信仰・希望・愛

岡村 のり子 (Noriko Okamura)

■女史はアメリカン・エキスプレスインターナショナル, Inc.勤務。本稿は2000年5月16日のインターナショナルVIPクラブ(新宿)におけるスピーチを修正したものです。於 京王プラザホテル

ご挨拶

皆さん こんばんは。ただ今、ご紹介いただきました岡村と申します。

本日は、みなさんの前でこのようにお話できる機会を与えられたことを感謝いたします。実はこの場を迎えるに当たり、20年位前の日記を取り出し読みました。するとドラマのひとコマのように当時のことが鮮明に思い出されました。今までの道程を思う時に、新たに今、ここに私がに存在していることが嬉しく思われてなりません。言いすぎかもしれませんが、「生きている喜び」です。

さて、今日は、3つの事について、お話したいと思います。信仰、希望、愛についてです。 どのように信仰が与えられ、失望の中に希望を見出し、また、豊かに愛に生きているかという事実です。この信仰、希望、愛の言葉は、書道の上手な滝沢さん(旧姓)から短冊にして10数年前に頂いたものです。そして、大切にし、励まされてきた言葉です。私はこれらの窓をゆっくりと静かに、神により開かれてきました。

それでは、まず、信仰について

皆さん、物を知る2つ方法をご存知だと思います。

1. 概念や言葉によって知る方法、すなわち学問よって知る方法です。
2. 直接的な出会いと体験によって知る方法です。

私は、まぎれもなく、後者でした。私が初めて教会へ足を運ぶようになったのは、当時働らいていた東洋水産(株)の英語クラブで出会ったクリス岡田さん(当時早稲田大学国際部の留学生)に誘われ英語を学ぶためでした。雪の降る寒い冬の日に東京バプテスト教会の玄関でクリスさんを待っていると、Miss Eriot(宣教師)が英語で話しかけてくださいました。何をいわれたのか正確な記憶はありませんが、クリスさんが風邪でこられないから私のクラスにいらしたらどうですか?と言ったような内容のようだったと思います。とにかく英語は勿論のこと、すべてが目を見はることばかりでした。そして、ここで聖書と初めてのご対面となったわけです。

牛乳瓶のような厚底眼鏡をした美人Miss Eriotの奥の目が優しくそして強く感じ、彼女のクラスに継続して参加しました。教会では多くの方々に親切にしていただきました。特にMr. & Mrs, Pateは私を娘のように大切にしてくださいました。また、恩帰せがましくありませんでした。親戚でもないのにどうしてこんなに親切なのだろうと感動しました。やがて時が重なり回りの方々がいつ洗礼を受けるのかと打診をし始めました。“キリストを信じ受け入れたらどうなる?”の疑問が常にまとわりつきました。家族は真言宗だし、親戚見回してもだれもキリスト教はいないし、初心は英語の勉強だったはずであると、かたくなに拒否をしました。

ここで少し話しはそれますが、私の生まれ育った環境について説明をいたします。 私は千葉県夷隅郡大原町という所で生まれました。寺と神社が順番に四方八方にあり、日蓮で有名な誕生寺も近く、子供の頃は祖父に連れられてよくお祭りに出かけたものです。その上、江戸時代から伝わる「裸まつり」も有名です。こんな行事の中で子供心に神社の見えない神さまを不思議に感じていました。 神社の中は殆ど空で、御神輿しかありませんが、町の人々はとても大切にしています。また、 大晦日になると私の実家ではまず、お寺に行き除夜の鐘をつき、その足で神社に行きお参りし、お神酒を頂き、それから床につきます。兄は毎年かかさず、家長としてこれをつづけています。一方教会と言えば、十字架とお金持ちしか行かない幼稚園がある所とのいう理解しかありませんでした。

さて、再び話を元に戻しますが、こんな環境で育った私でしたが、イエスさまを拒否しつづけた私も、何か不思議なかき消せない心の動きを感じました。神さまは徐々に私の心に席を置かれたのです。少しの不安を残しながら、また聖書のすべての学びを終えていませんでしたが、神を受け入れる決心をし、1978年5月14日の母の日に東京バプテスト教会で洗礼を受けました。その後しばらくして、聖書を毎朝一緒に読んでくださる方が与えられました。ナービゲーターの笹田さんです。毎朝7時頃にお電話をくださり、共にその日の聖書の言葉を学び合いました。笹田さんと旧約聖書の詩編を学びましたが、これは私の心に水が与えられ草原が作られるような思いでした。笹田さんはこのようにして聖書を深く読むことのすばらしさを教えてくださいました。 聖書の意味が少しずつ理解し始め、聖書の言葉の中に常に新しい発見があり、感動の日々でした。

次は希望についてです

失望から、復活のような大きな希望を見出したことです。突然ですが、皆さん、死にたいと思った時がありますか? 私は、死にたいと思った時が一度、そして死んでもいい(あきらめではなく神に委ねるという意味)と思った時が一度あります。前者はだれでも味あう失恋でした。今を思うと若かったと思うのですが、その時は夢中でしたから、食べる物も喉を通らずノイローゼの一歩手前までいきました。今日は、後者についてお話したいと思います。1985年の1月のことです。私が、新しい部署(すでにこの時はアメリカン・エキスプレスで働いていました。)に配属になった、1週間後に母が突然癌で余命1ヶ月と言う診断をうけました。

38歳で未亡人になり、3人の子供を育て上げた後にこんなむごいことが起きるなんてとても受け入れられませんでした。気の弱い母には病名を隠しつつ、10ヶ月間家族全員でできる限りの看病をしました。病名を隠しつつ看病することは家族にとって本当に心痛む日々でした。しかし、力尽きて父の命日近くの10月9日に享年58歳で亡くなりました。母は、私にとって、父であり、母であり、姉妹であり、友人でありましたから、それまでの人生の中で一番寂しく辛い経験でした。そして、悪いことはさらにつづきました。その年のクリスマスには私のアパートに泥棒が入り多少の宝石ですが盗まれてしまいました。そしてアパートの立ち退きを迫まられ、自分だけにふりかかる不幸にたいし、神に苦しみを訴える日々でした。 その時与えられた聖書の言葉は

あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に合わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えてくださるのである(コリント人への第一の手紙10章13節)。

「五体満足に成長した私に何が不満があるのか?。世の中にはもっと不幸な人々や同じ経験をしている人々は多くいるはずではないか?」と勇気が湧いてきました。 その後友人の勧めにより、会社を休んで2年間の教育休暇を取りアメリカに行く決心をしました。先ほどお話したMr, Pateに相談し、1986年3月2日サンノゼ大学の入学手続きをお願いしました。すべてが、スムーズに行くように見えました。ところが、母の死のことから、弟が私にアメリカに行く前に人間ドックを勧めました。人間ドックに入ってみると、大きな筋腫(私の中では癌の疑いがありました。)が発覚してしまい、すぐに手術の必要があると告げられました。私は4つ病院を1人で駆け回り、手術する病院を決めましたが、手術にあたり、以前看護婦をしていた叔母に打ち明け、医師からの説明を受けることをお願いしました。

叔母は私に“のり子ちゃん、すべて先生におまかせするしかないわね。”と言ってくれました。この時、事実を受け入れたくない私の気持ちが、すでに神にすがりついていました。家族に心配をさせたくないため、すべての準備を1人ですませましたが、家族が私を思う気持ちを考えると申し訳ない気持ちで一杯になりました。こんな思いを抱きながら、すでにアメリカに行くためにアパートは引き払つてしまいましたので、海外に出ている友人のアパートを借り、手術までの間、1人で日々祈りました。癌でありませんように、また万一、天国に行くことになるなら、両親会えますようにと祈りました。しかし、最後にはすべてを神におまかせしました。

すると大きな平安と共に心に静寂が与えられました。望み通り手術結果は予想以上に良いものでした。私には記憶がありませんが、術後の麻酔が覚め始めた時に、英語と日本語で「神さま助けて?」とか言っていたと弟に言われました。自他共にここで家族に対する信仰表明ができたように感じました。また、この当時牧師婦人の助手として2歳―3歳の子供たちの日曜学校のお手伝いをしていましたので、麻酔から覚めた時に一番先に目に入ったのが、教会から送られたピンクの花篭でした。子供たちがいつも遊んでいる天使のような光景が目に浮かび大きな励ましとなりました。

これらの試練を通して、多くのことを学びました。すべて肉の思いをすて、神に明け渡した時に、完全な平安と正しい判断が与えられる事を経験しました。ふと、帰り見ると、以前から祈りつづけていたアメリカ行きはちゃんとかなえられていました。すべてがスムーズに多くの助け人が与えられました。この時こそ神の存在を実感したことはありません。祈るならば決して失望はなく、必ず神さまは希望をかなえてくださることを確信しました。そして益々祈りに力を入れるようになりました。

最後の愛についてです

皆さんは最近、愛されている喜びを感じたことがありますか? 又 日々愛の実践をされていますか?昨今、ニユースで多くの自殺や殺人が報道されています。まさに人間関係の希薄さを見せつけられているように思われます。聖書の中に「隣人を愛せよ」とあることを皆さんご存知だと思います。ここで私の隣人である職場の人について少し触れようと思います。

2年前の7月、人事異動によりメール室の配属(現職)になりました。この時のショックは隠し切れないものがありました。今までメール室に女性が配属されたことはありませんでしたし、年配の男性も多く暗いイメージでした。その上、再びアパートの立ち退きと癌の疑いの手術と重なり、トリプルパンチでした。しかし今回は神の意図が見えたように思えました。再び、家族と多くの姉妹に支えられました。そして、その後、VIPクラブとの出会いがありました。前に、村上牧師から頂いた聖書の言葉 ; イザヤ書 43章:4節 「わたしの目にはあなたは高価で尊い」の理念に基づくものでしたので早速参加して現在に至っています。 私はVIPクラブを通して、本当に愛することを学びました。地位や名誉ではなく心をもって愛することです。そして、必要に応じて、具体的な援助をすることです。

心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する(マルコ福音書12章33節)。

私はここで不満から、目的をみいだしました。そして外面ではなく一人一人を心の目と耳で、家族のように愛するようにしました。神さまは外面ではなく心を見なさいと言われるのです。 すると、いつしかチームワークができあがり、お互いの信頼関係を築き上げることができました。もちろん仕事ですから、楽しいことばかりではありませんが、人にとり、最も必要な処方箋は、愛であると実感しました。

聖書には、

愛は寛容であり、愛は情深い。またねたむことをしない。愛はたかぶらない、誇らない、無作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで心理を喜ぶ。そして、すべてを望み、すべてを耐える(第一コリント13章4節−7節)。

とあります。愛の意味は本当に奥深く実践は難しいのですが、ふと、自分の行動を振り省えると、神から、両親から、友人から愛されたように愛しているのです。毎日が小さな一生です。神からの愛の香りを充分に放ち豊かな人生にしたいと思います。

最後にまとめますが

信仰を受け入れ、神の愛により常に希望が与えられ豊かに生きている今の私の人生に後悔はありません。ここで終わりたいところですが、VIPクラブを通して私が学んだことを手短にいくつか述べたいと思います。第一に、聖書の言葉は鏡です。 VIPクラブの案内をご覧になられて、「まあ!社会的VIP-すなわ地位や名誉がある方ばかりでは?」と疑問をもたれたことでしょう。まさにその通りで、知名度の高い方も多くおられますが、いわゆるVIPの方々とは少し異なります。皆さんが常に謙遜に聖書の言葉を鏡としているのです。年をとればとるほど、地位が高くなれば高くなるほど、だれも個人的な注意はしてくれません。 基本となる神に、常に自己を照らし、人に仕える奉仕の心があるのです。 第二に、先ほど申しあげた、愛を実践していることです。第三に、大きなビジョンを持ち、時が良くても悪くてもあきらめず、実践しつづけることです。まさにVIPクラブをとおして今、神が大きく働かれているのです。


本日は、お忙しいところご出席いただきありがとうございました。皆さまに神の大きなお恵みがありますようにお祈り申し上げます。