預けられているタラント −父なる神との出会いによる心の傷の癒し-

広崎 仁一 (Hitokazu Hirosaki)

■氏は現在、株式会社 ティ・オー・エー人事部人材開発グループグループ長

愛の神様、摂理の神様である、素晴らしい主の御名を心から賛美いたします。

今日このように証の機会を与えられましたことを感謝いたします。全てのクリスチャンは、神様からユニークな形で愛され導かれているがゆえに“その人にしか語ることが出来ないユニークなメッセージを神様から委ねられている”と私は考えています。今日はこれまでの神様の恵みを振り返りながら、

@私がどのようにして信仰に導かれたのか。

Aこれまでのビジネス人生を通して、主からどのような取り扱いと、霊的な祝福をいただいたのか。

B最近与えられた心の傷の癒し。


に関してお話しをさせていただきます。

生い立ち

私が信仰に導かれるきっかけとなったキーワードは「父」です。私の生い立ちが関連しておりますので、はじめにこのことについて少し触れさせていただきます。

私は昭和27年(1952年)兵庫県淡路島で農家の長男として生まれました。私の父も広崎家の長男として大正12年(1923年)に生まれました。父は田舎生まれの人間ではありましたが、視野が広く、上昇志向も強く、同世代の人々が中々経験出来ないような人生を歩みました。

父は私が1才の時(昭和28年)農業技術の研修の為、約1年間アメリカに行く機会を得ました。その経験が買われ,昭和33年から2年間は(私が6〜7才の時)政府からの要請を受け、東パキスタン(今のバングラデシュ)に稲作の技術指導のため派遣されました。

昭和37年からの5年間(私が10才〜15才の時、小学校5年〜高校1年)はインドへ。昭和49年からの3年間はフィリピンへ。父は合計11年間外国での生活を送りました。

子は「父の後ろ姿を見て育つ」と言いますが、私は父の後ろ姿をあまり見ないで育ちました。小さい時、父に遊んでもらったとか、スキンシップを交わした記憶がほとんどありません。アメリカ・パキスタンは単身での赴任でしたが、インドへは農場長として赴任する為、母の同伴が必須条件となりました。両親も悩んだ末、結局私達を祖父母に預けてインドに行きました(私が5年生、妹が保育園児の時)。

近所の人たちは「お父さんは偉い人やなあ」と口々に言いますが、その頃の私にとっては、子供より仕事を優先し、母を奪って行った父親のイメージしかありませんでした。10才からの5年間は、寂しさとの戦い、欲求不満との戦いの連続でありました。やり場のない寂しさや欲求不満を妹にぶつけ、暴力を振るったことも少なくありませんでした。ある事がきっかけで、伯母に包丁をもって立ち向かったこともありました。もしあの時本当に切り付けていたら、少年院送りになっていたかも知れません。

心に傷を受ける

中学2年生の頃、私にとって忘れられない出来事がありました。授業中、先生が何気なく次の様に言った事がありました。「小さい時に父親を無くした子、又は父親がいても一緒に過ごした経験が少ない男の子は、成長して大きくなっても、男として何かもの足りない所が見られる・・」と。さらっと言われた言葉が心にグサッと来ました。まさしく自分こそそれだと思いました。「自分は大きくなってもどこかに欠陥を持った人間であり、ノーマルな成長が出来ない。」そういうメッセージとして聞こえて来ました。血の気が引き、心臓がドキドキ鳴った事を今でもはっきりと覚えています。自分は決定的に取り返しのつかないハンディキャップを負ってしまった。父親と一緒に生活していれば、当然受ける事ができたであろう大切なものを受け損なったという思いに囚われ、強烈な劣等感を持つようになりました。

「自分には何かが足りない」そういうおどおどした気持ちを抱きながら、同時に“受け損なった父性部分の取り戻し・穴埋め”をどうすれば良いのか?という思いで一杯でした。

クリスチャンとの出会い

両親のインドへの赴任は当初3年間の予定でした。それが2年伸びて結局5年になりました。高校に合格しましたが(この時点で両親はまだインドに在住)バス通学で1時間以上かかること、これ以上祖父母に迷惑をかけたくないという気持ちや、周りからの勧めもあり、洲本市内に下宿をするようになりました。この下宿のおばさんがクリスチャンだったのです。そしておばさんに誘われるまま、教会に通う様になりました。初夏になってインドから両親が帰って来ました。けれども既に下宿していましたので、高校3年間は下宿生活を続けました。(ですから両親とは小学校5年生の時以来今日まで、離れて暮らすことになります)

その教会には私以外若者がいませんでしたが、日曜日には教会に通い続けていました。メッセージは初めのうちはよく分からない点や、厳しいと思われる面が沢山ありましたが、自分が聖書でいう“罪人”である事だけはだんだん分かりはじめて来ました。キリストの十字架の意味もおぼろげに分かって来ました。過去に犯した罪を赦されたいという思いも湧いて来ました。

信仰の決心

年が明け1月14・15日に、洲本の教会に大村裕康先生をお迎えして、特別集会が開かれました。この日のメッセージはとても新鮮でした。グイグイ心の中に入って来ました。メッセージの後も、先生が個人的にお話して下さいました。この時ハッと気づいた事がありました。私達の神様は“天のお父様だ!”と。そして父なる神様は、全知全能の神様であり、この神様を信じるとハンディキャップとなっている“父性部分の取り戻し”が実現出来るのではないか、という思いが心に湧いて来ました。キリストの十字架で罪が赦されることもはっきり示され、その晩信仰の決心をいたしました。その時に先生から、ヨハネの福音書15章16節の御言葉をいただきました。「あなたがたが私を選んだのではありません。私があなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」この御言葉にも驚きました。「私があなたがたを選んだ!」初めに神様のご意志があったのです。自分は悲劇の運命のヒーローでは無く、最初から神の愛の対象であったのです。

この入信を通して、摂理の中で導かれる神様を崇める事が出来ました。両親がインドにいた期間が3年ではなく5年に延びたこと。そしてそのことで下宿をする様になり、クリスチャンと出会い、教会に通うようになった事。自分の心の傷が、天の父なる神様を信じるきっかけになったこと。全て神様が描かれた心憎いシナリオでありました。ハレルヤ!

学生時代に学んだこと

高校卒業後、上京し一年浪人して大学に入りました。一年浪人生活をしましたが、志望校に入れなかったことに意気消沈し、自分の怠慢で神様の計画を曲げてしまったのではないかという思いに支配されていました。その事で自分を責める事もありました。

そんな時、次のようなメッセージに触れました。「本当の喜びは、自分の希望や願いがかなうことの中にあるのではなく、誰かのために自分をすり減らして行く過程の中にこそ本当の喜びがある。ろうそくが自分の身を溶かしながら、周りを明るくさせていくように。」このメッセージにかけてみようと思いました。それから、ある人の救いのために一生懸命祈り仕えました。その人が主を信じた時は、本当に喜びに満たされました。“自分は主の働きに用いられた!神の栄光のためにこんな私が用いられた。”この「ろうそくのたとえ」は今も自分の行動の原点になっています。

4年生になったとき、牧師先生から一つのチャレンジが与えられました。「良い就職先を見つけるために、あえて留年する学生はいるが、自分が卒業した後キャンパスに信仰の後継者がいなくなるという理由で(後継者づくりの為に)留年するクリスチャンがいても良いのではないか。」という内容でした。私も当時KGK(キリスト者学生会)の活動をしておりましたが(お茶の水キャンパスにおいて)、私のキャンパス(理工学部)には私の他にクリスチャンがいない状態でした。そこで思い切って沖へ漕ぎ出すことにいたしました。理工学部内で聖書研究会を始めたのです。感謝なことに素晴らしい後継者が与えられ、大学も(4年で)無事卒業する事が出来ました。この事でリスクはあっても信仰を持って一歩踏み出す時に、神様の大いなる祝福が待っていることを経験させていただきました。就職活動も祝福され、志望していた企業に採用が決まりました。

社会人としてのスタートと第一の危機

昭和50年(1975年)に外資系事務機・コンピュータメーカーであるN社に入社しました。毎年フォーチュン誌の世界トップ100社に入る多国籍企業で、全世界で8万名、日本では2300名の従業員を抱えていました。私はそこでコンピュータのシステムセールスとして働きました。

入社6年を過ぎた頃に、第一の危機がやって来ました。ワールドワイドのリストラが始まったのです。N社の業績はさほど悪くはありませんでしたが、2300名を1500名にするという形でリストラの波が押し寄せてまいりました。マネージャークラスの降格人事から始まり、成績が思わしくない社員にはとても居辛い雰囲気が支配するようになりました。この頃から仲間の多くが日本のコンピュータメーカー、ディーラーへ転職して行くようになりました。

私もこの先会社は一体どうなるのだろうか?という不安を抱きつつ、心理的な行き詰まりを覚えておりました。祈らされました。そのうち私にも2社からリクルーティングのお誘いをいただきました。このままこの会社に残るべきか?富士通系のA社に行くべきか?日本電気系のB社に行くべきか?三つの選択肢がありましたが、どれも確信が持てない状況でした。

苦難の日には私を呼び求めよ。私はあなたを助け出そう。あなたは私をあがめよう(詩編 50:15)。

私の神は、苦難の日に叫ぶと応えて下さる神でした。行き詰まった時に、主が開こうとされる道が示されました。

主が開いて下さった道

三つの選択肢のどれをとっても確信が持てない時、思いもよらない第四の道が極秘のうちに開かれようとしていました。けれどもそれは最もリスクが大きい道でした。N社の仲間40名余りで、新しい会社を立ち上げるという内容のものでした。神様の細き御声を聞きつつ、信仰を持って、ベンチャービジネス参画への意志を固めて行きました。

いよいよ新会社設立に意思表示をする日が来ました。(勿論これは秘密裡に実行されましたが)まず某ホテルの一室に一人づつ呼ばれました。そこには、新会社の社長、専務、常務の3名の役員がおりました。新しい会社の理念・経営方針が短く説明された後、「一人三役(社員・株主・経営者)の心構えで、全力を尽くて立ち向かっていきましょう。」と熱意を持って語られました。私も「はい。よろしくお願いします。」と言って決意を新たにしました。仕度金(出資金)の振り込みについて説明が為され、最後に固い握手をして部屋を出ました。その後少し経ってから辞表を提出し、N社を去ることになりました。

新会社スタート

1982年の1月に株式会社ティ・オー・エー(TOA)が設立されました。理想に燃え45名で船出したとは言え、いくつかの心配事がありました。それは、

@ 会社を設立すると3年以内に90%以上が倒産するといわれるが、その中に入らない
だろうか?
A 知名度の低い会社から、コンピュータを買ってくれるお客様がいるだろうか?
B コンピュータは足の長い商売。資金繰りは大丈夫だろうか?
C 最初の45名は集まったが、その後のリクルーティングは順調に進むだろうか。優秀な学生が名もない会社に入って来てくれるだろうか?
etc.

会社を立ち上げたものの、不安を払拭し切れないままの状態でした。

この様な中でのスタートでしたが、ここでも摂理の神様の素晴らしい御業を拝する事が出来ました。N社でもトップセールスマンであったクリスチャンのS氏と出会う事が出来、その方が私の上司になったのです。S氏とのペアでその年、キリスト教界のマスメディアや宣教団体に、複数のコンピュータシステムを導入する事が出来ました。ビジネスを通して、神の国の働きに貢献出来た事は、この上ない喜びでした。その他にも、これでもかと言わんばかりの祝福を初年度からいただき、主が開いて下さった道である事を確信する事が出来ました。

第二の危機、バブルの崩壊

その後、会社は順調に成長し(9年間で年商も従業員も8倍となる)あと一息で店頭公開というところまでこぎつける事が出来ました。しかしながらバブル経済が崩壊した為、90年度の業績をピークに、その後右肩下がりの道をたどることになりました。店頭公開の夢が破れただけではなく、辛く苦しい経験も多く味わいました。あの理想に燃えて出発したTOAは一体どうなったのか?と、悔しさが込み上げてきて、どうしようもない時もしばしばありました。しかしながら苦しいところを通らされたがゆえに、その試練の中でしか学ぶ事が出来ない霊的教訓を多く戴いた事は恵みでした。Tコリント13章8節の「Love never fails」(愛は決してしくじる事がない/愛は決して絶えることがありません)の御言葉も、神様から戴いた大きな慰めでした。会社の業績も95年から回復基調に戻り感謝しました。

“タラントのたとえ”からの発見と教訓

98年は霊的にとても恵まれた年となりました。これまでの歩み・導きの意味を主が説き明かして下さいました。そのきっかけとなった本がリック・ウォレン著「健康な教会への鍵」(The purpose driven church)でした。またこの本はリビングバイブルからの引用が多く、微妙なニュアンスの違いに興味を覚えた為、早速購入して他の聖書の訳と見比べながら読んだりもしておりました。

第二章の「教会成長についての神話」の中で有名な“タラントのたとえ”(マタイ25:14〜30)の話が出てきました。このマタイの福音書25章14節をリビングバイブルでは「天国はまた、他国へ出かけたある人の例で説明できます。彼は出発前に、使用人たちを呼び『さあ、元手をやるから、これで留守中に商売をしろ』と、それぞれにお金を預けました。」と訳しております。私にはこれまでのビジネス上のバックグラウンドがあったため、この箇所は「さあ、タラントを資本金にして、ベンチャービジネスを起こしなさい」と聞こえて来ました。1タラントは6000デナリ。1デナリは日本円にして約1万円ですから、1タラントは6000万円となります。ここでハッとしました。この時初めて気が付いたのです。実はTOAがベンチャービジネスとして会社を設立した当初の資本金はなんと6000万円だったのです。(5000万円でも7000万円でもなく)この瞬間まで、設立当初の資本金が、1タラントであったことに気がついていなかったのです。

一体これはどういうことだ!?何を意味しているのか?これが神様の摂理の業であるとするならば、この“タラントのたとえ”のメッセージから神様は私に何を教えようとされているのだろうか? と考えました。神様は私に対するこれまでの導きと経験を用いて、何か語るべきメッセージを委ねようとされているのか?とも考えました。

このタラントのたとえでは、主人から5タラント預かり5タラント儲けたもしもべと、2タラント預かり2タラント儲けたしもべに「良くやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」と全く同じ言葉がかけられています。この箇所でイエス様は「忠実」さを「行動」(→すぐに行って商売をした)と関連づけて“実を結ぶために喜んでリスクを負うこと”(→それには信仰が求められる)と定義されました。一方、リスクを負おうとしなかった者は、怠け者と呼ばれました。(→25:26「悪い怠け者のしもべだ。」)

主人から預かったタラントを、地の中に隠したしもべは最後には、そのタラントさえも取り上げられる結果となりました。専門家によると、忠実(ピストス)という言葉は、信仰(ピスティス)と言う言葉と同じ語源だそうです。また信仰とは、神の言葉を聴いたときどのようにリスポンスするか?という選択でもあります。リスポンシビリティ(責任)という言葉は、リスポンス(応答)するアビリティ(能力)だと言われています。私達には皆、選択(応答)の結果を刈り取る自己責任があります。この箇所は私に「TOAを立ち上げた様なあの熱心さと真剣さを持って、神の国の働きにも取り組みなさい。」と、主が語って下さっているように思えます。

二つの疑問とその意味

ここで二つの疑問がありました。一つ目は、何故TOAの資本金が1タラントであったのか?という事です。マタイ25章では、1タラント預かった人は“負け組”で、5タラントと2タラント預かった人が、いわば“勝ち組”となっています。どうせなら資本金は2タラントであって欲しかった・・と思いました。でもこの事の中にこそ私に委ねられたメッセージがあるのではないかと示されました。全ての人は、神様からどんなに少なくても1タラント以上の賜物を与えられ、それを預かっています。「私には何の賜物もありません。」というような否定的・消極的な言い方をしてはならないのです。(一見、謙遜のように見えますが・・)これまでの経験を通して私が確信を持って言うことが出来るのは「1タラントは決して小さくない!」という事です。1タラントを上手に運用さえすれば、年商も資産もドンドン増えて行きます。(TOAの資本金も1億9000万円になりました)「1タラントは小さくない!少なくない!このメッセージを力説せよ!」と主は仰せられているように思いました。

二つ目の疑問は25章21節の「わずかな物に忠実だったから・・」です。何故「わずか」なのか?5タラントは決してわずかではないのに・・。主が私に示して下さったそのヒントはマタイ18章にありました。23節からは地上の王様に1万タラントの借りがあるしもべが、借金を免除されるというたとえ話があります。(1万タラントと比べると確かに5タラントはわずかです)1万タラントといえば6000億円です。日本の一流企業でも年商6000億円の企業はそう多くはありません。この金額はキリストが十字架の上で流された血の代価(払い切れない血の代価)を象徴していると言えます。実は私達人間の実体は皆“6000億円の負債を背負った自己破産者”であります。

今年日本では個人の自己破産件数が12万件を超えると言われていますが、霊的には全ての人が自己破産者なのです。ところが福音の素晴らしさは、そのとんでもない借金は、既にキリストの十字架の贖いにより全て支払われており、この事を信仰によって受け入れる者は赦される!と宣言している事です。罪は償いを要求し、私達に支払え!支払え!と追い立ててまいりますが、その地獄のような取りたてからクリスチャンは完全に解放されているのです。私たちは主の前に何も誇るものを持っておりません。ただ恵みと哀れみのゆえに赦され生かされている存在です。6000億円の免責!偉大な赦し!偉大な恵み!がここにあります。文字どおり私達は“高価で尊い”存在なのです。

神の国の事業への召し

地上における自己破産者は、選挙権を失う訳ではありませんが、法律上いろいろな資格制限を受けることになります。たとえば、弁護士や株式会社の取締役・監査役にはなれません。また郵便物などは破産管財人によって、内容を調査されたりします。これが地上の掟です。

霊的な自己破産者である私達に対して、主は1万タラント(6000億円)の負債を赦して下さっただけではなく、ある人には6000万円を、ある人には3億円をポンと渡し、「これで商売をしてみなさい。あなたはかつて自己破産者でした。けれども私は完全に赦しましたよ。私が資本金(タラント)を出しますから、あなたも経営者となって商売をしてみなさい。」と主は語って下さっています。主は赦しを与えた人間に、資本金まで用意しチャンスを与え、神の国の事業に参画するように、私達を招いていて下さっています。

19年前、TOAの設立に参画する意志を表明する為に某ホテルに呼ばれた事を思い出します。そこには3人の役員がおりました。「君も新会社の共同経営者(一人三役)としてこの事業に参画しないか?」と問われ「はい。よろしくお願いします。」と力強く応えた事を思い出します。

今、三位一体の神様が、神の国を建て上げるという、永遠の価値を持つ偉大な事業に参画しないかと、私達を招いて下さっています。私達はその神様の呼びかけに対して、「はい、一緒にやらせていただきます。」と応える他に何があるでしょうか。この呼びかけを拒む者は愚かな人になります。

これがマタイ25章の“タラントのたとえ”から私が教えられた霊的教訓であります。福音の贖いの素晴らしさを感じます。完全な回復と希望があります。主は私達に期待を込めてタラント(賜物)を預けて下さっています。なんと感謝な事でしょうか。

あなたがたは代価を払って買い取られたのです。ですから、自分の体を持って神の栄光を現しなさい(Tコリント6:20)。

タラント増殖の法則

25章29節には「だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。」とあります。

ここでちょっと考えてみましょう。1万タラント(6000億円)の負債を完全に免責された私たちは、神様からいただいている賜物の大きさが、1タラントであろうが、2タラントあるいは5タラントであろうが、そんな差は「小さい!小さい!」ということです。(他人と比較するのではなく)ただ自分に預けられているタラントを神様の栄光の為に使う時「私はもっと沢山のものを任せよう。」と言って下さるし、その上「だれでも持っているものは、与えられて豊かになる。」と神様は約束して下さっています。5タラント預かった者は、さらに5タラント儲け、その上怠け者の1タラントの分まで与えられ、合計11タラントになりました。これが「神の国におけるタラント増殖の法則」です。ただ感謝して、自分に出来る事を信仰によって行うことを神様は望んでおられます。

わずかなものに忠実になるとは、信仰によって今用いる事が出来るタラント(賜物)をフルに活用して、神と隣人のために仕えていく事だと言えます。神様は私たちが神の栄光を現わすことができるようにと、一人一人に違ったタラントを預けられました。私たちそれぞれの立場、能力、影響力、またユニークな経験もタラントであると思います。経験がタラントであるならば、体験を通して学んだ「神の国の奥義」を土の中に埋めておくことは、不忠実なしもべになってしまいます。土の中に埋めるのではなくそれを表に現し、積極的に証する事を神様は望んでおられます。全てのクリスチャンは、その人しか語れないメッセージを持っています。私たちに委ねられたメッセージを感謝と喜びとをもって語る時、主は栄光をお受けになられます。

父の再発見

98年から99年にかけて、まだ開かれていなかった私の霊的な目を開くために、主は一つ一つが関連性を持った様々な出来事・出会い・学びの時を用意していて下さいました。

98年の夏には、父が周りの方々に勧められ、75才になる事を機に、自分史のようなものを書いていると聞かされておりました。夏休みに田舎に帰った折り、父の原稿を読む機会を得て、父を再発見したように思いました。小さい頃からよく外国に行き、小学校5年生からはずっと離れて暮らしていたため、意外に知らない事が多くありました。自分もかつて父がインドで活躍していた年代になり、男にとって仕事とはどういうものであるか?という事を考える中で、新たに父に対する理解と尊敬の念が湧いてきました。これは私にとっても嬉しい事でした。今までとは違った視点から、父を見ている自分自身の発見でもありました。あの時(自分が小さかった時)は、父もああする事しか出来なかったのだなあという思いになり、気持ちの上で納得も出来ました。父を理解し赦すことが出来たのです。

父の自分史「我人生の歩みを振り返って」という題は、私が名付け親になりました。その後、原稿の見直し・修正、WP入力、編集の手伝いと、98年の夏休みはこれらの作業で忙殺されました。父の自分史の制作にあたっては、母や私の家内も手伝いに加わり、家族一体で作りあげ、久々に“ファミリー”を実感した一大イベントとなりました。本が出来上がり、父が嬉し涙を流しているという事を母から聞いた時“少しは親孝行が出来たかな”という満足感を覚えました。98年は尊敬出来る父親を再発見しました。けれどもまだ親しみを持って自分を愛してくれた父の発見には至ってはいませんでした。

心の傷の癒し

私は現在JTJ宣教神学校の通信コースで学んでいます。1998年11月3日のスクーリングのテーマは「三位一体論とクリスチャンの霊性」で講師は重田稔仁先生でした。この講義では、“私達は三位一体の神の交わりに招かれている”という事を様々な角度から教えていただきました。その際に重田先生の教授であった、リージェントカレッジのジェームズ・フーストン先生の著書が来年の春頃に出版される事を伺いました。

99年の4月から5月にかけて、フーストン先生の著書「神との友情」と、「百万人の福音」での特集「『父』の再発見」を読む機会が与えられました。この特集での重田先生の特別寄稿が私に強く語りかけてまいりました。先生もご自身の「父捜し」の過程で、ヨハネの福音書1章18節の御言葉を通し「父のぬくもり、ふところに抱かれた感触を思い出した」と告白しておられました。正直言ってうらやましいと思いました。私にはそこまでの体験が無かったからです。

その後、李光雨先生著「深い傷、深いいやし、深い愛」で「信仰による映像化の祈り(Faith Picturing)」にも触れる機会をいただきました。99年7月19〜20日には、教会主催の特別祈祷キャンプが奥多摩バイブルシャレーで行われました。その中で、韓国の柳長老様の「フットプリント(Foot Prints)」に関する証を聞き、また「全て疲れた人よ」の賛美を捧げました。その後、午前11時頃から1時間程一人になって祈る時がありました。その時私の心は「今、三位一体の神の交わりに招かれている」という思いが支配していました。

マタイの福音書11章28〜29節「全て疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます。私は心優しく、へりくだっているから、あなたがたも私のくびきを負って、私から学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」の御言葉が心に浮かんでまいりました。その時不思議な光景がイメージの世界の中で表れて来ました。イエス様が私の肩に手を回して、一緒に歩んでくれているイメージでした。神の子なるイエス様は私の肩に手を回してくれましたが、では一体天の父は私にどう関わって下さるのだろうか?と祈りながら考えていました。祈りの中で父なる神を探していたのでした。その時、自分の体がグワーッと持ち上がるような感覚、私の視点がグーッと高くなって行く感覚を覚えました。(丁度外が見えるエレベーターに乗っている様な感覚でした)実はその時私は、天の父に肩車されていたのです。その瞬間、私の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちました。

過去のある事を思い出したのです。私は自分の父はほとんどかまってくれたことがない、スキンシップはほとんど無かったと思い込んでいたのですが、昔父に肩車をしてもらって、本当に嬉しくなり、得意満面になっていた自分の姿が、意識下の記憶から甦ったのです。

私には娘と息子がいますが、彼らにも幼い頃よく肩車をしてあげました。その時父親である私は、子供が落ちないように、両手でギュッと彼らの足をつかんでいました。同じように私の父も、私が小さい時にこうしてくれたのだと想像すると、私も父に愛されたのだという思いが込み上げて来て、温かいぬくもりを感じました。昨年、尊敬にまで至った父親でしたが、今年は父に親しみを感じる事が出来ました。

そしてまた父なる神様に対しても、私をしっかり捕まえ、いつも肩車してくれている親しい神様のイメージが湧いてきました。私の「フットプリント」は天の父の肩車であったのです。中学生の時からずっと“受け損なった父性部分の穴埋め”を求めて来た自分がありました。それが私にとっての重荷でもありましたが、やっと探していたものを見出したように思い、言い知れない平安を感じました。三位一体の神に招かれているという信仰と、豊かに注がれている神の愛が私の心を癒したのです。

神である主はこう仰せられる。見よ。私は国々に向かって手を上げ、私の旗を国々の民に向かって揚げる。彼らは、あなたの息子たちをふところに抱いて来、あなたの娘たちは肩に負われて来る(イザヤ書49章22節)。

全てのクリスチャンは、その人にしか語ることが出来ないメッセージを神様から委ねられています。そしてその証を語る時に、神の栄光が現われます。今日この様な機会を与えられた事を心から感謝いたします。