、声を失う

歌のお姉さんは続けていましたが、音楽番組は、1年間収録したら、次の1年間は再放送というシステムで、お金だけが振り込まれて誠に結構なのですが、やることがあまりないのです。再放送の間、劇団で稽古をしていましたが、辞めた途端何もすることがありません。将来歌い手になれるという保証もなければ、劇団で励ましてくれた社長や先生方とも会えず、とても悲しい時を過ごしました。

それ故のストレスだったと思うのですが、ある朝急に声が出なくなりました。小学生の頃から歌が大好きで、将来は国際オペラ歌手になると言って大学に入り、辛い中にあっても加藤先生の励ましを得て歌い続け、歌のお姉さんになり、劇団に入り、さあ今こそ私の歌が発揮できるという正にその時に、暗闇の中に突然、突き落とされたような気分になりました。

19、創り主をほめ讃えよう

その時、私は初めて知りました。自分は、ほめられて、励まされて、支えられて生きてきた。それなのに、いつの間にか自分で自分をほめることばかりをして、「自分を創り、今日まで生かしてくださった、もっともっと大きな存在」をほめることをしてこなかった…と。私が今日あるのも、どんな状況の中にあっても、私に命を与え、声を与えてくださった神という存在があるからだ、ということに気づかされました。その神様故に私の今があり、その神様に感謝の気持ちを持たなければならなかったのに、その気持ちをすっかり忘れていました。

私はクリスチャンです。しかし、この会場にいらっしゃるクリスチャンの方もクリスチャンでない方も、人間の存在を遥かに超えた大いなるお方がいらっしゃるということは絶対に否めない、と思います。私たちの手、目、口、この60兆の細胞1個、1個全てが奇跡です。もし人間の力で肝臓を作ろうとしたら、東京都が何個か入る大きな工場を作っても難しいそうです。そのような非常に精巧な造りを持つものが、大いなる存在の故にごく当たり前に存在し、生きていけるというのは何という恵みでしょうか!

声が出なくなった時に、初めて心の奥底から、「神様をほめ讃えたい」という気持ちがわいてきました。皮肉なものです。主をほめることがどれ程大切で、どれ程命をつなぐことかをはじめて知りました。

20、福音歌手 森祐理の誕生

「今度は、ほめられることよりも、ほめることをして生きていきたい」、これが私が福音歌手になったきっかけです。福音というのは幸福の音と書きます。good news、良き知らせ、神様の愛を伝えることが福音、それを歌う者をゴスペル歌手、賛美者といいます。賛美というのは、ほめ讃えるという意味です。今、声が出なくなった経験を通して、逆に神様をほめ讃える、そんな人生をスタートすることができたことを本当に喜んでいます。

21、神はほめ讃えられるべき唯一のお方

今年で賛美者として10年目を迎えます。「自分が、自分が」と言っていた時より、遥かに素晴らしい、いろいろな体験をさせていただきました。その中で神様からお叱りを受けたこともあります。神様をほめ讃えているつもりが、実は「自分がほめ讃えられたくて、しょうがない人間なんだ」ということに、福音歌手になって7年目の頃に強く気づかされました。

聖書の中の箴言27章21節に、「るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の賞賛によって人は試される」とあります。他人の賞賛によって人は試される、グサっと来ました。人の叱責や悪口、教訓などの厳しい言葉で試されるのではありません。賞賛によって試されると書いてあります。「良かったよ」、「素晴らしいね」という言葉、これ程気をつけねばならないものはないということです。ほめられればほめられる程、本当にほめられるべきたった1人の神というお方、その方だけを私はほめ続けなければならないということを教えられました。

同じ27章2節には、「自分の口ではなく、ほかの者にあなたをほめさせよ」とあります。自分の唇ではなく、ほかの人にほめさせよ、と書いてあるのです。いつの間にか、「私はよくやっているのよ」と自分の唇でほめていたことも、とても悔い改めさせられました。

悔い改めというのは、クリスチャンの言葉で、神様の前で「ごめんなさい」と罪を言い表し、それを捨てて、新しく生きることをいいます。「神様、赦してください。私はいつの間にか、人の賞賛に酔いしれていました。赦してください」と祈ったあの日のことが忘れられません。

22、1人1人がVIP、これが究極の互いにほめ合うこと

神様をほめ讃える生活は、自分自身の足りなさと向き合う生活なのかもしれません。それでも、遥かに大きな本物の喜びを得ることができる、そんな生活であると思います。

今でも母は、私をほめてくれます。月曜礼拝で歌わせていただいた時に、「良かったわ。神様の会社の中で、祐理はなくてはならない従業員のような気がするわ」と言ってくれました。改めて母のほめ言葉に感謝しています。その大切さを胸に、いろいろな人に励ましを届け、心からほめる、そんな人間になっていきたいと思います。神様をほめ讃えると、人の良さや優しさ、ありがたさが見えてくるということもわかりました。

「人をほめるということは、人の価値を認めることだ」と先の本に書いてあります。人の価値を認めるということは、「あなたは神様が何10億人という人口の中で、あらゆる歴史や時代を貫いてたった1つしか存在しない命なのだ」ということを認めることです。「あなたは素晴らしい勝利者だ」ということを認めることです。「お前は素晴らしい存在なのだよ」と自分自身に語りかけ、周りの人にも語りかけてください。そして、1人1人を重要人物VIPとして扱ってください。きっと素晴らしい何かが、そこから生まれてくると思います。

VIP−Very Important Person 1人1人がなくてはならない存在なのだと、このことを心に刻んで相対し生きていくこと、これこそが究極の互いにほめ合うことだと思います。そのような人間関係を通して、本当の意味でこの天地を創られた神様がほめ讃えられると思います。これからの人生、さらに素晴らしい神様をほめ、歌いつつ、さらに天国に至るまで力いっぱい歩んでいきたいと思います。

本日は本当にありがとうございました。

2002年1月22日(火)

インタ−ナショナルVIPクラブ<大阪>