キリストとともに歩む恵み

    VIPクラブ大手町  新見 稔

      2003年5月6日(パレスホテル)


1.神の導きでIBMに入社

私は30年近く勤めた日本IBMを2003年3月に退職し、現在は日本語教師の養成学校に通っています。ビジネスマンとして格別に大きな仕事を成し遂げたわけではありませんし、クリスチャンとしてアッと驚くような体験をしてもいません。ごく平凡な証なので本日はご期待にそえるような面白い話はできないかもしれません。
ただ、これまでの人生を振り返ってみると、私は神の恵みをヒシヒシと感じるのです。もしクリスチャンでなければ、私は日本IBMという会社には入社していなかったと思います。またクリスチャンでなければ、私のような性格ではとても30年近くも勤めることはできなかったと思うのです。
さらにキリストを信じてきたことによって多くの善き交わりが与えられ、罪から守られ、家庭にも恵まれてきました。今日はそうした話をしたいと思います。
私の入社の経緯は真面目な人が聞いたら、不真面目のように思われるかもしれません。中途採用だったのですが、応募のキッカケは新聞の折り込みの求人広告でした。IBMが何をしている会社かも詳しくは知らずに応募したくらいですから入社できるなどとは考えもしませんでした。
筆記試験にはパスして面接試験がありましたが、どうせ採用されるはずはないと思っていましたから3人の面接担当者を前にしながら「この人たちとは再び会うことはないだろうな。ならばここで証をしなければ」という思いが募り、一心になって聖書の話をしました。すると、彼らも熱心に聞いてくれ、いろいろと質問もしてきました。「志望動機は何ですか」と聞かれたときは、「日曜日は教会に行くので土、日が休みの会社でないと勤められないからです」と答えました。当時は完全週休2日制の会社は少なかったのです。そんな具合に面接は信仰や教会の話で終わりました。若くて社会勉強も足りない私が常識的なテストをされたら、ベテランの面接担当者にはとても太刀打ちできなかったと思います。
面接の席を立つとき、面接担当者に「何か聞いておきたいことはありませんか」と聞かれました。「特にありません」と言いかけて、咄嗟に「私は採用される可能性はありますか」と聞いていました。突飛な質問に面接官は大爆笑になりましたが、話はそれで終わらずに「採用したら来ますか」と切り返してきました。、私も「来ます」と即答しました。しばらくして採用通知が届きました。面接の中で「イエス・キリストを証する」と言った以上、出社しないわけには行きませんでした。
IBMがどんな会社なのかを本を読んだりして研究したのは入社後のことでした。IBMはワトソンというクリスチャンが創立した、素晴らしい企業倫理をもっている会社です。「神様は素晴らしい会社に導いてくださった」と心底、感謝したのも入社してからでした。

2.キリストに出会い、虚無的な生き方から解放された

ビジネスマンとしての証をする前に、私がどのようにしてキリストを信じるようになったのか、その救いの証から、お話したいと思います。
私がクリスチャンになったのは大学3年のときでした。当時は大学闘争が激しかったときで、東大の安田講堂や私の在籍していた早稲田大学の大隈講堂などが闘争の拠点になっていました。闘争の激しさのために東大の入試が中止になるという事態にまでなったこともあります。早稲田でも構内が封鎖され、私の場合は2年間、講義がないという状態でした。
闘争が吹き荒れる状況のなかにあって、私の友人たちは次々と学生運動に飛び込んでいきました。友人には闘争で負傷したり、警察に逮捕される人が次々と出て来ました。そんな中、私が最もやりきれなく思ったのは、内ゲバと呼ばれる学生運動のセクト間での主導権争いでした。
同じ大学の学生同士が角材を振って争い、ある者は壊疽になって足を切断
しなければならなくなりました。また、ある者はリンチに遭い、車で山中に棄てられ瀕死の状態で発見されました。
そうした凄惨な事実を見聞きするうちに私が疑問に思ったのは、「何故、純粋な動機で出発したはずの者同士が、血を流し合わなければならないのか」ということでした。
そんな疑問に捉われているときに大学の構内に張られた一枚のポスターが目に留まりました。それはドイツ語の聖書研究会への案内でした。殺伐とした気持ちでいたからでしょうか、何か惹かれるものを感じて参加するようになったのです。
研究会は大学の近くの学生寮で開かれていました。庭には芝生が広がり、ロビーには太陽が燦々と降り注ぎ、そのなかでドイツ人の宣教師と数人の学生がドイツ語で聖書の「マルコの福音書」を学ぶ光景がありました。大学の構内には争い、暴力、怒り、不信が渦巻いていましたが、そこには静けさと平安があり、雰囲気がまったく違っていました。
聖書の教えは自分の中に神を受け入れなければ分からないと言われますが、私も初めは聖書が何を語りかけているのか、さっぱり分かりませんでした。世界
にはさまざまな言語がありますが、聖書は謂わば天国語で書かれていると言えると思います。その天国語が私には分からなかったのです。                
何回目かに参加したときクリスチャンの先輩から「宣教師ご夫婦は、ずっと君のことを祈っているよ」と聞かされました。私はそのとき初めて人が他人のために祈るということがあるということを知りました。神様を知らなかったときの私も、困ったときに自分のためや家族のために祈ったことはあります。しかし、他人のために祈るということは知らなかったのです。それは新鮮な驚きであり感動でした。
話は遡りますが、高校時代の私は何をしても虚しい気がして虚無的な生き方をしていました。物事の善悪について考えているうちに、その基準が分からなくなり、いつしかそうなってしまっていたのです。当時、実存主義の思想が持て囃されていた影響もあったのかもしれません。やりたいことはやっているようでも虚しさから解放されることはありませんでした。
そんな生き方をしてきた私でしたが、聖書を読んでいくうちに「自分の問題は創造主である神を無視していることにあるのでは」と気づき始めました。そこで、まずは神がおられることを大前提にして自分の世界観を再構築してみたのです。そうすると世界が実に鮮明に理解できるようになりました。
世界観の大転換をコペルニクス的転回といいますが、それが私の中でも起きたのでした。閉め切った雨戸を開けると、明るい太陽の光が新鮮な空気と共に部屋の中に入って来るように、私の心の扉を神に向かって開きました。すると、聖書から次のような御言葉を与えられたのです。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
(コリント人への手紙U 5章 17節)

「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」
(ペテロの手紙T 2章 25節)
               

キリストを信じるようになってからの私の生き方は虚無的なものから、キリストとともにある喜びに満ち溢れたものに大きく変わりました。私の変化に家族も驚きました。
自分の創造主を知ったということ、そして自分が、その方の被造物だと知ったことは本当に大きな恵みでした。           
            
3.「退職すべきか」で悩んだときに

入社してから間もなく私は聖書からこんな御言葉を与えられました。

「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ。」(ヨナ書3章 2節)

入社当時(1973年)、IBMは都内に十数カ所の事業所があったので、「行き巡るのに3日かかる」と言われたニネベの街は、私にとってIBMを示唆しているように思えました。
また、次の御言葉も印象深く胸に刻まれました。

「わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」
(エレミヤ書29章 7節)

これらの御言葉を与えられて、私はIBMという会社と、そこで働く人々のために祈るように、と導かれたのだと思ったのです。御言葉をどれだけ実践できたかとなると分かりませんが、こうして私のIBMでのビジネスマン生活が始まったわけです。
私は会社のなかでもキリストを第一に聖書の御言葉どおりに生きようと思っていましたが、今考えれば私自身の社会人としての未熟さから職場では周囲に不快感を与えることが多かったのではないかと思います。
たとえば、水曜と木曜は集会があるので、同僚が勤務していても「きょうは集会がありますから」とパッと帰ってしまうのです。周囲から見れば「おいおい、何でなんだ」という感じだったことでしょう。
また、上司に酒に誘われても、「私、酒は飲みませんから」とにべもなく断っていました。職場以外での肩の凝らないコミュニケーションを図ろうとした上司は、さぞ不愉快な思いをしたことだろうと今になって思います。
しかし、私は主が第一という思いだけで心がいっぱいで周囲の人の気持ちにまでは気が回らなかったのです。逆に上司や同僚たちは私に配慮してくれていたと思うのですが、当時は、そのことに全く気づかなかったのです。
それどころか、同僚たちが俗っぽく感じられて「この人たちとどうやってツキ 合えばいいのか」と悩んでいました。そんな状態だから、会社が面白いわけがありません。
「自分はこの会社にいていいのだろうか。退職すべきではないのか」と真剣に
考えもしました。
そうしたときに与えられた御言葉があります。

「あなたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」
(ヨハネの福音書 15章 16節)

この御言葉に私はハッとしました。これはイエス・キリストが、その弟子たちに与えた御言葉ですが、会社と私との関係も示しているように思えました。
会社は私がクリスチャンであることを知ったうえで採用してくれました。また、職場は私が選んだのではなく、神さまの導きによって与えられ、任命されたと言えるのです。ならばクリスチャンであることを隠すこともない、恥じることもない。私のなすべきことは採用してくれた会社の期待に応えられるように努力することだ、と思い直すことができました。
ちょうど、おなじ頃、クリスチャン関係の雑誌に載った詩が目に留まりました。
こんな詩です。
 
 無名人の詩「あなたの持ち場」

「あなたの持ち場は大きいか
 こころしてそれを守りなさい
 あなたの持ち場は小さいか
 こころしてそれを守りなさい
 あなたの持ち場が何であれ
 こころしてそれを守りなさい
 主がそこに置かれたのだから」

この詩にふれて、主が私を日本IBMという持ち場に置いてくださったんだなぁ、とつくづく思いました。
     
4.職場での出会いと交わり

その頃、原田靖彦さんというクリスチャンの方と出会いました。原田さんは日本語教師をする傍ら、キリスト教伝道団体のナビゲーターのスタッフとして働いていた人で、時々、会社に私を訪ねてくれました。意気消沈しているときなど昼食を御一緒し、共に祈っていただきました。そうした励ましがあったので仕事も続けられたのだと思います。
原田さんの紹介でIBM内でのクリスチャンとも、交わりが少しずつ開けてきました。同じ職場で主を信じる人と出会い、クリスチャンの輪が広がるのは大きな喜びでした。
年に1,2度、クリスマスなどに社内のクリスチャンの交わりの場をもちました。ひと口に首都圏のクリスチャンの集りといっても、神奈川と千葉の事業所では80km以上もあって集うのは大変でしたが、主にある交わりは続けられました。海外のクリスチャンにも証をしていただき励まされました。韓国のクリスチャンとも、とりわけ親しい交わりをもつことができました。
そんななかで身近にクリスチャンになる社員も出てきたのです。その一人は労働組合の副委員長でした。彼は私を組合活動に勧誘しようとして喫茶店に呼び出したのですが、私は聖書のことを話しました。2度目に会ったときの彼は洗礼を受けていました。奥さんが熱心なクリスチャンだったのです。彼は奥さんの祈りによって40歳を過ぎてから救いに導かれました。これは20年ほど前のことです。
クリスチャンになったもう一人は、私の上司です。この方はIBMでも要職にあった方ですが、50歳を過ぎてからクリスチャンになりました。そのキッカケはクリスチャンであるお母様の存在でした。お母様が年をとったので同居するようになったのですが、日曜日に車で教会に連れて行くと、帰るときには実に幸福そうな顔をしている。心底、嬉々としていたそうです。だから、どんなに忙しくても母親の喜ぶ姿を見たい一心から教会に連れて行きました。
そうするうちに、彼はいつしか心を開いて主を受け入れたのです。そして退職後は神学校に入り、今は牧師になっています。クリスチャンの幸いは、このお母様のようにどんなに年をとっても主を証し、主のために働くことができる、というところにあるのではないでしょうか。
このお二人は、私が伝道したからクリスチャンになったのではなく、奥様やお母様を通じて導かれたのですが、このような方々を会社の中で知ることができ たのは、大きな喜びでした。

私のIBMがでの仕事は、入社して最初の数年間は営業所の事務管理の仕事でした。その後はマニュアルの翻訳部門、公共システム事業部と移りました。この事業部にいたときにも出会いがありました。その一人が事業部の顧問の方で、クリスチャンではありませんでしたが、私がクリスチャンと知ると、「一緒に聖書を読みたい」と言ってきたのです。これは私にとって大きな励ましになりました。
その頃には米国のIBMから日本にアサインメントで来ていたクリスチャンの社員がいたので、3人で聖書を読み始めました。昼食を共にしては聖書を学ぶのですが、IBMの社員食堂にはミーティングをしながら食事ができる小部屋がいくつもあるので、誰にも妨げられずに聖書を読み、祈ることができました。
顧問は実に熱心な方で、昼を終えて席に戻ってからも電話で「聖書のここはどういう意味なのか」と熱心な質問攻めが待っていました。
12年前の湾岸戦争中のことで、アメリカの大統領は現在のブッシュ大統領のお父さんでしたが、彼は「ブッシュはクリスチャンだそうだが、何故、人を殺すのか。さっき読んだ聖書には『殺してはならない』と書いてあるじゃないか」というような質問もされました。
聖書には次のようにあります。

「殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。」
(出エジプト記 20章 13節−15節)

顧問はあたかも私が全クリスチャンの代表であるかのように詰問されるわけですから、この「バイブル・スタディ」では、私はだいぶ鍛えられました。
聖書を学び合っているうちに私だけでは限界を感じ、ほかのクリスチャンとも交わりをもってほしいと思うようになりました。そして聖書を読むだけではなく、ほかの人の証も聞いてもらいたい。できれば同じビジネスマンという立場の人の証を聞いてほしい、と思い始めたのです。
そんなときにの市村和夫さんが、御茶ノ水の学生キリスト教会館で「ビジネスマンのための聖書の集い」を開いたので、「これだ」と思い、顧問とともに参加するようになりました。それが現在の「VIP」クラブの前身になったわけです。
顧問は「私はもうほとんどキリストを信じている」と言ってくれることもありましたが、最終的な決断には至りませんでした。それでも退職されるときに「私はIBMの企業文化を学ぶために顧問としてきたが、聖書を学ぶことによって、その回答を得ることができた。IBMで一番有意義だったのは聖書を読んだことだった」と言ってくれました。これから主がどのように働いてくださるか、楽しみにしています。
              
5.川島徹さんが残した証

社内での交わりで忘れられない存在が川島徹さんです。川島さんは3年前、この「VIPクラブ大手町」でもスピーチしているので覚えている方もいるかと思います。
川島さんとは彼がアメリカのIBMから99年に帰国されてから知り合いました。川島さんとの交わりも主の導きでした。先に述べた、顧問と一緒に聖書を学んでくれた米国IBMからのアサイニーの秘書が、あるキリスト教講演会で川島さんと同席した時に、私のことを川島さんに紹介してくれたのです。川島さんはさっそく私に連絡をとってくれました。
おたがいクリスチャンとして交わりをもつうちに、ごく自然に「会社のなかで聖書研究会を開きたいね」ということになり、ほとんどは彼が準備を整えて、毎月1回、聖書研究会が開かれるようになりました。彼はその研究会を「バイブル・ランチ」と名づけ、毎回「聖書は何を語っているか」というメッセージを用意してくれました。彼は自分の気持ちや感情を付け加えて伝えるのではなく、聖書に書かれてあるままを福音の真理として的確に伝えてくれました。
「バイブル・ランチ」の交わりは3年間、29回続けられました。
「バイブル・ランチ」には多いときには16人が参加しましたが、毎回、クリスチャンでない人も大勢集いました。そのなかには自分から進んで聖書を読み始めるようになったり、教会に行くようになった人も出ています。
「バイブル・ランチ」の生みの親である川島さんは今年2月、天に召されました。
川島さんは教会ではヘラクレスと異名をとるほどのスタミナの持ち主で、頑健そのものに見えました。しかし、昨年9月、勤務中に突然、胃の痛みを訴えて入院しました。検査の結果は第四期の末期癌でした。倒れる直前の彼は休日には毎朝10キロのジョギング、その後に1時間のスイミングを日課にしていま
した。酒も煙草もやらず、健康には絶対の自信をもっていましたが、入院から5ヶ月もしないうちに天に召されたのです。
私よりひとつ年下の川島さんの死から私は多くのことを教えられました。その第一は「人の命は本当に分からない。すべては主の御手にある」ということです。聖書には、こうあります。

「それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。」(詩篇 90:12)
              
川島さんの死に教えられた第二はビジネスマンに対する伝道への熱い思いです。
彼は病院のベッドでアメリカの聖書学校の入学願書を見せ、「この病気が癒されたら入りたいと思っているんですよ」と言っていました。期するものが伝わってきました。
川島さんは召される前、こんな証を残しています。

「私は何故、39歳になってから信仰が与えられたのか。何故、もっと早くからできなかったのか、という疑問に捉われます。それを私は、私と同じような状況にある人に伝道するためである、と理解しています。そのような道を歩んできた私を主が用いるためではないか、と思っています。」
また、先に述べた私の元上司で、IBMを退職後、牧師になった方が、奥様の友人の紹介で、川島さんの病床を訪問するようになったことは、すばらしい主の導きでした。お互いにIBMということは知らずに出会ったのですが、川島さんはすぐに自分の入社当時のインストラクターが目の前にいることがわかりました。それ以来、その牧師の方は、川島さんの病床の友となりました。共に壮年になってからキリストを信じたため、共通の思いも多かったようです。
聖書にはこういう御言葉があります。

「彼は死にましたが、その信仰によって、今なお語っています」
(ヘプル人への手紙 11章 4節)

川島さんは召され、今私は生かされています。少しでも彼の思いに近づき、その思いを生きられたら、という気持ちでいます。
なお、川島さんのお証は、次のURLから読むことができます。
http://vip−club.tv/2003/04story/stories/story0028.htm

6.子育てを通して教えられたこと

ここで私の家族について触れたいと思います。
子供は5人で、上から順に長男はIBMに勤務し、長女は市立保育園の保母、次女は看護師、次男は音楽大学で声楽を専攻、末の三女は中学3年です。多くの子供が与えられたことは神の恵みであると感謝しています。

「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。」
(詩篇 127篇 3節)

            
5人の子供というと驚かれる方が多いのですが、私自身も兄弟姉妹が5人、妻も4人の中で育ちました。ただ、現代の住宅事情では、5人の子供を育てることは難しい点もあります。
我が家が子育て真っ盛りのころ、私も会社の仕事や教会の活動が忙しく、子育てのために十分な時間を使うことができませんでした。その間、家内が一切をみていたわけですが、毎日の山ほどの洗濯、炊事や食器洗いは一日も休むことができませんから、疲れている暇さえもなかったという状況でした。
今、当時を振り返って家内と話すのですが、よくこの間支えられてきたものだと思っています。家内は元々、身体は丈夫なのですが、ただ人間的な力だけでなく、神の助けがなければできなかったと思います。
子育てを通して神は祈りに応えられるということも学びました。
長男は子供のころ、線が細いというか繊細な性質で、しばしば夜泣きをしました。あやしても子守唄を歌っても寝つきません。外を一回りしてきても泣きやみません。明日の仕事が心配で弱りはてていたときに、ふと思い立って祈ってみました。すると祈っているうちに長男は寝入ってしまいました。それからは、夜泣きするたびに、祈ることにして、祈るたびに夜泣きは止まりました。そのうち夜泣きもなくなりました。
困ったことが起きたときに問題を自分の手に握っていると解決しないが、自分の手から離して主の御手に委ねれば主が働いてくださるということを、このようなことを通して体験しました。
子育ては3人くらいが一番大変で、それ以上になると、上の子が下の子の面倒をみてくれるようになり、親としては楽になります。
長女は結婚して理容師に嫁いでいますが、小さい時から幼い妹弟の面倒をみてきましたから、子供が大好きになり、保育園の保母になりました。次女も子供好きで、キリスト教系の看護大学に学んで、病院の小児科病棟に勤務しています。

さて、子育てには心配や苦労がつきものです。
心配や苦労は子供が大きくなればなくなるものかと思っていたこともありましたが、子供が成長するにつれてより深い悩みや困難な問題に直面していくものです。そのような時に、次の聖書の言葉が与えられました。

「牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。しかし牛の力によって収穫は大きくなる。」
(箴言 14章 4節)

           
            
問題があるとそこにばかり目が行って、子供が与えられているという大前提の祝福について忘れがちです。主の恵みに目をとめれば、問題も感謝して受けることができるようになります。
少し話が外れますが、大学時代のことです。連日の学生との団体交渉に疲れ果てた学生部長が、先輩の教授に愚痴をもらしました。その先輩は次のように諭したそうです。「今は学生が大学にいるからいい。戦争中には大学に学生がいなくなってしまったんだから。その虚しさに比べれば、たとえ反抗する学生であっても、大学にいてくれるということはありがたいことなんだよ」その後、学生部長は早稲田大学の総長になりました。私はこの話を卒業してから十数年後に大学のOB会誌で読んだのですが、子育ても同じだと思いました。
子どもには反抗期がつきものです。親もそのとき悩みます。このようなときに先ほどの聖書の言葉と、この教授の言葉を思い起こします。
また、この言葉は会社での人間関係や部下の指導などで悩むときにも応用できるのではないでしょうか。

5人の子どもたちは皆、母のおなかの中にいるときから教会に通い、日曜学校で学んできました。日曜日には家族7人で教会に出席するのが長年の習慣でしたが、今は家から独立した子どもたちもあって、それぞれが教会から離れてしまっています。親としては残念な思いもありますが、偶像の神ではなく天地を創られた、まことの神がおられることは、ひとりひとりの心に刻まれていることと思います。
これまでは親に連れられて教会に通っていたかもしれませんが、今度は自分の意志で教会を選び、教会に連なる時がいつの日か来ることを願い、祈り求めています。

7.早期定年退職を決断させたもの

去年のゴールデンウィークのことでした。聖書を開いていて、「役にも立たず、救い出すこともできないむなしいものに従って、わきへそれてはならない。それはむなしいものだ。」(サムエル記第一 12章 21節)という御言葉が目に入ってきました。ふだんなら読み過ごしてしまうようなところですが、そのときは「このまま定年まで会社勤めを続けるべきだろうか」と、今後の人生のあり方を考えていただけに、深く心に染み入ってきたのです。
 会社の仕事が無意味だというわけではありませんが、すべてには「時」があり、今は会社を辞める「時」かもしれないな、思い始めたのです。IBMには50歳と55歳の2回、早期退職制度が適用されることもあって、その思いが強まりました。ちょうど同じ日に、友人のクリスチャンから全く同じ御言葉が届きました。私が心に留めたのとまったく同じ御言葉だったので「これは」と不思議の感に打たれました。さらに聖書を読んでいると、次のような御言葉も与えられました。

「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。」
(ヨハネの福音書 6章 27節)

また、次のような御言葉も与えられました。

「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。向きを変えて、出発せよ」
(申命記1章 6−7節)

定年前に早期退職するについては、たしかに心に煩悶もありました。特に経済的なことが心配ですが、それに対しては、次の御言葉が与えられました。

「主は正しい者を飢えさせない。」(箴言 10章 3節)
「衣食があれば、それで満足です」(テモテへの手紙 第一 6章 8節)

そして、ここは御心に従おうと、昨年10月に申請し、今年3月に退職しました。
会社勤めをしていたときは、やりたくても果たせなかったことが多くありまし
たが、退職後は疎遠になっていた友人に手紙を出したり、日頃、交わりのもてなかった人とも交わりをもてるようになりました。自分は仏教徒と言いながらも御言葉を送ると、とても喜んでくれる友人もいます。
何人かいるアメリカのクリスチャンの友人にも十数年来、「来てください」と言われ続けていましたが、今年3月に家内と訪問して主にある豊かな交わりをもつことができました。
冒頭に述べたとおり、私は現在、日本語教師の養成学校に通っています。勉強は、なかんか大変なのですが、日本語教師になることができたら、日本語を教えながら聖書の教えを伝えていけたら、と思っています。
思えば私が学生だった21歳のとき、ドイツ語を通して聖書と巡り会ったように日本語を学ぶ学生の中から聖書を信じる人が出てきたらと思っています。
イエス・キリストへの信仰を、私はこんな風に考えています。
車に譬えるならイエスさまに運転席に座っていただき、自分は助手席に退くということではないか。つまり、キリストを自分の主とし、主の御心によって生きる、ということです。主の導きに従うならば、最善の道を歩むことができる。私が会社勤めのなかで学んできたのも、そのことに尽きます。
これからも、ますます主に頼んで生きていこうと思っています。