摂食障害から癒された私

早瀬 智加子 (Chikako Hayase)

■本稿は1999年6月6日、東京バプテスト教会「日本語フェローシップ」における証しの原稿です。

はじめに

私は現在、杉並区にある馬橋キリスト教会のメンバーで、普段は主人と共にそちらの教会へ通っています。TBC(東京バプテスト教会)で過ごした数年間は、私にとっては大切な思い出の日々であり、今でも当時の仲間の方々が大勢いらっしゃるので、本当に懐かしい思いがします。特に当時、同年代の女性達が集い持たれていたバイブル・スタディを通し、多くの良い友人を得て、ここTBCでクリスチャンとしての歩みを始めることができた事には感謝をしています。当時は一人暮らしをしていましたが、悩みがあり、孤独感があり、自分を温かく迎え入れてくれる場を強く求めていたと思います。アダルト・チルドレンという言葉がいろいろな場で取り上げられるようになりましたが、私もそのACの一人であり、子供時代の心の傷を持つ者である、と自覚しています。

子供時代

私の父は船乗りでした。職業柄いつも家にいるという訳ではありませんでしたが、船を降りて家に帰って来ると頻繁にお酒を飲んでいました。暴力は振るいませんでしたが、飲むといつも些細な事で母に当たるという状態だったので、私にとっての家庭は決して安心できる場ではありませんでした。私には十歳年上の兄がいましたが、兄もこの様な父と家を嫌っていたので、高校を卒業すると家を離れて行きました。ですから私は小学校3年から、ほとんどは母との二人暮らしでした。母はしつけに細かい人でしたが、今考えると子供の私は、父にいじめられる母を見ながら、私は母を決して悲しませてはいけない、母にいつも従って、いい子でいなければいけない。≠ニ無意識に思っていたのではないかと思います。

就 職

二十歳になって、総合商社に就職をしました。(その昔、NHKで放映されていた「大草原の小さな家」というドラマが大好きで、ドラマを通してアメリカに憧れるようになり、英語が好きになって、貿易の仕事に興味を持つようになりました。)希望通りの就職をしましたが、この頃から私は自分自身の心の問題に気付くようになりました。自分がいつも人からの評価を気にしており、強い劣等感を持っている、という事に気付くようになりました。人間関係のストレスと度重なる残業から、心身共に耐えられなくなり、3年でその会社を辞めました。

渡 米

その後、決心して、アメリカのオクラホマ州へ一人旅立ちました。私の内にはアメリカに対する憧れもありましたが、何もかもから逃げ出したい気持ちがありました。自分自身の弱さや家庭内の問題などをすべて忘れて、一からやり直したい気持ちがありました。半年間の滞在でしたが、英語学校では沢山の友達ができ、ホームステイをしていたアメリカ人家庭は、クリスチャンでしたが、いつも暖かく接してくれ、夢のような半年でした。

過食症に

そして、日本に帰って来ましたが、帰ってみると、やはり現実が待っていました。お酒好きの父は定年を迎え、ずっと家にいる状態となり、家の中はいっそう暗くなりました。外の世界で自由を味わった私は、母の細かい干渉にも反発を覚えるようになりました。アメリカ生活が懐かしく、また戻りたくてたまりませんでしたが、そうも行かず、私は家を出て一人暮らしを始めました。アメリカで少し体重が増えたことを気にかけて、私はその頃ダイエットをしていました。食べるのを我慢すればする程、面白いように痩せて行きましたが、ある時から猛烈な食欲におそわれるようになり、私は、過食症になってしまいました。食べても食べても、まだ食べたい状態で、まるで心の中の孤独感や空しさを食べ物でうめるかのようでした。過食をした後に、もう、こんな事はこれっきりにしよう。≠ニ何度思っても、やめる事ができませんでした。自殺までは考えませんでしたが、夜、寝付く前に、このまま目が覚めなければいいのに、明日が来なければいいのに。≠ニいつも思っていました。

ある出会い

精神的に追いつめられ、また、会いたい友人がいたこともあり、オクラホマから帰った2年後に、再びアメリカを訪れました。その時は、場所はロサンゼルスで単なる旅行だったのですが、日本での日常生活があまりに辛かったので、そのままそこに居ついてしまいたい程の心境でした。約一週間の滞在でしたが、日曜日が来て、私は教会に行ってみようと思いました。そして、ある教会で、一人の日本人牧師に出会いました。いろいろと話をしているうちに、その牧師さんは突然変な質問をしました。

側にあったボールペンを指差して、

「これは、どうしてここにあるのだと思う?」

と聞きます。

「このボールペンをこのように作った、作り手がいるから、ここに存在するのでしょう。」

と牧師さんは言うのです。

本当に世の中、人間が作り出した物で溢れていて、その一つ一つに作り手と目的がある…。≠サう思った時に、人間が目的を持って何かを作るように、神という造り手が目的を持って、私達人間と私達の住む世界を造った、と考えても不思議はない。≠ニ私には思えました。

教会へ

私は日本に戻り、ロサンゼルスで出会ったクリスチャン女性に紹介されたTBCへ通うようになりました。まもなく独身女性の集うバイブル・スタディに参加するようになり、10ヶ月程してイエス・キリストを心に受け入れ、クリスチャンになりました。けれども、特別な変化など何もありませんでした。クリスチャンになると感じると言われる「喜び」や「安心感」など、全く解りませんでした。祈っても祈っても摂食障害は治りませんでしたし、相変わらず人からの評価が気になり、劣等感を持っていました。加えて、クリスチャンになった為に、クリスチャンなので、こうあるべきである。≠ニいうような思いにも縛られるようになってしまいました。

神様の声

その後、クリスチャンの夫を与えられた事は、大きな幸せでしたが、心の問題の解決には繋がりませんでした。けれども神様は、私を現在の教会に導いてくださる事によって、自分自身を深く見つめる機会を与えてくださり、私自身の抱えている様々な問題を明らかにしてくださいました。一番の問題は、「神様がありのままの私を愛してくださっている。」ということが解っていないという事でした。頭では解っても、「ありのまま」というものを、心で理解し受け取るという事が、私にとっては難題でした。私は「ありのまま」の自分をいつも責めて嫌っていたのです。子供の頃からもっと良い自分にならなければいけない、母の期待にもっと答えなければいけない。≠ニ思ってきました。自分が自分自身を受け入れる事ができないのに、この私を、正にそのまま、愛してくださっている方がいると信じるのは難しいことでした。そんな私に神様は、「私が愛しているあなたを、あなたも愛しなさい。」と語ってくださいました。

生きる喜びが

少しずつ自分を理解し、受け入れられるようになるに従って、神様にも心を開けるようになって行きました。家庭環境も大きな原因になっているとはいえ、こんなにも不健全でズレてしまった自分がいる。≠サして、自分では自分をどうすることもできない。≠ッれども、神様はこんな私を愛してくださり、哀れんでくださる方、それだけでなく新しい命を与えてくださり、私を変えることができる方。≠サう解ってきた時に、喜びと感謝が心に溢れてきました。私は子供の頃から悲しみや寂しさを抱えてきたし、悲観的な性格は仕方がない。クリスチャンになっても、心からの喜びや感謝は私には無縁なものなのだ。≠ニ、ずっと思ってきましたが、そうではありませんでした!

聖書の「ピリピ人への手紙」でパウロが自分自身について語っている箇所があります。「私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です」(3章5〜6節)。パウロは当時のエリートで生まれも育ちも申し分のない人でした。けれども、「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました」(7節)と言っています。

私は逆に、こう言いたいと思います。

「私の父は、お酒好き、母は厳格な人、寂しい家庭に育ち、私自身は摂食障害になってしまいました。」

「しかし、私にとって損であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、得と思うようになりました。」

闇の中にいたからこそ、光であるイエス様にお会いできた時、この方がどんなに素晴らしい方であるか、そして自分にとってどんなに必要な方であるかが、はっきり解ったのだと思うからです。ですから、これまで生きてきた道を感謝して受け取りたいと今は思っています。

摂食障害からも現在は完全に癒されています。TBCで、また馬橋キリスト教会で、多くの方々に支えられ、これまで歩んで来られた事を心から感謝しています。集う場所(教会)は異なっても、イエス様と共にある同じ仲間として、祈り合うことのできる友がある事を幸せに思います。このように大きな恵みを頂いている今、私もまた、痛みを持った人々を支え、イエス様の心を持って仕える者としていただきたいと願うばかりです。