エルサレムで出会った神

有)み声新聞社 伝道面デスク ペテロ 窪田

 

(1)エルサレムで出会った神                            

生まれて初めて教会ヘ行った時は、おそるおそるでした。もし何か変なことがあったら走って逃げようと、一番後ろの席に座りました。 それがいつのまにか、礼拝に出るのが喜びになり、出るたびに、私がエルサレムで出会った神が、確かに聖書に書かれている神だとよくわかってきました。

【解決した孤独感】

 今も、なぜその時、そう思ったのかわかりません。でも、その時、突然「神はいる」というところに思索が飛んだのです。
 それだけでなく、その部屋で私は神の臨在を強く感じました。その途端、どっと涙が出て来て止まりませんでした。
 二、三時間位、私はずっと泣き続けました。 うれしかったからです。「目に見えなくても自分をいつも見守ってくださる方が、確かにいる!!」「私が何も言わなくても、私の心の内を全て理解して下さる方が本当にいるんだ!!」。それがわかり、うれしくて、うれしくてたまりませんでした。
 一九八八年十二月十二日の夜、もう十三日になっていたと思います。エルサレムの新市街で、私は一人で寝ながら、それまでの一連の出来事を振り返っている時、突然、こうした神との出会いがあったのです。
 当時私は二十九歳独身で、石油会社の駐在員としてエジプトのカイロに住んでいました。空いた時間は、ボランテイアでカイロ日本人会の記者をやっていました。編集長は現役の記者(朝日新聞中東アフリカ総局長の佐藤欽也さん)だったので、私は張り切っていました。
 普段は忙しく、秋になったとき初めて少し暇になりました。その時、急に自分が孤独なことに気づきました。私は誰かに理解してもらいたいと思いました。でも、結局人が人を完全に理解するなんて不可能だからと、半ば諦めていました。孤独のふちに落ちてゆくような感じでした。
 それで、自分をどんな時も見守り、全てを理解してくれる、そういう絶対的な存在が本当にあると知った時、「ああこれで、私の悩みは全て解決した」と思いました。

【神は本当にいる】

 エルサレムに行くきっかけは、取材の関係で知ったエルサレムに住む作曲家の卵のAさんでした。
 何か私の知らないクリエイティブのヒントをAさんはきっと知っていると思いました。十二月になって、どうしてもそれを知りたいと思いました。
 それで、休暇を取って、エルサレムに行きました。するとAさんは確かに私の知らない事を知っていました。それは神のことでした。Aさんは、「私は神様のために作曲をしている。私の創りたい曲は神様にしかわからない」と言いました。クリスチャンだとわかりました。
 その晩、「なぜカイロからわざわざエルサレムまで来たのだろうか?何か力強い力に引っ張られて来たような気がする。そして、Aさんから神のことを聞いて・・・」などと、一つ一つ振り返っているとき、突然、「神はいる!!」と思索がジャンプしたのです。
 そして、なぜかそこに神が本当にいることがわかったのです。 十二月十三日の朝、目が覚めても、「神がいる!!」ということを思うだけで、うれしくて泣けて仕方がありませんでした。そして生まれて初めて「教会へ行きたい」と思いました。それで、教会を探してエルサレムの町を一人で泣きながら、歩き回りました。
 でもその時は、なぜか教会は見当たりませんでした。昼頃、Aさんがやって来たので、思い切って、Aさんに言いました。「神がいることがわかって、うれしくて泣いていたんだ」すると、彼女も泣き始めたのです。
 二十一歳の時、初めて神が本当にいることを知ったそうです。「神様はすごいね」とかいい、しばらく一緒に泣きました。その泣いている時に思い出したのは八カ月前にエジプトで出会った宇宙飛行士チャールズ・デューク一家のことでした。

【アポロ宇宙飛行士】

 八十八年五月、カイロに駐在していた私は、休暇を取って、四泊五日のナイルクルーズに参加しました。そこでデューク一家と会いました。誘われるまま、ルクソールのホテルで一緒に過ごしました。
 昼食の際、手をつないで食前の祈りをするので、彼らはクリスチャンだとわかりました。その直後に、デューク氏は私に言いました、「ユージ。神様って本当にいるんだよ」 その日の夜、実はこのデューク氏がアポロ十六号で月面まで行った科学者だと初めて知り、全く驚きました。まさかエジプトのこんな所でアポロの宇宙飛行士に会っていたなんて思いもしかなかったからです。
 また、「月まで行った科学者がなぜ、神がいるなどと言うのだろう?」と、疑問に思いました。 また奥さんのドッティーさんにも驚きました。こんなに喜びで輝いている人は、今まで見たことがなかったからです。
 ところが、彼女の口から「実は、昔、自殺しようと思っていた」と聞き、とてもショックでした。全然そんな風に思えないからです。彼女はどん底の中で、イエス・キリストが聖書で書かれている通りに本当に生きていることを知って、人生が変わったと言うのです。
 でも、私は、「人ってそんなに変わりうるんだろうか」と疑問が残りました。また、息子のトム(二十歳)も、昔は淋しくてしょうがなかったが、高校の時、神が本当にいることを知って安心したと話してくれました。
 とにかく、四月のデューク一家との出会いは強烈で、私にとって「解けない問題」として残りました。しかし、毎日の生活の中で、そういうことも忘れかけていました。
 さて、エルサレムで神と出会った日の午後、思いました。「デューク氏に会えば、きっと次のステップがわかるにちがいない」。私は、確かに神に会ったと思いました。でも、何の神なのか正直よくわかりませんでした。
 それに、本当はまだ全然自信がありませんでした。何か気のせいじゃないのか、自分だけ勘違いしているのじゃないかと何度も思いました。
 それでもなぜか、デューク氏に会えば、きっと次のステップがわかると思ったので、八十八年末〜八十九年にかけて、年末の休みを使って、思い切ってカイロから、テキサスへデューク家を訪ねて行くことにしました。

 

【礼拝に出る喜び】

 電話番号がわからなくなったので、住所だけが頼りでした。協力者が与えられて、なんとか家にたどり着きました。
 デューク家は私の突然の訪問に大変驚きましたが、一週間位泊めて下さいました。エルサレムから私がかけた留守番電話を聞き、「あのユージが神と会ったのだと知り、皆で喜び、主をあがめていた」のだそうです。
 デューク夫妻は私を息子のように扱ってくださり、その時聖書をもらい祈り方も教えてもらいました。また、デューク氏の教会の牧師が、エルサレムで出会った神について、それは、聖書に書かれている「聖霊様だ」と教えてくれました。
 デューク氏は日本に帰国した時に行く教会について、親しい友人で神の働きに共についているイリエ・コロアマ兄弟に電話をして聞いて下さいました。
 それで、日本に帰国してから、その紹介された牧師を訪ね、生まれて初めて、教会へ行ってみました(その教会が、今私が属している教会です)。それは、八九年六月でした。
 最初はおそるおそるでした。もし何か変なことがあったら走って逃げようと、そういうことを考えて一番後ろの席に座って、逃げる姿勢で礼拝に出ました。幸い、その日は逃げることなく最後まで礼拝にいました。
 それがいつのまにか、礼拝に出るのが喜びになっているのに気づきました。礼拝に出るたびに、私がエルサレムで出会った神が、確かに聖書に書かれている神だとよくわかってきました。
 次第に、私はもっとこの神の臨在のある所にいたい。この神が生きて具体的に働くのを見たい。この神に仕えてみたいと願うようになりました。神学校にも通うようになり、全く自信は無かったのですが、「神にも仕え、また富にも仕えることはできません」の聖書の言葉が与えられ、八年一カ月勤めた会社を退社しました。 

【神による確かな備え】

 退社にあたって、「神が会社を辞めるように言うので会社を辞めます。だからこれから先は、全て神が備えています。神学校に行って牧師か宣教師になります」と、私は言っていました。しかし正直言うとその時は全くどうなるのかわかりませんでした。
 でも、神は真実でした。確かにそれからの道も神が完全に備えていて下さいました。九十二年八月には牧師となりました。
 牧師となったことを一番喜んでくれたのは、デューク氏とドッティーさんだったかもしれません。手紙を下さり、「とてもエキサイテイングだ」と喜んでくれました。
 テキサスでデューク氏は、「ユージ、私たちにとって『偶然』はないんだよ」と、言いました。そのとき私はよくわからなかったのですが、「イエス様が全てをなして下さっている」という意味だとだんだんとわかてきました。
 今、この頃のことを振り返ると「確かに、私の回りで起きたこれらの出来事は決して偶然ではなくて、イエス様がなして下さっていたことなんだ。本当にイエス様が私の道の至る所で備えをなして下さっていたんだ」ということを強く思います。
 なぜなら、私はエルサレムで主イエスと出会ったのですが、次のステップにちゃんと進めるように、前もってデューク一家と会わせて下さっていたからです。もしもご家族と会っていなければ、前に進めなかったと思います。
 そして、テキサスで再会し、今度は日本へ帰国後の道も備えられていたのです。本当に聖書にある通り、神はアドナイ・イルエ、主の備えは完全で、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と思いました。 聖書で、パウロはダマスコ途上で、突然復活の主イエスと会い、クリスチャンを迫害する者から、命がけで福音を伝える者に変えられたとあります。
 私も本当に神とかけ離れて勝手な道を歩んでいました。神がいるなんて本気で考えたこともなければ、神がいたとしても、自分とは関係がないなどと思っていました。何があっても自分で乗り切ってゆくぞと思っていました。「神」抜きで頑張る空しい人生でした。
 けれども、哀れみ深い主は、力強い御手をもってご自分の方に私を引寄せて下さり、エルサレムで御自身を現して下さいました。それから私は、それまでとは全く違った、神と共に歩む素晴らしい人生になりました。かつて絶えずあった心の空しさも無くなりました。
 私はその後結婚し、今は名古屋の地で開拓教会牧師として、家族と共に生涯をこの神に捧げて、仕えています。

 

【プロフィール】

ペテロ窪田(祐司)
1959年3月  広島市で生まれる
1982年7―8月、第34回日米学生会議に参加
1983年3月  慶応大学卒業
1988年3月  石油会社駐在員としてエジプトに赴任
1988年5月  デューク一家とルクソールで会う
1988年12月13日 エルサレムで救われる
1992年8月  牧師となり、2つの地で牧会後
1999年3月〜 名古屋の地で牧会中。み声新聞社伝道面デスク
家族は妻と6歳と5歳の男の子2人

(2)心と心のキャッチボール

「ああ、そうか。そうだったのか・・・・・・」
 言葉には出せない感動が胸一杯に広がり、涙がどっと出てきた。
 一九八九年二月一三日午後三時過ぎ、カイロのマザーテレサ支部二階の廊下、エジプト人のシスターの言葉に、そのときまで僕を支配していた不安が吹き飛んだ。と同時に、神は本当に実際に生きて働いているんだ!目には見えないけれども、自分をしっかりと見守り、助けてくれているんだ!このことが心の底からはっきりとわかった。
 エジプトに駐在中、僕は勤務時間外に、ボランティアで日本人会月刊誌の記者をやっていた。編集長は、朝日新聞記者(中東アフリカ総局長)のSさん。一三日には、「エジプト人による日本語弁論大会」が日本大使館主催で開かれ、Sさんは編集長として五人の審査員のひとりに選ばれていた。僕はSさんに言われ、記者として取材する予定だった。
 その前日、ひょんなことから「カイロで暮らす」(ジェトロ編集)という本を手に入れた。弁論大会の前日でもあり、これは偶然なんかじゃない、神がこれをすぐに読めというつもりで僕にくれたのだと思った。そこで一二日の夜から一三日朝にかけて、半徹夜で必死になってなんとか全部読みきった。とても不思議なことが起きた。三〇〇ページくらいの本で、わずか二行の記述に過ぎないマザーテレサ支部のことが気になったのである。その気になり方がまた強烈だったので、ともかく訪ねてみようと、一三日の朝、決心した。
 出社すると大使館のE二等書記官から電話があった。Sさんは取材のためヨルダンへ出張中。もしも予定通り、午後に戻って来れなかったら、代わりに審査員として出てくださいという話だった。僕は悩んだ。なぜなら審査員は最後に講評をしなければならないから。僕は「緊張人間」と人に言われるくらい、人前で話すのが苦手である。しかも「日本語弁論大会」だから、他の審査員は日本人学校長(国語専門)、カイロ大学文学部日本語科長など、僕よりも二〇歳以上も年上で、日本語のプロたちだったのだから。そこで僕は会社で、「神さま、あなたはなぜ僕のもっとも苦手なことをやらせようとしているのですか」と真剣になって問い、そして祈った。
 退社後、弁論大会へ行く前にマザーテレサ支部へ寄った。なぜそんなことをしているのか、自分でも理屈では全く説明できない。ただ自分の内に働く力に従って来てしまった。エジプト人のシスターが出てきた。こんなことを言うのは、自分は全くどうかしている。本当にどうかしているそう思いつつも、思い切って僕は、そのシスターに正直に言った。
「神っていることわかりますよねえ。僕は本当にいったいなぜだかわからないんです。でもともかく、イエスが今日ここに来るように言ったと思ったので来ました」
 すると、シスターは「バイブルを持ってますか?」と聞いた。チャールズ・デューク(アポロ16号宇宙飛行士・キリスト教伝道師)に会いにテキサスに正月に行ったときもらった英語のバイブルを渡すと、彼女は読み出した。

「あなたが若過ぎると言うなかれ。私(神)が遣わす人の所へ行き、私の命ずることをすべての話しなさい。彼らを恐れてはいけない。私がいつも一緒にいて守ってあげる。・・・・・・私はあなたの口に私の言葉を授ける・・・・・・」 (エレミヤ書一章)

 僕はびっくりした。なぜなら僕は彼女に一言も弁論大会の件を話していない。それなのに若過ぎてキャリヤ不足であるという僕しか知らないはずの心の底の悩みまで、すっかり見通して励ましの言葉をくれたのだから。これは全くの偶然の出来事?偶然なんかじゃない。これは僕が神に従ったことに対する、神からの直接の励ましなんだ。神からの応援の言葉を受けるために僕はここに導かれて来たんだ。
 結局、その夜、僕はSさんの代わりに審査員をやるはめになった。しかも落選者の講評といういちばん難しい役目が回ってきた。しかし、神様が一緒にいて守ってくれると約束してくれたので、なんとか落ち着いて話すことができた。スピーチは十五分にも及んだ。最前列の席には橋本エジプト大使夫妻も臨席していた。その翌日、僕のスピーチがいちばん良かったと大使夫人が話していたということを間接的に耳にして、とても面映く思った。
 神は私たちの困難な状況を見通して、ちゃんと準備してくれている。だから、イエスに従って、ひとりっきりで不安でしょうがない道を歩いているように思えるときでも、(神の)時が来れば、これが本当の幸せへの唯一の道であることにはっと気がつく。そのときには、神の存在や働きに対して疑いや不安を持ったことを、この日の僕みたいに後悔する。そして、神の大きな愛に触れて感謝の涙を流すことになる。
 これからは不安や疑いを持ったりせず、神さまとしっかり心と心のキャッチボールを続けていきたい。