地上での単身赴任

森田敏夫 (Toshio Morita)

■氏は現在グロエー・ジャパン(株)代表取締役社長。本稿はVIPクラブ品川2000年9月26日での証しに加筆修正を加えたものです。

1.家内との死別

VIPクラブ品川の特徴に「ご夫妻での参加を歓迎します」とありますので、見える形では1人ですが、目には見えない家内と一緒に参加しています。家内は約4年半前、私たちのふるさとである「天国」に一足先に帰って行きました。彼女は今、私の人格の一部として私と共に生きています。私は今、「地上での単身赴任」です。このように表現するのが、私には一番ピッタリします。私が彼女に最も感謝していることは、私をクリスチャンになるように導いてくれたことです。

ところで、伴侶を失うということは大変厳しいことです。聖書では、結婚は「人は、その父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる」とあります。伴侶を失うということは、私の体の半分が失われるということです。全国に「生と死を考える会」という会があります、私も上智大学で開かれていた、「分ち合いの会」に参加しました。伴侶を失った「悲嘆」から立ち直るために、多くの人が苦しみの日々を過ごしておられます。苦しみを自分のうちにだけに留めるのではなく、共に分ち合うことによって慰められるのです。

2.江藤淳氏の死別

皆さんも記憶にあると思いますが、昨年7月21日江藤淳氏が自ら命を絶たれました。前年の11月、最愛の奥様をガンで亡くされたからです。「文芸春秋」の昨年5月号に掲載された「妻と私」という作品を読んで、江藤淳氏のつらい気持ちが良くわかりました。直感的に、彼は自殺するのではないかと思いました。江藤淳氏は自殺し、同じ境遇にあったけれども、私は今、喜のうちに生きている。この違いはどこからくるのでしょうか?

私には2人の子供がいます、この子供達にこの悲しみを再び味あわせたくないと考えたのも事実です。しかし、本当の意味で私を立ち直らせたのは、「天国で家内と再び会うことができる」という希望でした。「信じる者は死んでも生きる」という聖書の約束に希望を見出したのです。永遠の生命とは決して死後の生命のことではありません。永遠にして無限なる「神の生命」のことです。私には今、家内と共に永遠の生命に生かされているという平安があります。住んでいる所は確かに違う、見える形の体は無い、しかし2人は共に永遠の生命に生かされている。これは本当のことなのです。ですから「地上での単身赴任」というのが、私の現状を説明するのに最も適当だと思っています。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます(コリントT 10章13節)。

3.学校・就職・結婚

つぎに、私がどのようにして、クリスチャンになったのか、ビジネスマンとしてどのように生かされてきたのかをお話します。私は、中学・高校の6年間をミッションスクールで学びました。この6年間、教会に行ったのはたった2回だけでした。入学直後の教会学校とクリスマスでした。それも礼拝ではありませんでした。しかしこの6年間で、「神がいるとすれば、聖書の神だ」という認識を持つことができました。

ミッションスクール卒業後は、聖書とは全く無縁となりました。私は早稲田大学を卒業して、東洋陶器(現東陶機器)という会社に就職しました。当時は九州の小さな会社でした。本社は小倉市(現北九州市)にありました。3年ぐらい親元を離れて自由に生活したいと考えて、この会社に就職したのです。しかし、3年と思っていたのが長くなって、小倉で結婚することになりました。

社内結婚でしたが、たまたま相手がクリスチャンでした。交際していた時も結婚した時も、彼女がクリスチャンであることはほとんど意識しませんでした。だから結婚式も神前結婚でした。その時は、彼女の信仰は眠っていたのです。私が東京に転勤し、横浜の日吉に住むようになってから彼女の信仰が復活しました。社宅の近くに同窓の先輩クリスチャンが住んでおられたからです。

4.転 勤

私の転勤のキッカケは、私と上司との関係が悪くなったことにあります。私の仕事が取り上げられてしまったのです。仕事でそれほどの落度があったとは思えませんので、(無論全く無かったとは言いませんが)、個人的なことではないかと思います。

社内結婚でしたからサラリーマンの常識からすれば、自分の上司(常務取締役)に仲人をお願いすべきところ、そうしなかったのです。披露宴には招待したのですが、残念ながら出席していただけませんでした。そんなことが原因の一つではなかったかと思います。「やる仕事がないなら、東京に転勤させてほしい」と願い出て、聞き届けられました。そのような理由で転勤したのですから、仕事自体は順調ではありませんでした。

そのうちに、日本経済をドルショック、続いてオイルショックが襲いかかりました。そして、「もはや輸出の時代は過ぎ去った」ということで、私の仕事も輸出関係から国内の営業に変わりました。同じ会社とはいえ、仕事の内容、商売の仕方、上司との関係等々、今までと全く違い、戸惑い、悩みました。自分の居場所がわからない、極端なことを言えば何をどうすれば良いかがわからなくなりました。しかし弱音を吐くこともできません。そんな時は、人の目が気になり、他人が自分をどう見ているかばかりが気になるようになっていました。自信を失っていました。会社を辞めようという思いもありましたが、辞めて次にうまくやれるという自信もありません。

5.家内の「一生のお願い!」

そんな折に、信仰が復活していた家内から、教会に誘われたのです。私の記憶にはありませんが、家内は、「一生のお願い!」と言って誘ったそうです。1969年6月のことです。誘われて行った特別集会の後、次の日曜日から家族で毎週礼拝に行くようになったのですから、主のなさることは不思議です。

私がクリスチャンになるきっかけとなったのは、創世記3章9節の、「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたは、どこにいるのか』」という言葉でした。エデンの園でアダムとエバが禁断の木の実を食べた後、隠れていた時に神から2人に語りかけられた言葉です。

自分がどこに居るのかわからない、自分の存在の意味がわからない、という不安定な状態にいた私に、主なる神が声をかけて下さったと感じました。「私は独りではない、神に覚えられている存在である」ということを知りました。神に覚えられていることを知ったことは、何にも代えられない喜びでした。教会に行き出してから4ヶ月目の10月のことでした。

その時、実に不思議な思いがありました。「今でなければ間に合わない」。何に間に合わなくなるのか、私には全くわかりませんでした。何かに急かされる思いで、11月10日にバプテスマを受けたのです。2ヶ月後に「今でなければ間に合わない」と思わされた理由がはっきりしました。1月に北海道・旭川への転勤が告げられたのです。この3年間で3回目の移動でした。旭川には東陶の営業所はありません、独りで行って、住居の一室を事務所として営業せよというのです。誰一人知る人のいない地、しかも日本一寒い地、不安で一杯でした。サラリーマンとしても決してうれしい転勤ではありません。「同期の多くは課長になっているのに」と暗い思いでした。

ただ一つの拠り所は、「旭川にもきっと教会はある」ということでした。本当にそうでした。金曜日に転居して、すぐ次の日曜日に旭川バプテスト教会に出席できたのです。教会の皆さんは、私たち家族を心から温かく迎えて下さいました。25年経った今も、旭川の人々との交わりは続いています。

家内の明るい、ものおじしない積極的な性格にも救われました。すぐ人と仲良くなれるのです。何事にも積極的で、地域の人に溶け込んで行きました。転勤族は、特に奥さんは、「早く東京に帰りたい」と良く言っていましたが、彼女は旭川生活を心から楽しみ、一度も「東京に帰りたい」とは言いませんでした。本当に助かりました。家内は、子供の転校手続きに学校に行った時、初めて知り合った木彫りの先生の教室に入り、習い始めたのですが、木彫りを教えてもらいながら伝道し、後に、その先生はクリスチャンになりました。伝道の賜物がある人でした。

信仰と教会生活という基礎があって、自分の存在の意味を確認でき、自信を取り戻すことができました。そして再び東京へ転勤となりました。1978年3月のことです。旭川最後の礼拝は、「イースター礼拝」でした。礼拝で始まり、礼拝で終わった3年間でした。3年間の旭川生活は家族にとっても楽しいものになりました。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8章28節)という聖書の約束が真実であることを体験しました。

6.銀座のショールーム

東京での勤務は、銀座のショウルームです。外側は派手ですが、内側は決してそうではありません。ショウルームの仕事は会社でも未開地で、いろいろなアイデアを主から与えられて、改善を行いました。上司、部下を説得する知恵と勇気も与えられました。以前のように人の目を気にすることもなく、言うべきことを言うことができるようになりました。上司からも信頼されるようになりました。

ショウルームの仕事をしているうちに、会社にとって必要と思われることがいろいろ見えてきましたので、ドンドン提案しました。理解ある上司にも恵まれて、「全国ショウルーム統括」の仕事、加えて「お客様相談室」の立ち上げ、さらに「アフターサービス」の企画・運営の仕事と、次々に新しい仕事にチャレンジさせていただきました。主によって、必要な仕事を見出す目、まとめる知恵、提案する勇気が与えられたのです。人の目を気にして何もできなかった過去がうそのようです。私の主は、仕事においても全知であり全能です。

7.グローエ社

新しい仕事にチャレンジさせてもらい楽しく仕事をし、人並みに昇進もし会社に不満もありませんでした。ところが、1992年の末に、ドイツ系のグローエ社からの誘いがあったのです。新しいことに関心がありましたので、家内とも相談して、話を進めることにしました。主のご意志に反することであれば、止めてくださいと自然体で対応していましたら、O.K.になりました。転職は主の御心に反しないと確信し、東陶を円満に退職し、グローエ社に移りました。1993年7月でした。

実は、外資からの勧誘はこれが2度目でした。一度目も今回と同じように自然体で臨みましたが、結果はNOでした。ところが、3年ぐらいでこの会社は日本法人を廃止していますので、主の導きに従ったことは良いことでした。グローエ社の仕事は、主が与えてくださったものとして、主に信頼して精一杯努めました。東陶で不本意ながらいろいろな職場を経験させられたことが、今では大いに役立っています。

私の座右のみ言葉は、「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない」(箴言16章3節)です。主から、「現状をしっかり見る眼」「将来を見通す知恵」「困難に当たっては決断する勇気」が与えられたのです。1993年から2000年までの8年間に、売上高は約2.6倍になる見込みです。利益は赤字から大幅黒字になりました。この不況の時代に、しかも成熟産業でのこの実績は大きなものだと思います。しかし、私の力だけでできたとは考えていません。社員がよく言います。「社長はついていますね」と。そんな時、決して否定はしません。「私には全知、全能の神がついている」と答えます。

8.献 身

私は、グローエ社を今年一杯で辞めて、来る21世紀からは、専ら主に仕える仕事をしたいと思っています。教会の奉仕に関しては、昨年8月15日から横浜ニューライフバプテスト教会の伝道師として仕えています。前任の牧師(アメリカ人宣教師)が宣教団の戦略変更にともなって辞任したからです。

家内の死後、北海道で、2人の牧師から示された聖書の言葉が私を導いてくれました。「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だから立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22章32節)。今仕えている教会は、1992年4月に私の家の狭いリビングルームで始まった教会です。ビルの一室を借りて40名前後の礼拝をしています。先日は2人のバプテスマがあり、祝福されています。このように、元気に生かされ、しかも、主の尊いご用に奉仕させていただいていることは、本当に感謝です。「クリスチャンになって本当に良かった」と思っています。

家内の「一生のお願い!」に感謝し、再び天国で会える時を楽しみにしながら、地上の生涯を生きたいと願っています

私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです(コリントT 9章23節)。