クリスチャンとして生きる

川島 徹  (Toru Kawasihma)

■氏はIBMプログラム・マネージャー。

下記の証しは1999年11月2日パレス・ホテルにおいてインターナショナルVIPクラブ・東京の集いで川島徹が話しましたものを記憶をたどりながら書いたものです。

私は50才で、妻と2人の娘、2人の息子がいます。日本同盟基督教団に属する茅ヶ崎同盟教会の教会員です。日本IBM箱崎事業所に勤務しています。

私は、信仰が与えられるまでの人生の中で過去4回ほど主イエスは私の心の戸をたたいて下さったと思っています。1回目は高校1年の時で、新約聖書を1回読みました。心が洗われる思いでしたが、私の興味、人の生きる目的は何か、を考えていくうちに哲学の本を読むようになりました。2回目は婚約と結婚のために妻の通う板橋区の教会に一時通いましたが継続しませんでした。3回目はカナダはトロントに1年間住んだ時、家族のために日系福音教会に行きましたが会堂の中には入りませんでした。4回目は奈良に1年半住んだ時、学園前聖書教会に通いました。

夏に関西ブロックの教会の研修会に出席しました。その時、同室の牧師さんが祈って下さり、教会に続けて通うことを決心しました。「今度会う時にはクリスチャンとして会いましょう」と牧師さんが言われたことを今でも覚えています。茅ヶ崎同盟教会に通い始めましたが、当時の説教の箇所はヨハネの黙示録からで、封印やラッパや鉢はよくわかりませんでした。

1986年12月に教会の壮年の方々6,7名が月に1回の家庭集会を始め、我が家で開いてくれました。説教を聞いて疑問に思ったこと、職場でのこと、罪のことなどを話し合いました。この会は今日まで続いています。

1年後の1987年12月、自分で信仰の決心をしたというよりは、求めていたものが向こうから来て下さった、という感じで、信仰が与えられました。私は若い時ではなく、何故39才にもなってから信仰が与えられたのだろうかと疑問を持ちました。答えは、同世代で仕事をしている未信徒壮年のことを私は自らの経験として知っています。その方々に福音を伝える仕事を主が私に
与えて下さったのだ、ということです。新幹線で大阪に時々出張します。祈りをして、勇気を出して、隣に座っている方に聖書の話しをしたこともありました。

その後、教会学校での奉仕を始めました。毎週子供達に聖書が何を語っているのかを語る私自身が御言葉によって恵まれました。
ときには、クイズやシャレも作り楽しみました。ノアの箱舟からハトは何回飛び立ったでしょうか。(これは単なるクイズです)
聖書では右側は神様の側です。では悪魔はどうでしょうか。左端・サタンです。シモン・ペテロは主を3度否みました。このことを調査する委員会があるとすれば諮問・シモン委員会です。

右側で思い出しますのはヨハネ福音書の21章です。舟で漁をしていた弟子に復活の主が岸から「子たちよ、何か食べるものがあるか」と尋ねました。「ありません」と舟から返答しています。この距離は50間ですから、約100メートルです。ここの聖書箇所を朗読するときにはこの距離感が必要だと思います。また私は音楽を聞くのが好きです。バッハのマタイ受難曲について、信仰が
与えられてから、解説書を読み、聞き直すと新たな側面を知ることができました。最後の晩餐で「主よ、私ですか」 (Herr,bin ich?)という言葉が合唱では11回出てきます。「一人は知っていたのです」とバッハは伝えています。十字架の下で「まことに、この人は神の子であった」という言葉が14個の音符で歌われています。アルファ・ベットでBachのBは2番目、aは1番目、cは3番目、hは8番目にあたります。この数の和は14になりBach自身の信仰告白です。

1997年4月から米国、ミネソタ州のロチェスター市に仕事で赴任しました。日本では私の周りに多くの未信徒がいるのに何故また私は日本人がほとんどいない地域に生活するのか考えました。これは主が「しっかり聖書を味わいなさい」と私に充電の時を与えて下さったのだと当初理解していました。ところが約40の日本人家族が住んでいることがわかりました。そこで月1回土曜日の11時から1時まで家庭集会を始めました。聖書は私達に何を語っているのかを味わい、そして昼食をとりながらの交わりをしました。

そのうち、妻が日本語礼拝をロチェスター市で始められるよう祈り期待しました。車で約1時間半のところにミネアポリスがあります。そこには日本人教会があり、松田卓牧師が牧会されています。先生にお願いし、第三日曜日午後4時から日本語礼拝を守ることになりました。第1回目から子供も含めて約40名の出席でした。また半数は未信徒ですから伝道の場でもありました。先生はここで日本語礼拝が始められることを10年間祈っていたそうです。そして第7回目の礼拝で初めての受洗者が与えられました。家庭集会にも出席されていたある奥様ですが洗礼式の後、すぐに証しがありました。涙で語る姉妹の信仰告白に全員が感動しました。

そして1999年6月末に私と家族は帰国し、茅ヶ崎での生活が再び始まりました。8月に板橋の小竹向原教会にミネアポリスの松田牧師が来られることを知り、妻と共に礼拝に出席しました。礼拝後、教会員の藤原愛実子姉と話す機会がありました。藤原さんは以前日本IBMに勤務されていました。そして「IBMのクリスチャン仲間」のリストを私に送って下さいました。その中に新見稔兄がいらっしゃいまして、数回昼食をとりながら信仰の話しをしました。そして新見さんから証しを頼まれましたので、すぐ了解の返事をしました。その結果が今日のこの運びとなったわけです。主への応答ですから躊躇はしません。

最近は聖書をさらに広く味わうために、御茶ノ水のクリスチャン・センターに妻と通い始めました。その土曜日の聖書の学びにより目が開かれ、新たな角度で聖書を味わっています。楽しい一時です。ヘブライ語にも興味を覚え始めました。

聖書は「全世界に出ていって、すべての造られたものに、福音を宣べ伝えよ」、また「みことばを宣べ伝えなさい。ときが良くても悪くてもそれに励みなさい」と言っています。私達は福音を伝えるとき、勿論相手の方が信仰告白されることは嬉しいことですし、それを期待しますが、それをなさるのは主の業です。私達は宣べ伝えればいいのです。

主に感謝します。