押し出されるままに

佐藤尚弘 (Naohiro Satoh)

■本稿は2000年6月25日VIP三田にての証しをまとめたものです。

自己紹介

まず始めに、私の仕事についてほんの少しご説明させていただきます。私はダイエーに勤務しております。ダイエーと言いますと、いまではプロ野球の福岡ダイエーホークスが有名ですが、本業は小売業です。昭和40年代に急成長を遂げた企業でして、創業20年足らずで小売業日本一になり、1980年には年商一兆円の小売業となりました。丁度その頃、私は入社し物凄い熱気に包まれた環境の中で社会人のスタートを切りました。始め3年間ほど店舗に勤務し、その後店舗開発部門に配属替えされ、それ以来不動産部門に従事しております。

店舗開発という業務はイメージしにくいと思いますが、簡単にいいますと、新しいお店を作る仕事です。お客さまがきやすい場所で、満足いただけるだけの商品を提供できる売り場の大きさを確保する仕事です。お店を構えるのに丁度良い土地を手配する為、土地の所有者と売買や賃借の交渉をしたり、売り場の大きさも法律で制限を受けておりましたので、行政と調整する必要がありました。また、一つの店を作る為には投資額として数十億から数百億に及びますので、その計画の妥当性を会社に提案し説得する事もあります。設計士と建物の規模/形/用途などに関し議論することもあれば、店で商品を売る立場の社員と激論を交わすこともあります。また当社の出店に不安を抱く地元の商業者の方との調整にエネルギーを取られる仕事でした。

当社は週休2日制でしたが、土曜日も出勤になることが多く、平日も帰宅が夜の12時を過ぎる事が度々でした。対外交渉ともなると、夜討朝駆けとか人脈を駆使したの粘りの交渉など日常茶飯事でした。物件が競合他社との取り合いともなると、社員の気持ちも一層高揚し、やってなんぼ、とってなんぼの雰囲気で、結果として家庭を顧みない職場環境が出来ておりました。

信仰に至る背景

その様な生活環境の中で、私が教会に通う事になるのですが、そのきっかけは不純なものでした。私が久留米キリスト教会を初めて訪れたのは1990年秋、私の妻がエホバの証人との交わりに疑問を感じ主に導かれて教会に通うようになった頃です。始めは妻だけが通っておりました。その後妻が私と子供たちにも教会に通うことを求め、子供たちは素直に教会学校に通うことになりました。

私はというと、素直に参加する気にもなれず家族を教会まで送くると近くの喫茶店で一人自分だけの時間を過ごしておりました。当時の私には日曜の朝、コーヒーを飲みながら一人の時間が持てることがとても都合が良く思え、求められもしないのに家族を送ることを口実について来ておりました。また、自宅から教会まではバスと電車を乗り継いで行く必要があり、幼い子供を二人連れて朝早く出かけていくのは見るからに大変そうでした。仕事中心の私としては、平日は家族と過ごす時間が極端に少ないので、ここは点数稼ぎのつもりで子供たちの手を引き、妻が教会に行きやすい環境をつくってやっていると思い込んでおりました。

その後、洗礼を受けた妻は、私に伝道を試みました。主の愛に満たされた妻は私が暇そうにしているのを見つけては聖書の話を持ちかけて来ました。ハッキリ言って私には迷惑でした。実は子供にそうした話をする事自体でもめた事があるのです。丁度妻がエホバの証人と関わりを持ち出した頃で、子供をエホバの証人の家庭に連れて行ったときでした。私は激しく妻に言いました。「あんたがどんな宗教を持とうとそれは自由だ、でも右も左も判断できない子供を巻き込むのは止めろよ。」その時の妻の返事は「あなたは、私たちに何をしてくれたの、いつも家を空け、仕事中心で子供と遊んでもくれない。それが正しいと子供が思い込んだら大変。それにあなたの言う判断基準はどこにあるの。その時々で変わってしまう基準なんておかしいわ。私は真理を知りたいの。真理の中で子供に育ってほしいのよ」私は一歩も引きませんよとの態度に、多少たじろぎながら、家の中での揉め事を避けたい気持ちの私は、その内妻の熱病も醒めるだろうと思い、子供が自分から行きたいと言うならOKとして収めました。この時は妻をうまく説得できなかった事が残念でした。説得できなかった事になさけなく感じていました。妻がどんな思いでそこまで言ったか知ろうともせず、今思うと酷い夫でした。

葛 藤

妻が私に伝道した時も決まって口論になるのでした。口論と言っても全身武装は私のほうで、今度こその思いです。一方洗礼を受けた後の妻は極めて冷静で、決まって御言葉で話してきます。聖書を持ち出し、御言葉を示し、したり顔で聖書の話をする様に見える妻に腹が立つやら悔しいやらで、根が負けず嫌いの私は、無謀にも妻のフィールドでの戦いを受けて立ち、聖書を読みはじめました。しかし、その動機も不純なもので、妻との論争に勝利する為の理論武装のためでした。しかし結局ヨブ記の途中まで読んだ所で中断してしまいました。その後仕事の関係で仙台に転居すると共に聖書に触れる事もなくなりました。また、妻の方も、見切りをつけたのかあまりしつこく攻めて来なくなりました。

仙台では比較的家族と共に過ごす時間がもてました。海や山が近く海水浴やスキーにと楽しい時を過ごすことが出来ました。妻も私も東北生まれの東北育ちです。一般的に東北出身者はスキーを嗜む様に誤解を受けておりますが、妻を始め東京育ちの子供たちもスキーは初めてでした。当時8歳の長男は直ぐにスキーを始めました。しかし5歳になる次男はソリ遊び中心で中々スキーを始める気配がありません。妻と長男をスキー教室にまかせ、私は次男とゲレンデで贅沢な雪合戦です。そんな私たちの前をやはり5歳位の女の子がスキーを履いて滑って行きました。ジーと見ていた次男が「ぼくもスキー」と。こうして家族が始めてスキーを履き、全員で緩斜面を並んで降りてきた時は全員で万歳しました。妻もそんな生活のリズムに合わせてくれたのか教会に行く代わりに、家族と共にする時間を大切にしてくれました。しかし心の中では信仰を持つ人たちとの交わりを求めていたようです。

転機は直ぐにおとずれました。私の仕事では異例の2年という短い期間で私たちは再び東京に戻ってきました。そして、久留米キリスト教会に通う生活が再び始まりました。またあの自由な時間が持てる。私は積極的に家族を教会に送り届ける事にしました。しかし、不純な欲望は叶えられません。礼拝に出席しない私をみて、小学校1年に成長していた次男が教会学校に出席せず私と一緒に妻を待つ事を希望したのです。仙台で習い始めたゴルフの練習でもしようかと思っていたのですが、ゴルフ練習場に子供を連れて行くわけにも行きません。主は、子供の口を通し私のよこしまな思いを簡単に砕かれ、私を教会に導かれたわけです。しかし、当時の私にはその様な事ととは思いも及ばず、子供を教会学校に出席させる為、自分が礼拝に出席する事ととなったわけです。

反発した理由

さて、ここで私がなぜこの様に信仰を持つ妻に反発したかその背景をお話ししたいと思います。私は、福島県郡山市で生まれ育ちました。東北南部の盆地で夏暑く冬寒い町でした。この町で両親と3人兄弟の末っ子として大切に育てられました。(兄たちの言葉を借りれば、甘やかされてとなるそうです。)

父は信仰心の強い人で、子供の私が言うのもなんですが、とても真面目な人です。ただ、父の信仰は俗に言う八百万の神々信仰です。家には神棚が祭られ、毎朝榊の水を取り替え、炊き立てのご飯を供えます。また、年に何回かは家族の守り本尊のある神社仏閣にお参りし、御札を買い求めては一人一人に配りました。一時は印相に凝り、また家を新築する際は地相・家相を丹念に調べたりしておりました。御札の送付は私の結婚後も続き、妻や子供たちの分も合わせ毎年送られてきました。私たちが父に信仰告白する時まで続きました。その後は「信ずるものが違ったからもういらないかね」と確認があり送ってこなくなりましたが。

しかし、父は決して何れの宗教団体にも属するような事はせず、私たちにも間違っても宗教団体に入ることがない様にと事あるごとに話しておりました。信仰を持つ事と、宗教団体に入る事はまったく違い、宗教団体は人間の考え方を麻痺させ、結局お金をつぎ込んでしまう恐ろしさを持っているといつも私たちに話しておりました。少年時代の私も自然と宗教団体=いかがわしく金を巻き上げるものと理解しておりました。また、宗教団体には特別拒否反応を示す一方で、お守りとか印相とか家相などに特にこだわる父の矛盾した姿に反発心を持つようにもなりました。また、たまたま入学した大学が左翼傾向の強いところでしたので、ますます宗教とは縁遠い考え方を持つようになりました。真面目にマルクスの資本論を読んでおりました(?)。また、入ったサークルが演劇部で、ソビエトで確立された創作手法に基づいて劇作りをおこなっておりました。台詞ひとつひとつト書き一つ一つに意味付けをし、最後に劇を作る意義を皆で確認し、それから役作りをするのです。

こうした生活が好きでしたので、理屈で全てを整理する癖が自然とついていきました。また、社会人としての生活を重ねるごとに、ムリ・ムダ・ムラを排除し効率のみ追及する思考に染まっていったと思います。私の会社は小売業です。小売業は何をするにも人手のかかる商売です。しかし、日本は人件費の高いお国柄ですから、ベテラン社員ばかり採用していては、他社より安く売ることができません。そこで理詰めの工夫が生かされてきます。ですから私の思考パターンは、何か問題等があれば、即解決策を検討し始めます。一刻も早く問題の原因を見つけ出し、解決策を提案出来ない社員は無能社員と思い込んでいますから、頭がくるくる回転しだすのです。

家庭においても同じでした。妻から子育てや何かで相談事があれば、即解決の方法はと考えてしまいます。問題の原因がわからなければ、なぜこうなったか、どうしたいのか、どうするのが一番効率的か、誰が行うかと矢継ぎ早に質問攻めです。まるでつまらん問題を持ち込んだのが迷惑なごとく気銃砲火です。愚痴を聞いて欲しいだけの妻に、あるいは単なるおしゃべりのつもりの妻に、楽しいひと時は木っ端微塵ですね。ましてやその話の中身が、真理だの神の愛だのとなれば、あんた何言ってるの?の世界です。また「何事もまずお祈りをして」などと聞いた日には、どうしてこうなったんだと思い、十一献金となれば、「ほれみろ、騙されているじゃないか。我が家はすでに税金として国家に十分献金している。気をしっかり持ってくれ」と念ずる始末でした。

そんな、屁理屈屋の私でしたが、何か不思議な不幸に対する恐れから逃れることができないでいました。父の矛盾した姿勢に疑問符をつきつけながら、結婚式は神前で行い、車を買えば事故から逃れる為に、神社でお払いしお守りをもらう。仕事柄、起工式や竣工式にかかわる事がありますが、神主への謝礼が結構高額だと不平を言いつつも、神妙に拍手を打つ。店舗用地の一角に道祖神やお稲荷さんがあればそれを動かすのは不吉だとしてあきらめてしまう。そんなことを繰り返しておりました。

かつてマルクス主義による唯物論の立場から無神論を唱えていたにもかかわらず、漠然とした恐れから不幸・失敗・不運といったものから逃れる手段を一生懸命さがしておりました。如何に早く危険を予測し、難を逃れるか、つまり私は生活の全てをこの手に握っていたのです。自分の家族の今を、未来を良くするのも悪くするのも自分の心掛け次第だと一人肩に力を入れ頑張っていたのでした。

信仰へ

さて、話はわたしが神様の不思議な計らいで教会に通う事にもどるのですが、私は自分の手に、全てをにぎったまま、礼拝に出席する事を続けました。ヨブ記で中断していた聖書も再び読み始めました。仙台にあった2年間、なぜか鞄に入れ続けていた聖書はボロボロになっていましたが、かまわず読み続け、翌年には旧約聖書に一通り目を通すことができました。しかし旧約を読む度に脅されている様な、試されている様な気がして大変屈辱的に感じられるのでした。正直申しまして、読むことすら退屈なところもありました。しかし一度は読まねば何も言えないだろうとの一心で聖書を読んでいました。

また、妻から聖書を学ぶ良い機会として、教会で行われていた求道者会を紹介され、その会が意味する事も知らず参加しました。この事も今振り返ると不思議なことです。私の周りは、受洗の準備として参加した人たちばかりです。私はというと御言葉の一言一言にこだわりどちらかと言うと挑戦者です。しかし教会の副牧師はそんな私を邪魔にする事なく解き明かしをしてくださいました。また一緒に参加した兄弟も私の質問や、副牧師の回答に耳を傾けてくれました。その兄弟が当時を振り返り、不思議な緊張感のある求道者会であったと申しておりました。

こうした時を過ごす一方、私の仕事や家庭では、教育・育成といった働きが要求される場面が数多くなりました。部下を、子供たちを育てるには今なにを教えるべきか。甘やかしては本人の為にならぬ、と手が汗であふれる程全てをにぎっている私は、先の先まで気を回し、或いは将来を心配し、時には罵声を浴びせかけ、ときには皮肉たっぷりに、あるいはエレベーターの様に持ち上げたり引きずり下ろしたりと、「本人の為」を口実に、数多くの人を裁いておりました。その一方で私のやり方に間違いはないのか、いつも不安でした。

そんな時、ある牧師先生の話を聞く機会がありました。子育てを題材にしたものでしたが、話の中心は、全ての事を良い・悪いで分ける事なく神の基に一元である事、悲観的や否定的でなく前向き肯定的に生きる事など生活全般に及ぶ内容であり、私にはその一言一言が非常に参考になりました。人と接する時決してさばかず今も未来も悲観的な心配はしない事が大切だとの話は、深く反省させられる内容でした。

丁度時を同じくして新約を読む事になりました。そしてマタイの福音書7章1節が目に飛び込んできました。「さばいてはいけません。さばかれないためです。」まさにその通りでした。相手にとってよかれと思ってしたことがさばきになっていたのか効果が少しも現れませんでした。将来を按じ様々意見を述べていた私にとってマタイの福音書6章31節32節「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。・・・・あなた方の天の父は、それがみなあなた方に必要であることを知っております」ペテロ第一5章7節「あなた方の思い煩いを一切神にゆだねなさい。神があなた方のことを心配して下さるからです」の御言葉は、極めて新鮮に響きました。と同時に重荷が下ろせる予感を感じました。

しかし一方でこれはご利益信仰ではないかと疑問が出てきます。単に問題から逃避しているに過ぎないではないか。全ての問題は人間が原因だけど、だからこそ解決できない事はない。問題は解決の糸口を見つけられずにいる自分達にあるはずと頑なになるのでした。

困難に直面して

そんな中で、仕事上で大きな問題に直面することになりました。その時私は、ある都市の郊外に地元の商業者と共同で地域一番の規模を持つショッピングセンターを開設する仕事に携わっておりました。当社単独の店作りと違い、全ての項目で両者の利害がぶつかり合い調整が難航していた物件でした。約2年間かけて両者の隔たりを何とか埋め着工していた矢先、会社の方針策定の為、その仕事から私だけが約一ヶ月抜けることとなりました。残されたメンバーは会社合併により私の部門に配属されたひとだけです。開発の仕事は会社が違っても左程大きな違いはありませんので、始めは良かったのですが、やはり企業がもつ独特の文化を理解するには至っておらず様々な点で心配がありました。現場から離れる際に、予想される問題点を考えつくままに出し、対応策を書き留め残るメンバーにゆだねました。そして一ヵ月後現場に戻りましたが、結果は最悪の状況でした。私の予想以上に事が進んでおり、メインの工事以外の付帯する内容とは言え、会社の承認ないままに進展し、実際に工事が進んでしまいました。事後の確認となりますが会社に図ったところ結果はNO。始め強気の担当者も最悪の結果が出た時は会社を非難するばかりで対策なし、万事休すでした。わたしは醜くも私の注意を聞いてくれなかった担当者を詰っていました。

会社の承認なしに走り出した現場。ほとほと困り果てた時、聖書の御言葉が与えられました。コリント人への手紙第一10章13節「あなた方の会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなた方を絶えることが出来ないような試練にあわせることはなさいませんむしろ、耐えることの出来るように、試練と共に脱出の道も備えてくださいます。」何も意識せず神様にお祈りしていました。どうか解決策を下さい。助けてくださいと。いままでの屁理屈男のプライドなどそこにはなくただ主に祈りました。すると共同開発者の顔が浮かびました。え!彼ですか。2年間お互いに利害をぶつけ合い最後はしぶしぶ当社の案を飲まされ不満たらたらの彼に頼むのですか。ほかに手立てがありません。素直にお願いしました。結果は二つ返事でOK。何ら交換条件もなし。全て無条件で引き継いでいただけました。まったく予想外のことでした。

こんな身勝手なお願いが聞かれた。事あるごとに妻の薦めを拒否し、家族の機嫌取りの為だけに教会に出席し、妻を言い負かす為に聖書を読んでいた私を、主は救ってくださった。何か問題があると他人にその原因を探し、あたかも自分が被害者のように取り繕う者にも主はこんなにもやさしく迎えてくださるのか。もう主を拒む理由はないじゃないか。ここまで世話になっているのに妻の薦めを拒むことは出来ないじゃないか。大変ぎこちない気持ちでしたが主を信じてみようかと思うようになりました。

但し、まだこだわりがありました。願いがかなえられたから信じるのかとの自分の中からの問いかけに素直に信仰告白する勇気がありません。そのまま数ヶ月が過ぎました。そしてクリスマスを迎える頃、突然牧師の引退と副牧師の転出がつげられました。と同時にクリスマス洗礼の呼びかけがありました。この時を逃したらだめじゃないか。私を知ってくれている牧師のいる間に洗礼を受けたいとの思いが突然おこり、思わず申し込みをしておりました。あまりに突然でしたので妻は驚いておりました。ぐずぐずする私を主がまた不思議な業で押し出してくれたと思います。かつて次男を通して私を教会に出席させたように、今度は牧師を通して信仰に導かれたと思いました。

洗 礼

こうして1995年のクリスマスに、教会員が歌う賛美歌112番を聞きながら洗礼を受けました。妻が洗礼を受けてから4年後のことでした。数え年42歳、本厄での受洗でした。受洗の日は驚きの連続でした。一度も話したことのない兄弟姉妹が我が事のように喜び、皆一様に妻を祝福しております。妻はと見れば目を赤くして泣いているではありませんか。私は何も変わった実感がないのですが、周りの私を見る目が違ったように感じられました。今振り返れば、兄弟姉妹の気持ちがようやく理解できる思いがします。ヨハネの福音書10章16節「私にはまだ,この囲いに属さないほかの羊があります。私はそれをも導かなければなりません。彼らは私の声に聞き従い,一つの群れ,ひとりの牧者となるのです。」イエス・キリストの一方的な愛の心によってまた一人むなしさの中にいる者が救われた事を素直に喜ぶ信徒の姿がそこにありました。

しかし、当時の私は、まだ主を頭で理解しようとしておりました。聖書と聖書の解説書とそして教会での学びの機会にと積極的に参加しておりました。が、やはり単純な信仰心ではなく、理論的に御言葉を理解しようとしておりました。祈りの生活よりも、学びの生活と言った風でした。教会における奉仕活動に参加することもなく、日曜のみの教会員でした。

一方仕事の方は、以前にも増して忙しくなり、月曜から土曜までは乾杯、乾杯で日曜のみアーメンの生活でした。また、会社の中では,洗礼を受けたことを隠しておりました。仕事上プラスになることなど何もないと思っておりました。こうして使い分けの生活を続けていましたが、主はそんな私を見逃してはくれませんでした。ある仕事を引き継ぐことになりましたが、たまたま物件の近くに神社があり、皆で成功を祈願しお参りすることになりました。この物件は今にも競合他社に決まりそうな物件でした。上司を始め,若い連中まで不思議と真面目にお参りの準備をしております。私もその物件の責任者の一人でしたので、他の用事をこしらえて私だけ中座するわけにも行かず、信仰上の理由で参加出来ない旨申し伝えました。以前の私を知る者もいましたので、皆一様に驚いておりました。またまた主が私の背中を押された訳です。おかげさまでその時からクリスチャンである事を隠す必要がなくなったばかりか、課員全員が日曜日の仕事を入れない様気を使ってくれる様になりました。

主の配剤

この様に、主は折に触れ私の背中を押し、一歩前に進むよう仕向けられました。にもかかわらずわたしは自分の思いで何事もすすめておりました。自分の価値判断で仕事を進め、生活の比重を仕事に置き、子供達のことは妻におしつけたままでした。何も変わっていなかったのです。上の子も中学に進み難しい年頃になりました。事あるごとに妻からSOSが発せられていたようですが、わたしは気が付きません。ただ自分のものさしで子供を推し量り、自分の枠にはめ込もうとして責めるだけでした。遂に子供の目は私を見ることがなくなりました。この間私は子供の件について、一度も真剣に祈っていなかった様に思います。

息子との関係が最悪になった時,主は私達家族を九州に移されました。仕事的には九州・沖縄地区の責任者です。初めて受け持つ地域ですから人脈も地の利もありません。じたばたしても始まらない。わたしは全て主にゆだねる気持ちになっておりました。神様のなされる業は不思議です。そんな環境ですが、子供と接する時間は東京にいた時と比較出来ない程多いのです。たまたま通い始めた教会の牧師が子供達への重荷を持たれており、事あるごとに海に、山に連れ出してくれました。私も時には運転手として付いて行きました。丁度リハビリの期間だったのではないかと思います。

そして一年後、親の看護や子供の進学等の事もあり、主は妻達を仙台に移しました。私にも仙台で仕事を下さい。妻と二人で祈りました。結果、突然東京に異動の辞令がおりました。会社を止めて家族と共に仙台に行くか、東京で単身赴任するか迷いました。その時妻から思いもかけぬ言葉がでました。「お父さん、VIPを覗いてみたら。」祈った結果が東京だから、VIPにかかわってみろと言うのです。私は何の事かわかりませんでした。しかし、妻は以前からVIPの活動を知っていたようです。以前より,私がビジネスマンクリスチャンと交わりを持つ事を祈っていたとの事でした。私は自ら福音を伝える事など考えてみた事もありませんでした。

それは、牧師かベテランクリスチャンのする事だと思っておりました。そんな私の煮え切らない生活を知ってか知らずか、妻はビジネスマン同士の交わりを通して眠ったようなクリスチャン生活が変えられる事を祈っていたようです。

こうした訳で、昨年の初夏、九州より単身着任するのですが、その足でOCCでの祈祷会に参加しました。それまで教会の祈祷会にも出席した事がない者です。生まれて始めての祈祷会でした。祈り方も知らず、初めて会うひとばかり。顔と名前が一致するのはVIP代表役員の市村さんのみです。そしてこの時から、私の生活は一変してしまいます。そして、昨年の9月よりこの場所で司会をする事になりました。こんな私を主は用いてくださるのか。何も知らないのに。でもここで月一回だけの交わりを持たせて頂いておりますが、不思議と満たされるものを感じます。

子供達は妻と共に仙台の教会に通っております。月1回は家族のもとに帰りますが、日曜の夜、東京へ向かう私に、妻とこども達は元気でねと、送り出してくれます。

ヨハネの黙示録22章1節2節:

御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と子羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって,十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その葉は諸国の民を癒した。

月一回の集会ですが、神が用意された12種の実のようであり、ここでの賛美は、川を流れる水のごとく私の心に染みわたるのです。

私の召命

なぜ私は東京にいるのか。詩篇32編8章「わたしは,あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。」主は自分の進むべき道を見つけられないでいる私に対しても、進むべき道を示してくれると約束されています。なんと感謝なことでしょうか。そして、ガラテヤ人への手紙3章26節「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子供です。」頭で理解するのでなく、素朴な信仰に立ち返る時、安らぎと平安が与えられるのを実感するのです。今はこの思いを一人でも多くの人に伝えたいと思っております。