最も大事な『二つのいましめ』 −わが悔い改めの記−

吉田 実 (Makoto Yoshida)

■氏は元大手新聞社記者、現在練馬栄光キリスト教会員

ここ練馬栄光キリスト教会で、わが家の五人が相次いで洗礼を受けていらい、はや8年前後の歳月が過ぎた。先頭を切ったのは愛する妻、泰子。長女の展子がこれに続いた。その後、半年ほどを経て、次女で末っ子の晃子と私。しんがりが、一番上の長男、求だった。こうして、家族全員がよちよち歩きの「クリスチャン・ファミリー」となった。

1. キリストに導かれた佐藤牧師夫妻との出会い

何よりも、この単立教会を司祭する佐藤義高牧師と典子夫人の、爽やかで明るい、誠意に満ちたお人柄に触れたのが、大きなきっかけであった。とても仲睦まじく、またそろって歯医者をしておられた。大学時代の先輩、後輩の間柄であり、学内の聖書研究会を通じて、将来を誓い合う固い愛に導かれた、とうかがっているご夫妻との出会いは、長い間悩み続けた、歯の処置をお願いしたのが始まりだった。

新聞記者時代の激務と不摂生がたたって、私の歯はポロポロで、ほとんど壊滅状態であつた。それを丹念に治療していただき、なに不自由ない立派な入れ歯をつくって下さった。何度か通院したが、いつも変わらぬ親切な応対と、痛みを感じさせぬ絶妙な技術、その間に交した心暖まる会話のかずかずが、私の心をとらえた。すでに洗礼を受けていた愛妻の強い薦めもあって、還暦(満六十歳)を過ぎるまで「無神論者」であった私も、とうとうイエス・キリストを心の内に迎え入れるに至った。

当時、私は三十五年間の記者生活を終え、主として社会人を対象に、中国語と中国事情を教える民間の学院の学院長をしていた。いわば、第一の人生から第二の人生へと歩を進めた段階で、己の来し方、行く末を見つめ直そうとしていた時期でもあった新聞社時代、私はその大半を国際記者として過ごし、中国大陸をはじめ、広くアジア各国、地域の動向を取材し続けた。香港大学への語学留学を含めると、シンガポール、北京、香港など常駐特派員を五度、アジア各地、欧米諸国への短期取材を合わせれば、二十回以上も外国を飛び回っていた。

この間、地位の高低や貧富の差を超えて、各地で数多くのすばらしい異邦人と出会い、さまざまな重要な場面や事件にぶつかってきた。その渦中にあって、いつむ追い求めてきたテーマ。それは日中両民族はもちろん、国家や民族、歴史や文化は異なっても、この地上に生きる人間同士が、どうすれば自他共に生きる道を見出していけるか、ということであった。そして、自分としては、いつも「使命感」に似た気持ちでこの仕事に打ち込んできたつもりである。

しかし、「人間はある時期の本来の意味を、その時期を通り越した時に初めて、体得できる」ものなのかも知れない。これは、ある西洋の哲人の言葉だが、私自身、第一の人生が終りに近づいたころ、まず、「人の世の動き」について、次いで第二の人生の訪れとともに、「わが家とわが身」の関係について、そのことを強く感じるようになっていた。


2. 人間の「知」を超越した、創造主の御業に脱帽

ここでは、「わが家とわが身」の関係について書き記すのが主題であるが、その前に、「人の世の動き」について、簡単に触れておきたい。まだ教会とはご縁のないころのことである。

われわれが生きてきた、この地上における二十世紀は、「戦争の世紀」、「対立の世紀」だった。今世紀の前半には、二つの世界大戦があった。そして、後半には米ソ両超大国による冷戦体制が続いた。だが、やがてその陣営内部でも亀裂や対立が起き人々はイデオロギーや自国の利益をむき出しにして争った。しかも、冷戦時代が終わつても、民族や宗教上の対立から地域紛争は絶えず、大量破壊兵器である核開発の飽くなき追究やその拡散にも歯止めがかからない。全く、人間が存在する限り、「世の欲」は絶えないかのようである。

中国の偉大な思想家、荘子の言葉に「不知之知」というのある。例えば、人間の判断は常に相対的なもので、絶対的な正しさなど、どこかいつまんで言にも存在しないにもかかわらず、人間は「知」に頼り、互いに自己の判断を絶対視し、対立しては、せめぎあう。ここに知的動物である人間の、宿命的な悲劇の根がある。だが、人間が「知」を捨て去ることができぬ以上、この悲劇を絶つ道は、ただ一つしかない。「知」の限界を自覚して、「知」を超えることである・・・。これを「不知之知」という。

私にとって、これは示唆に富む大きな啓示であった。だが同時に「知」を捨て去ることのできぬ人間は、いかにすれば、「知」の限界を自覚して、「知」を超えることができるのだろうか。これは、「絶対的矛盾」ではないか、という新たな疑念が心の中にくすぶっていた。

やがて、教会に通うようになって、聖書をひもとくうちに、旧約聖書の『ヨブ記』の次の一節に、大きな衝撃を覚えた。

あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか・・。北斗とその子星を導くことカできるか。あなたは天の法則を知っているか。そのおきてを地に施すことができるか。

そんなことは、とてもできません、と答えるしかない。とどのつまり、それは人間の「知」を超えた神の摂理である。いいかえれば、われわれ人間は「被造物」であり、われわれの「創り主」に対する敬虔さと「恐れ」を忘れてはならぬということだ。そして、「被造物」であるという厳粛な事実を、深く悟った時に初めて、人間は己の「知」の限界を知り、それを超えることができるのではなかろうか。

このことは、イエス・キリストが、巷を歩む人々に語った新訳聖書の「マルコによる福音書」の次の一節にもはっきりとうかがえる。

立って祈る時、だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるして下さるであろう。(もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを許して下さらないであろう。)

人間同士の裁き合いは悲劇を繰り返すだけだ。それは人間の「創り主」である、天にいます父なる神の御業である、ということになる。

3. 「仕事第一」のカゲに家族への「愛の欠如」

さて、ここから、いまの私にとって最も身近な現実の問題であり、かつ恐らく、長い祈りと実践の課題でもある「わが家とわが身」のことについて、述べなければならない。さきにも記したが、第一線にいた時期、自分としては、いつも、使命感に似た気持ちで、世に「無冠の帝王」といわれた新聞記者の仕事に打ち込んでいたつもりである。しかし、そこに大きな「落とし穴」があったのだ。私の場合、それは、なにものにもかえがたい、とても大切な「忘れもの」であった。

「仕事第一」と思い込んでいた私は、その大きなよりどころである肝心な家庭のことは全く妻にまかせ、息子や娘のことも気にかけながら、実際にはほとんど自分のこととして見ていなかったのである。三日でいえば、それは最も身近な者に対する「愛の欠如」であった。

それでも、三人の子のうち、上の二人は高校、大学に進むにつれ、海外生活の多かった親元を離れ、日本で過ごすようになった。そして、快活な二人は、多くの友人たちに囲まれながら、それぞれ青春時代を謳歌することができた様子だ。

だが、どこへ行っても、いつも私。と一緒に生活していたのが、妻の泰子であり、末つ子の晃子だった。過去を振り返ると、晃子は、父親である私の都合で、内地と外地で十二回も住居を転々としている。その間、北京での託児所通い、香港での小学校上級生時代、中学二年生までのシンガポール時代などを含め、内地と外地での転校回数は、8度にも及んでいた。

兄や姉とは違い、幼い頃から、人見知りの傾向が強かったこの子は、私の度重なる転勤で、やっと慣れ親しんだ学校や友人たちと別れなければならず、その繰り返しがつづいていた。いまなお、脳裏に焼ついているのは、香港支局長からアジア総局長としてシンガポールに赴任する時の、悲しく痛ましい光景だ。晃子は飛行機の上で、別れ行く友のことが忘れられず、鳴咽を交えながら涙を流し続けていた。そして、シンガポールから日本に戻り、東京のある公立中学校三年に編入していらい、毎日学校には通いながらも、浮かぬ顛をする日々が多く、それは高校、短大へ進んでも続いていた。そんな娘の深層心理に、仕事にかまけていた時分は、父親として、どんな責任ある対応をしてきたのだろうか。

長年、連れ添ってきた泰子にたいしても同様であった。外での仕事に打ち込むのが主人のつとめ。家庭内部のことは、留守を預かる主婦の仕事。私の中にはずっと、確固としてぬぐいがたい「偏見」があった。新聞社を代表して、海外での特派員生活が多かったせいか、こうした考え方は人一倍強かった。

朝は早くから、配達された現地紙を広げ、ラジオに耳を傾けて、ニュースがあれば原稿を書く。食事を架け込んで外に飛び出し、取材源を探訪する。新たなニュースがあれば、オフィスに戻って東京本社に打電する。また飛び出す。そして、帰宅はよく深夜になることが多かった。仕事中と言えば聞こえはいいが、要するに、家族を省みること少なく、夫や父親としてのつとめを怠った家庭的には欠焔人間であった。

4. イエスが示した最も大切な「二つのいましめ」

第二の人生を歩むようになってからも、記者時代の習慣は容易に直らず、毎月、アジア太平洋地域に関する六つの研究会への出席、また外部とのさまざまな交際が続いた。そして、教会に通うようになってからもこの傾向は改まず、木曜夜の祈祷会には、ほとんど顔を出さぬ状態が続いた。

しかし、日曜日の礼拝にだけは、外国への出張など特別な事情がない限り、必ず出席した。そして、佐藤牧師から聖書の御言葉を学びながら、次第に己の「来し方」が、いかに罪深い道であったかを思い知らされるようになった。佐藤牧師は、随所に散りばめられた「聖書の知恵」を、一つ一つ、隠された宝物を掘り出すように、思いを込めて、かつわかりやすく語りかけた。それは、「論語読みの論語知らず」の目を覚ます仕草に似ていた。牧挙にいとまはないが、ここに、今の私にとって、最も大切な事を、したためておきたい。

一人の律法学者がきて、・・・・イエスに質問した。『すべてのいましめの中でどれが第一のものですか』。イエスは答えられた、『第一のいましめは、《・・・・心をつくし、精神をつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ》。第二は・・・・《自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ》。これより大事な戒めは、ほかにない」。

これは、「マルコによる福音書」(第十二章1−10)からの抜粋である。ちなみに「マタイによる福音書」(第二二章20)では「これら二つのいましめに、法律全体と預言者とが、かかっている」と記されている。

佐藤牧師は、ここで「御言葉にある『あなたの隣り人』で一番身近にいるのは、ファミリーです。とくに夫婦関係が最も重要で、これは、死活にかかわる問題です。」と力を込めて語った。私にとって、ずしりと胸につきささる御言葉であり、メッセージであった。

昨年の六月末、私は六十八歳で第二の勤めであった八年間の学院での職を辞した。いわば、それいらい第三の人生に入った私だが、いくつかの有難いお誘いをお断りして、ようやく最も身近な燐人とともに歩む生活を、根本に据えるようになった。今まで、月に六回あった中国、アジア問題などに関する研究会も二つにしぼり、その他のおつきあいも極力制限することにしている。

朝起きると、主への祈りを捧げ、愛する妻、泰子と末っ子の晃子に、元気よく「おはよう」と挨拶をする。そんな当たり前のことを、と言われそうだが、恥ずかしい事に、過去の長い間、朝の挨拶さえ、ほとんど怠っていた自分である。

こんな事まで書くのはどうか、という思いもあるが、今はいろいろな家事の手伝いもするようになった。掃除、洗濯、ごみ捨て、買い物、食事の仕度、皿洗い。目下、料理の上手な愛妻のそばで修行中だが、それなりに、日常の家庭科理のメニューを、十種類前後は作ることが出来るようになった。とくに、材料をたっぷり使ったポテト・サラダ。さまざまな野菜を煮込んだ、こくのあるカレーライス。煮干し、本がつお、昆布など手造りのだしで作る各種のみそ汁などは、我が家族にも好評のようである。とんだ自慢話しを、どうかお許しあれ。

5. 「愛の神」を賛美しつつ、夫婦礼拝を続けたい

毎日の入洛後、妻と娘は二人で、二十分ほど体操をするが、就寝前には私を加えた三人で、三十分ほど今日一日の事を話し合い、お互いの心を和らげることに努めている。それが終わると、三人で手をつないで「主への祈り」を捧げ、それぞれ、イエス・キリストの御名によって、天にいます父なる神に感謝の言葉を述べあう。そして、最後にお互いをほめ合い、いたわり合う「夫婦礼拝」をするのが習慣となった。その日に起こった意見の食い違いや「ロゲンカ」などを巡り、自己反省する貴重な機会にもなっている。教会に通わなかったならば、この夫婦礼拝とはずっと無縁だったに違いない。主の御前に心から感謝している。

幼い頃から音楽の好きだった私は、夜のリラックスしたひととき、娘や妻の足首や足の裏をもみほぐしながら、必ず讃美歌や聖歌を口ずさんでいる。主への賛美を唱ううちに、主イエスも愛する弟子たちの足を洗い、ふいてあげられたことを思い、心は次第に平安と感謝へと転じていく。

おかげで、教会で教わった数多くの賛美歌のうち、五十曲前後は空んじることが出来るようになった。キリスト教のすばらしさの大きな一つは、『三位一体の神』=「創り主」(父の神)、「救い主」(子の神、主イエス・キリスト)、「助け主」(聖霊)=への限りない賛美と祈りの歌があることではないか、としみじみ思う。

まだ、聖書に親しむ時間が、とても少ない自分である。しかし、夜明けに聖書をひもとき、賛美の歌を口ずさむ中で、こんな事を思う毎日である。それは、人々のいっさいの罪と病と呪いを背負って十字架にかけられ、死後三日目に蘇って「父の神」の右の座にすわられたイエス・キリストが、その身代わりに「聖霊」を地上に降され、いまなお、われわれと共にいます存在であること。いいかえれば、イエス・キリストが、人間の創造主である「神の一人子」であると同時に、「人の子」であり、かつわれらに賜わっている聖霊によって、永遠に変わらぬ「わが友」でもある、ということである。

だからこそ、聖書に示される御言葉は、この世と世の欲にとらわれている、私自身を含めた、度し難い人間に対する、限りない福音である。キリスト・イエスは、われわれがなかなか「己に死ぬ」ことができず、日々の生活の中で、過ちや失敗をくり返しても、わが罪を告白し、真剣に悔い改めることが出来れば、いつでも許し、受け入れて下さる「愛の神」であると思う。まさに、明日に生きんとするわが生命の源であり、わが盾であり、わが慰めである。

この世に生まれて以来、長い間、神から離れていた私にとって、悔い改めなければならぬことは実に多いが、今回はこの辺で許して頂きたい。最後に、練馬栄光キリスト教会で聖書の御言葉を学んでいる兄弟姉妹の一人として、次のお祈りをしつつつたない筆を置きたい。

天にましますわれらの父よ。御名をあがめます。あなたの限りない恵みに感謝を捧げます。どうか、われら練馬栄光キリスト教会の佐藤牧師ご夫妻をはじめ、ここに集う全ての兄弟姉妹と、その家族の方々を、豊かに祝福して下さい。どうか、わが家とわれを、いつくしみ、あわれんで下さい。

愛する天の父よ。荒野を行く時も、嵐吹きあれる時も、行く手を示して、絶えずわれらをお導き下さい。どうか、私を鷲のように新たにして下さい。そして、最も大切な『二つのいましめ』を固く守り、この世のどんな苦難をも克服できる力と知恵を持った『練達の士』とさせて下さい。生ける限り、あなたを仰ぎ、己の十字架を背負って、この地上にしっかりと立ち、主の福音を進んで世の人々に宣べ伝えることのできる者とさせて下さい。

あなたの尊い一人子、イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン