「どのように生きるのか」

山田 美貴子

 

1.かえるの子はかえるなのか

 私の祖母の祖父は新島襄に惚れ込んで、彼の鞄持ちを買って出て、クリスチャンになりました。以来、曽祖父、祖母、父と4世代クリスチャンが続いている家に私は生まれました。父の実家は大変裕福な商家でした。父は戦前に大学の経済学部を出てから総合商社に入り社会人となっていましたが、太平洋戦争に従軍し、同室となったクリスチャンと共に聖書を読みながら戦いの日々をすごしました。米軍の捕虜キャンプで礼拝の説教を窓越しに熱心に聴いていたら、その米人牧師が献身を強く勧めたそうです。復員した父は、米国に渡り、神学校に学び牧師になりました。父は米国で宣教師の秘書をしていた日系人の私の母と出会い、結婚します。母はクリスチャンの両親のもとに成長し、自分もクリスチャンになりました。私は父母の回心のいきさつを知りませんが、クリスチャンになることに反対のある家族はいなかったと思います。
 私はこの父母の第一子として生まれました。父は牧師でしたが、教会とは別の所に住み、週日は自分が主催する社会福祉の活動を精力的にこなし、当時としては珍しく世界中をとびまわっていました。週末は牧師として、教会の牧会に携わりました。私は、生まれたときからクリスチャンに囲まれており、また、週末は教会で過ごすのがあたりまえでした。
 父は生活費を教会から得ることを期待せず、社会福祉の仕事も薄給でよしとしていました。母は大卒で、米国の栄養師の資格もあり、また英語を話しましたので、東京では高給を得ることができました。さらに父は実家の商売の配当金を潤沢に得ていました。ですから、質素に暮らしてはいましたが、経済的に余裕のある生活をしていました。父にとって牧会は高尚な使命であり、職業ではありませんでした。私はそれをとても素敵なことだと思っていました。

2.サラブレッドなのか

 父の牧する教会には、庶民もいましたが、裕福な人や社会的立場の高い人や教養の高い人が多くなりました。私は、クリスチャンとは、高学歴で、社会的な成功者であり、高い志をもち、西洋的なハイカラな人々であるという印象を持ちました。この印象をさらに強くしたのは、当時、日本中に派遣されていた米国からの宣教師たちでした。彼らは、裕福で上品で教養が高く幸せそのものという表情を見せていました。戦後の物や心に不足が多い日本では、キリスト教に連なる人々は特権階級のように映りました。このような宣教師は私の家に頻繁に出入りしていました。日本語に不自由だった母は近所の人と深くつきあわず、私たち姉妹にはあつらえたおそろいの洋服を着せたり、ケーキやクッキーを焼いたり、戦後の日本では珍しいコンタクトレンズをはめていたり、自動洗濯機や電気冷蔵庫などを使っていました。このように、私たち一家は別格であり、近所からは羨望の目で見られていました。そういうことで、私は、クリスチャンというのは祝福の階級だと感じていました。
 私は12歳の時、あまり聖書の教えを理解しないまま、自分は罪ある存在であるという一点をクリアしたいという思いから受洗を決意しました。クリスチャンという祝福の集団の一員になることは、両親も望んでいるに違いないとも信じていました。信仰告白も要求されなかったように思います。受洗は即座に承諾され、その年のクリスマスに洗礼を父に授けてもらいました。
 これで、祝福された者の生活が始まったはずです。しかし、これが失望の始まりとなりました。色々なクリスチャンには本音と建前というか、表の顔と裏の顔があることに気付きはじめたのです。人前では、お互いを誉めたたえるのに、陰では悪口を言い合う婦人たち。あるおしどり夫婦の離婚。人間的な策略がまかりとおる教会の役員会。
 その後、私が15歳の時、父がキリスト教の国際機関で働くことになったので、一家で欧州に移住しました。私は、ここでさらにクリスチャンに失望します。キリスト教の本拠地だと思っていた欧州の人々はキリスト教が大嫌いでした。教会堂は観光客を呼ぶ文化的財産として大事にされていましたが、礼拝のために集う人はほとんどいませんでした。父の仕事場はキリスト教徒ばかりでした。仕事場にいるこの人たちには、はじける笑顔と有能な仕事ぶりとそれに見合う報酬はありましたが、本当に心で笑っていないことや、家族を振り返らないで無理に背伸びをしてがんばって仕事をしている姿や、自分の地位や収入によって自分の価値を決めているというのが、高校生の私には見えました。私がクリスチャンに求めていた真の余裕とか豊かさをほとんどの人に見ることが出来ませんでした。

3.神学なのか

 私は、欧州の高校を卒業した後、日本のキリスト教の大学に入学しました。この大学の教授は当時100%クリスチャンでした。私は真剣に「クリスチャンとは何ぞや」という質問をもち追求しました。週に5つも6つも聖書研究会に出席したり、大学礼拝をすべて出席したり、教授や大学の牧師が講師となる修養会のスタッフになったり、大学主催のキリスト教週間の中心スタッフになったりしました。しかし、難解な理論や私論に出会うばかりで、私の疑問への答えは見つかりませんでした。クリスチャンの友人は沢山できましたが、私はクリスチャンであることに苦しみをおぼえはじめていました。

4.本能で走る野生馬でいいのか −「良い人」論

 就職をしました。仕事は目標が明確であり、成果に対して報酬、努力に対して賞賛がいただけました。クリスチャンとしての私は目標を示してくれる人がいなく、あくせくと模索をしているだけでした。このころから日曜日には教会学校の手伝いをはじめました。ベテランのCS教師が用意した分級はカルチャークラスのようで、お菓子作りや、裁縫や、おしゃべりでした。大学では、疑問に答えは出せなかったが、それでも聖書を開いて学んだのに、教会学校では聖書もほとんど開かない…形ばかりのクリスチャンという集団への失望が頂点に達しました。欧州の人々の気持ちと同じになりました。
 結婚をしました。夫はクリスチャンではありませんでしたが、良い人でした。夫の家族も誠実で正直な良い人ばかりです。子どもが生まれ私は専業主婦になりました。結婚数年目にして、良い人とも一緒に暮らすのは難しいかもしれないと思うことが起こりました。
 ある日、何気ない会話の中で夫は職場の先輩が宴会の後に風俗の店に入りたいというから店の外で2時間も待っていたということを私に報告しました。この発言は非常に私の敏感なところを直撃しました。夫にとって、今回は興味がなかった風俗の店でしたが、もしも興味があったら、先輩とご一緒したことでしょう。そして、私がそれを嫌ったとしても、夫に私の価値観を強制することはできない、ということに愕然としたのです。夫と妻はちがうルールを持って生きて行くのならば、修正できない衝突がひとつでもあれば、別れるしかないのではないか?私が子どもの頃、教会でおしどりと評判だった夫婦が離婚したことを思い出しました。そして、とても情けない気持ちがひろがってゆきました。良い人というだけでは、安心して夫婦を続けられないわけです。
 夫は私がクリスチャンであることは尊重してくれました。ある日、米国本社の重役が奥様と一緒に東京にいらっしゃいました。その時、私はその奥様の観光にお付き合いしました。この奥様は私がクリスチャンだと知るととても喜ばれ、親愛の情を示されました。そして、さらに驚いたのは、夫にとっては大チャンスとなる米国転勤がこのことがきっかけで決定したのです。私は、この奥様に夫がクリスチャンでないこと、この先ぜひ夫にクリスチャンになってほしいということを打ち明けたのです。これは、先の風俗事件を通して私が急に切に願うようになったことでした。夫も私も同じ神のルールの中にいれば、夫婦を最後まで続けられるかもしれないと思うようになったからです。あとになって判りましたが、この重役夫妻にとっては、会社の業績よりも、社会的地位よりも、経済的祝福よりも、何よりも、キリストの弟子であることが大事でした。この日本人の奥さんは夫をクリスチャンにしたがっている、というのはこのご夫妻の最優先の関心事となりました。この出会いは、私がそれまで30年間尋ね求めていた「クリスチャンとは何ぞや」の答えの入り口となりました。

5.願うと騎士が乗馬してくれる

 米国での生活が始まりました。すぐにあの重役夫妻は私たち夫婦と5歳の長男と2歳の長女を食事に呼んでくださいました。このご夫妻にとって信仰生活がとても大事らしいということはあらゆる発言からわかります。そこで、会社生活を優位円滑にするためもあって、夫は「どの教会にいくことを推薦しますか」という質問をしました。この方々は自分たちが通う教会の名前をまず書いてから、「あなたにとって行きやすい教会でないとフェアでないから」と、評判のよい教会の名前をその下に9つ書き連ねました。私たちは早速次の日曜日にこのご夫妻が行かれる教会に出席しました。日本では想像もつかないほど多くの人が集う礼拝でした。色々な家庭集会や聖書の勉強会のリストが週報に載っていました。昼間の集会に参加する場合は幼児をあずけることが出来るということを知り、とても魅力を感じました。一週間に2時間でも子どもから離れて大人の中で過ごすことが出きるというのは育児一色の私には夢のような話しです。
 こどもたちの新生活の順応が一段落してから、火曜日の午前中の聖書勉強会に出ました。ここでは新約聖書の中からペトロの手紙一という部分を勉強していました。毎週、続けて聖書の箇所を読み進み、教会が用意した、その箇所への質問に1人1人が答えてゆくことで学びがすすめられてゆくという会でした。その日は、2章の前半を学びました。 

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「だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。」(ペトロの手紙一 2章1〜2節 新共同訳聖書より)

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 この聖書のみ言葉は、私の生き方を全く変えることになりました。まだ母乳を慕い求める娘をもっていたので、その姿を思い出し、また母乳がもたらす成長を思い出して、反省しました。私ははたして今まで、乳飲み子のように霊の乳を慕い求めていただろうか、しかも混じりけのない霊の乳を。だれかに答えを求めていたけれども、直に神さまのみ言葉である聖書に求めていたことはあっただろうか、と。それから、学びの会の為に日々み言葉を学ぶ生活がはじまりました。ほどなく3章になりました。

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「同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです。あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。」(ペトロの手紙一 3章1〜4節 新共同訳聖書より)

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 私は、何とおろかな者だったのでしょうか。「外面的」なクリスチャンという装いしかしていなかった諸先輩方にしか倣っていなかったのです。この学びの会には10名くらいの方が参加していましたが、ほとんどの方のご主人はクリスチャンではありませんでした。そこで、それぞれの悩みをうちあけ、互いに祈る時が来ました。司会者が「美貴子さん、あなたはどのように祈って欲しいですか?」そこで、例の風俗の一件から始まった私の悩みをみなさんに打ち明けました。そこでリーダーのアリスが私のためにこのように祈ってくださいました。「どうか美貴子さんのご主人を導く男性を送ってください。」

6.駄馬でも騎士次第 −イエス様(神様)はあなたを乗りこなす

 何と、その次の日に、教会で知り合った男性から電話が夫のところに入りました。「ホームステイをしている日本人の学生がホームシックにかかってしまったので、申し訳ないが、この子たちに、ご飯とみそ汁をご馳走してほしい。」夫は快諾し、翌日の夕方、この男性は日本人の女の子を2人つれて我が家を訪れました。女の子たちがよろこんで食べていると、この男性は夫に「あなたは、聖書の勉強会にいっていますか?」と聞きます。夫は「いいえ。」と答えると、この方は、教会の人が集う聖書の勉強会や家庭集会を端から紹介して、「明日は木曜日だけれども、毎週木曜日の朝6時半から、Z牧師の聖書勉強会があるが、ためしに私と一緒に出席してみませんか。」と言います。夫は新しい友でもできるかという感じで「そうですね、ぜひそうしましょう」と答えました。木曜日の朝の勉強会に出席した夫はその会でまた他の人から火曜日の夜に他の教会で開かれるBSF(Bible Study Fellowshipという全世界でもたれている系統的聖書勉強会)に誘われたらしく、それにも出席するということでした。火曜日の朝にアリスが祈ってくださったことが目の前で次々に実現することにびっくりした週でした。
 み言葉の学びは続けられ、次の年度は私の家が会場となりました。私はみ言葉によって、生き生きとなり、学びの会のメンバーの色々な人生がみ言葉によって変わってゆくのを目の当たりにして日々刻々と一人一人に関わってくださる神様を実感するようになりました。私たちが言う幸せなことばかりが起こったわけではありません。重い病気にかかる人がいたり、夫が娘と性的関係をもってしまい逮捕される人もいました。しかし、それらのハードルの一つ一つはちょうど騎士が馬を上手に乗りこなして飛び越えて行くように、神様という騎士によって乗り越えられてゆきました。このような試練は、本人の信仰を強くし、喜びを深め、感謝と希望の日々を与えるという結果を生じるのです。びっくりしました。
 夫がすすめるので、私もBSFの学びをはじめました。しかし、新しい悩みが生じました。毎日2〜3時間くらいの祈りと学びの時間がどうしても必要となってきました。私の毎日の体力は2人の幼児のエネルギッシュな活動で消耗されていて、子どもたちのベッドタイムには、絵本を読んであげながら、私が先に寝始めてしまうというあり様でした。リーダーのアリスは言いました「何でも願ってみなさい。神様がもっともふさわしい道を示してくれるでしょう。」この日、私は「神様、どうかBSFのためにあなたのみ言葉を学ぶ時間を与えてください。」と祈りしました。火曜日でした。
 我が家は早起きです。5時半に朝食ですから、私は5時には朝食を作りはじめます。夫の方針で朝はしっかりとした和食を食べます。水曜日の朝、私は不思議なことに4時半に目覚めました。そこで、みんながまだ寝ている30分間BSFの学びをすることができました。木曜日の朝は4時に目覚めました。そして毎日少しずつ早く目覚めるようになり、ついには2時半とか3時に目覚めるようになりました。朝起きたばかりの最も元気な時間を神様とみ言葉と共にすごすことが出来るようになりました。こうして、祈りが具体的にこたえられるという経験をしました。

7.保証された安らぎと祝福 −イエス様が騎手の場合

 私が切に願っていて、どんなに祈ってもかなえられることがなかった、夫にクリスチャンになってほしいということは、この3ヶ月後に実現しました。夫は木曜日の朝の男性の聖書勉強会に私と子どもたちを招待し、出席者の前で信仰を告白したのです。神様が私に教えてくださったのは、「自分のためにあの人に変わって欲しい」と、祈るのはちがっていて「まず、神様のために自分が変わりなさい」ということでした。
 「クリスチャンとは」イエス様を救い主として信じることからはじまりますが、神様のみ言葉によって、素直な人に変えられてゆき、イエス様(神様)に人生の騎手、責任者になっていただくことによってこの世のどんな努力や能力や持ち物や特権階級でも得ることが出来ない平安と祝福と保証を得た人のことであることがやっと少し見えてきました。
 同じ家に住み、同じ時間を過ごした夫ですが、主(イエス様=神様は自分の主人ということの表現です)はまったく私の知らない救済の道を夫に与えました。後日、夫の証しを聞いたとき、本当にびっくりしました。私の悩みや歩みとは別のところで主は夫に悩みを与え、挑戦し、夫が出席していた聖書勉強会の方々の祈りによって導かれました。これは、どうぞ本人の証しを聞いてください。ひとりひとりに差しで(ユニークに)付き合ってくださる主に感謝し、そのおどろくべき御業をほめたたえます。
 私はその後、幾度も主の御言葉から離れたり、主の教えに不従順になったり、夫婦喧嘩をしたりしています。しかし、主にはじめて主導権をにぎっていただいたことによって起こった自分では実現することができない、ここで紹介した出来事は、あまりの感謝と喜びの為に、また主に戻ってゆかずにはおられなくなる、禁断症状の源となっています。

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わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。(フィリピの信徒への手紙3章5〜8a節 新共同訳聖書より)