主に従い行くは

小林 信生  (Nobuo Kobayashi)

■氏は伊藤忠商事鰹任監査役、1962年に大阪府立大学経済学部を卒業と同時に伊藤忠大阪本社入社、取締役財務部長、同経理部長、常務取締役を経て現職。本稿は平成11年9月28日VIP品川9月定例会での証しです。

小林信生と申します。クリスチャンであった両親が神様を信じて生きるようにと「信生」と名付けてくれました。私はこの名前によって、自分が信仰によって生きているかどうかを常に問われているわけで重荷でありますが、同時に神様を信じて生きようと言う目標が与えられ、これによって支えられてもいます。「主に従い行くは如何に幸いなる」(こどもさんびか)とただ今賛美しましたように、今日まで主に従って歩んできたことが如何に幸いであったかを証しさせていただきたいと思います。

1)現在の状況

@はじめに

・インターナショナルVIPクラブは昨年6月に元会社の同僚の加藤誠彦さんに紹介され、彼の劇的なクリスチャンへの変身の証を聞かせていただいたときが最初で、その後、お茶の水、新宿、品川と3カ所にて参加させていただいております。この度、金森さんから品川クラブでのお証の依頼を受けましたときに、自分がふさわしい者であるかどうか一時逡巡いたしました。これまでこVIPクラブでは多くの方からすばらしい感動的なお証の数々を聞かせていただきましたが、いずれも悩みと苦しみの中で主に出会われ、劇的に変化を遂げられた方、また、主を知らない人々や恵まれない人々へすべてをなげうって献身的に伝道をされている方などのお証であります。私の場合はクリスチャンホームに生まれ劇的な変身もなく、ただ平々凡々な人生を送ってきたものであり、証といってもつまらないものになると思ったからです。しかし、聖歌で「数えて見よ、主の恵み」と歌われているように、今日まで神様から頂いたお恵みを証しすることなら私にも出来ると考え、お引き受けした次第です。

・昨年、還暦を迎え、俗に言う人生の一巡りをしたわけですが、これまでを振り返ってみますと、詩編37篇23節にありますように文字通り「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を」備えて下さいました。私の歩みはヨタヨタとしたり、横道にそれたりでありましたが、手を取って主が備えられた道へと導いて下さったことを心から感謝しています。私のような足りないものでも主は従うものを祝福するというお約束を守って下さいました。なお、本日はビジネスマン・クリスチャン中心の集まりであるインターナショナルVIPクラブでのお証となりますので、ビジネスマンの視点に立ってのお証をさせていただきます。

・まず、私にとりまして神様とは「愛の神」であると同時に「怒りの神」でもあります。どちらかというと怖い神様という感じが強いです。従って、神の目から見て私はVIPというより、ぐーたらな劣等生ではないかと想像します。これは小さい頃、母に「神様のいうことを聞かないと、罰が当るよ。」と繰り返し教えられてきたことにもよりますが、今までの私の経験によりますと有頂天になったり、傲慢になったりすると必ずといっていいほど神様はその罰といいますか、棘と言いますか何かのサインを与えられました。耳に染みついている母の言葉ですが、この歳になってもなお大きな影響力を持っていると言うことは、小さい頃の教育の重要さを示していると思います。その点で教会学校活動はキリスト教伝道の中でも大きな役割を担っていると思います。

A現在の仕事−監査役という役職について

・現在、会社では監査役というお役目をいただいていますが、今風にいえば「いま監査役がおもしろい。」ということが出来ます。昔からつい最近までは監査役になりますと「いよいよ会社生活も終わりに近づきましたね。」とか、監査役という字をもじって、「閑散役」あるいは「間茶役」とかいわれて閑職の代名詞のように言われておりました。したがって「まー、あまり頑張らないでのんびりとやってくださいよ。」というのが挨拶でありましたが、最近では「大変なお役目に就かれましたね。」と言われるようになっています。先日、伊藤忠の社長がある雑誌に「社長の監視は組合と監査役会の役目」と語ったのが記事になりましたが、我社では社長とは少なくとも2ヶ月に一回の話し合いを行い、経営課題について忌憚のない意見を述べさせてもい、真剣な議論が行われております。

・また、一般的にも最近になって多発する企業の不詳事件をふまえて、これまで暇そうにしていた監査役たちにもっと仕事をしてもらおうということになり、監査役機能の一層の強化がすすめられ、商法改正が現在検討されています。

・みなさまは「コーポレートガバナンス」という言葉を聞かれたことがある思います。日本語では「企業統治」と訳されていますが、これは会社の経営者が:

◇商法などの諸法律や定款など会社の諸規則を遵守して、健全で効率的な経営を行い、
◇その業績と財産内容が適正性と透明性もって適時に開示され、
◇そして株主の利益の極大化に努めているかどうか、

を監視する仕組みのことを言います。

・監査役と監査役会もこのコーポレートガバナンスにおいて重要な役割を果たすことになっており、商法上では株主総会や取締役会などと同じように、会社の重要な機関として、株主の付託を受けて「取締役の職務の執行を監査する」ものと規定されています。言い換えれば監査役は会社の良心ともいえるもので、クリスチャンとしてこの職務を与えられたことは本当に恵まれていると感謝しています。

・これが大変不思議な神の導きによって、備えられた道であったと確信しておりますが、そのことについて証させていただきます。

2)これまでの会社での経歴

・先ほどご紹介いただきましたように、私は昭和37年(1962年)に伊藤忠大阪本社に入社しました。それ以来37年間の会社生活は恵まれた、また大変意義深いものでありました。それは経歴や地位・待遇から申し上げるのではなく、戦後の日本経済の高度成長期にあって商社マンとして意欲的にやり甲斐を持って仕事をする事が出来たからであります。私は後ほど述べますとおり、会社生活のほとんどを財務関連の仕事に携わってきましたが、財務マンとしては理想的な海外駐在地、ニューヨーク、ロンドン、香港という世界の金融センターで14年間にわたる海外生活を送り、それぞれで大変貴重な体験をすることが出来ました。

@ニューヨーク(68年ー73年駐在):71年8月のニクソン・ショック、
Aロンドン(79年ー83年駐在):40年間の英国為替管理の撤廃と金融ビッグバン、
Bホンコン(89年ー92年駐在):天安門事件による香港経済への打撃とその急回復

などいずれも世界の金融史上の大事件に遭遇するチャンスが与えられ、これがさらに自分の仕事の上で貴重な経験となりました。

・37年間の会社生活のうちで、その大半の34年間は財務マンとして仕事をしました。財務の中でも私の専門は会社が行う海外でのプロジェクトへの資金調達(海外でのプロジェクト金融)ということで、大変スリリング かつチャレンジングなものでありました。特に1970年から1990年くらいまでの間、商社の海外でのプロジェクト活動は活発で華々しく、大型プラントや船舶の輸出、原油・ガスなどの資源開発、海外での事業投資などはめざましく、そのいずれも巨大な資金を必要としました。案件を仕上げていく過程は本当に寝食を忘れるほどおもしろいものであり、徹夜の交渉も何度も経験しました。そのような形で成約された案件が完成して目の前に現れたときの喜びは筆舌に尽くしがたいもので、「プロジェクトは男のロマンである」などと粋がったこともありましたが、それもあながち誇張ではなかったと思います。

・その中で非常におもしろい仕事をすることが出来たいくつかの例をあげてみますと:

☆アルジェリア・サハラ砂漠でのガス処理プラント建設
☆トルコ・イスタンブールでのアジアとヨーロッパをつなぐボスポラス第二橋建設
☆イラク・バグダッド郊外での発電プラント建設
☆ロシア向けガス用大径パイプ輸出
☆ハンガリー・自動車事業プロジェクト

また、成約にいたりませんでしたが、最後まで戦って敗れた印象的な案件としては:

★ベネズエラ・カラカスでの地下鉄プロジェクト(フランス勢に敗退)
★ブラジルの世界最大のイタイプ水力発電所プロジェクト(ドイツ勢に敗退)
★香港新空港プロジェクトの橋梁プロジェクト(英国・日本勢に敗退)など

情熱をかけてやったことが記憶の中に今でも鮮明に残っています。

・おかげさまで役得としては、先程述べた3カ国の駐在に加えて、世界の各国約60カ国、都市で約80都市ほどに足跡を残すことが出来ました。自分でも不思議なくらい、よくもこれだけの多くの大きな案件に携わることが出来たものだと思います。これは自分から仕掛けて仕組めるようなことではなく、先ほどの聖句の通り、まさに神様がこのような道を備えて下さったから出来たことであります。

・私が商社に就職したときに、大阪生まれの母は「商売とな屏風はまっすぐでは立たへんのやでー」とよく言ったものです。言外に私に本当に商社マンが勤まるのかと言いたかったのだと思います。私が入った頃の伊藤忠は関西系商社の中でもガメつくて、ケチな会社という評判が高く、大阪の人たちは「ガメ忠」とか「ケチ忠」と呼んでおりました。一般的に商社マンを表現する形容詞に「目から鼻に抜ける」、「生き馬の目を抜く」、「口八丁手八丁」、「立て板に水」などを使いますが、私はどちらかというと引っ込み思案で、おっとりしていて、人前ではすぐ赤面するような性格であり、「立て板に水」どころか「横板にとりもち」といった方が良いくらい口べたな私に商社マンがつとまるはずがないとみんなが陰で言っていたと思います。唯一、私が商社向きであったといえる点は、その体力で学生時代からバスケットボールで鍛えた体と健康は連日の激務に耐えうるように出来ていたことであります。いつも私は「首から下が頑丈に出来ているね。」と言われたものです。

・そのような私にもう一つ力強い支えがありました。それはマタイによる福音書6章34節「一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」の聖句であります。この聖句の中にはその日の仕事を一生懸命に終えた者への慰めと満足感があって、どんなに難しい問題が起こってもこの言葉によって明日には新しい道が開かれるという希望を持つことが出来ました。私の仕事に取り組む基本姿勢は、「いやな仕事から手をつける。」「頼まれた仕事は頼んだ人の立場にたって仕上げる。」「仕事は与えられた範囲以上のことを目標にする。」で、常にこれを努力して参りました。そのような一日一日が重なって37年間となったわけで、これまで一日もマンネリに陥ることなく、いつも新鮮な気持ちで勤めることが出来たことを大変うれしく思っております。

・そして最後の2年間は、財務関連業務を離れて今まで一度も仕事をしたことのない経理部へ配属されました。経理部と言うところはご経験された方は良くおわかりと思いますが、かなり職人的、実務的なところがあり、普通は若い頃に経験をしていなければ勤まらない部署であります。会社は大胆にも未経験の私を経理部長に据えようとしましたので、当初この職務に対しては強く反対をしました。種々の事情より私以外に適任者がいないと言うことで決まってしまいましたが、おそらく経理を知らない部長が就任したと言うことで、部員たちはびっくりしたものと思います。しかし、逆に素人部長を助けなければならないと、若い人たちが大変ハッスルし、大きく成長するというおまけが付いたことは良かったのかもしれません。私の経理部長在任中の平成9年度には「経営改善策」を発表し、会社始まって以来の巨額の赤字(単体決算で150億円、連結決算で920億円)決算となりました。このときはさすがの私の体力にも限界が来て高血圧症(最高180、最低120)になったり、不整脈が出て、夜中に呼吸困難に陥るなど心身共に大変疲れました。しかし、この2年間は私にとってはきわめて貴重な期間となり、このときの経験があったので、経理的な知識と経験が非常に重要な監査役という職にも就くことが出来ました。これも会社生活一番最後の段階で神様が備えて下さった道であったと信じています。

・このように会社における私のこれまでの道のりは主の導きによるものでありましたが、なぜこのように恵まれた会社生活が送れたのかを証しするために、神様の遠大な御計画があったことをお話しないわけにはいきません。

3)主のご計画ーその(1)

・伊藤忠商事への入社の経緯からお話しします。大学の4年生の6月、そろそろ就職活動の時期が来て、私は自分にふさわしい職場が与えられるようにと一生懸命に祈っておりました。ある日、ゼミの教授に呼ばれ、就職の相談をいたしましたが、まじめだけが取り柄である私は堅物でも勤まる銀行に就職したいと希望を述べました。そのとき教授はたまたま手持ちであった伊藤忠からの求人表を見せて「あさって伊藤忠の入社試験があるので受けてみないか」といいました。私は志望先でもなく、会社の内容も良く知らなかったのですが、早い時期でもあったので肝試しに受けてみることにしました。そして、下宿先に帰ってきて、今日教授からこのようにいわれたと話をしていたら、たまたまその家の子供たちにバイオリンを教えに来ておられた先生がそれを聞いて「伊藤忠を受けるの??私の甥が勤めているので一度会って話を聞いてみたらどうか。」といわれました。その先生とは時々下宿で顔を合わせていたに関わらず、全然そのような関係があるとは知りませんでしたが、よく聞いてみるとその先生のお姉様が当時の伊藤忠の副社長の奥様で、その息子(甥)さんも伊藤忠に勤めておられるということが分かりました。その場ですぐに電話をして下さり、その日のうちに船場にあった伊藤忠の本社に出かけ、の先生の甥の方にあって会社の話を聞かせてもらいました。そのあとその甥の方がどのように取りはからってくださったか、未だにお聞きしたことはありませんが、入社試験当日、私は30分ほどの面接と健康診断を受けただけで、ペーパーテストもなく、その翌日入社が内定しました。学校では6月にはじめに就職が決まったのは一番早いほうで、就職試験の苦労もないままラッキーな出来事でありました。「それは偶然の重なりだよ。」といわれる方もあるかと思いますが、教授からの話のタイミング、バイオリンの先生との出会いなど、祈って待っていた私はまさにこの職場は神様が選んで下さったものであると確信することが出来ました。

4)主のご計画ーその(2)

・実は、この就職にいたる道にはもう一つその前の段階での神様の用意周到な御計画がありました。

・私は先ほどご紹介ありましたように大阪府立大学経済学部を卒業しましたが、この大学は戦後設立された新しい大学で伝統もなく教授陣も手薄で、滑り止めで受けただけであって、本当に入りたかった大学ではありませんでした。高校時代にバスケットボールに打ち込んでいた私は受験勉強をあまりしておらず、かつ貧乏家庭でありましたので国公立以外に大学は選べず、一年の浪人生活を送った後、私は大阪府立大学とあと一つ、伝統のある旧高商系の国立大学とに合格しましたが、大学選択に際して一つの転機がありました。

・話は少しさかのぼりますが、私の父はナザレン教団の牧師で昭和10年から大阪の北田辺というところで開戦伝道を始めました。昭和13年に私が生まれましたが、昭和16年に日米開戦となり、戦争が激化するにつれて敵国宗教と言うことでキリスト教に対する弾圧が日増しに強くなり、昭和17年に教会が強制的に閉鎖されました。家族を養うため父は仕方なく会社勤めをすることを決心し、グリコ(今の江崎グリコ)の天津工場にて働くために家族共々中国の天津へ移動しました。そして、終戦まで天津におり、昭和21年に引揚者として帰国しました。父は帰国直後の数年は失業していましたが、若い頃経験のあった銀行に一時勤めた後、神様の導きにより、改めて昭和27年から松江ナザレン教会を牧会しておりました。

・丁度私が大学に入学する昭和33年にナザレン教団が大阪北田辺に改めて教会を建て、二度目の開戦伝道を開始することになっていましたが、父は自分がかって牧会していた北田辺に新しい教会が出来たことを大変喜び、私にこの教会を助けるために北田辺に住み、そこから通える大学すなわち大阪府立大に入学するようにと強く勧めました。私は高校の教師や友人たちとも相談しましたが、みんな社会的評価も高く、教授陣がそろっている旧高商系の国立大学の方を勧めました。父の強い要請と自分の志望との板挟みで大変悩みましたが、自分として納得するために神様に祈り、答えを待ちました。そのとき私に与えられた聖句がローマ人への手紙8章28節「神は、神を愛する者たち、すなわち、御計画に従って召されたものたちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを知っている。」でありました。私はここで、この教会をお手伝いをすることが、神様のご計画に従うことであると確信するに至りましたので、この聖句を信じて高校の教師や友人たちが理解できないといったにもかかわらず大阪府立大に入学しました。この教会は事情があって、創立当初(一年間)は牧師が通いで、常駐していませんでしたので、私は教会の一室を借りて、ノートルダムの金突き男よろしく会堂守として、会堂掃除から各集会の司会など随分こき使われたものです。

・以上が私が大学に入学したときの経緯ですが、もし、このとき私が自分の考えで大学を選択していたなら、すなわち、北田辺の教会のお手伝いを拒んでいたなら、就職を指導してくれた教授にもバイオリンの先生にも会うことはなかったでしょう。従って、当然ながら伊藤忠にも勤めておらず、お話しましたようなやり甲斐のある仕事には就けなかったと思われます。ついでに申し上げると私の家内は北田辺のとなりの東田辺の出身でありますので、家内とも出会わなかったし、今の家族もいなかったであろうと思いますと、私の人生がどのようなものであったか全く想像が出来ません。

5)結 び

・私は父に連れられてあちこちに移り住んだ関係で、小学校は4つ、中学校は3つ、高校は2つ、これに予備校と大学を入れると合計11の学校に通いました。この間、いじめにあったり、転校の隙間で欠落した科目があって成績が落ちたりして、子供なりに苦労したことや中学から高校にかけては親元を飛び出して一人で生活したりで、放蕩息子を地でいくようなこともありましたが、昭和31年5月20日これまでの親不孝と罪を悔い改め、クリスチャンの道を選びました。今年で43年間のクリスチャンとしての信仰生活を送って参りましたが、会社以外においても神様から数え切れないお恵みとお導きを頂いております。

・会社生活において今までお話したのはベター・パートでありまして、仕事に行き詰まったり、失敗したりこともあり、必ずしも順風満帆ではありませんでしたが、どんな場合でも最終的には神様はちゃんと私にふさわしい道を備えて下さったことに感謝しております。

・このようにこれまでの道のりを振り返ってみますと、大学入学の際に祈って神様に従ったことが大きな転機であり、そこが人生の分水嶺であったように思います。あのときに自分の勝手な考えや周りの人たちの常識で判断し、それに従っていたら、どうなっていたか想像もつきません。あさはかに私には、主が道を備え、守り導いて下さるという信仰も生まれてこなかったと思います。これはまさにヨハネによる福音書2章9節のカナの婚宴でイエス様がタダの水を葡萄酒に変えられた時に、このことを知っていたのは「水をくんだ僕たち」だけであったのと同じであります。私以外の人から見れば単に偶然そうなったと言われるかもしれませんが、祈って、主に従った私にははっきりと神様がここまで導いて下さったのだということを確信することが出来ます。私は祈りの本質はここにあると思っています。「求めよ。さらば与えられん。」です。求めずして、与えられたという信仰は生まれません。偶然では満たされない大きな信仰がここにあります。また、偶然ではこのようなことは起こり得ないと思います。

・以後、私はまことに自分勝手なお願いでありますが、何事にもまず祈ることを教えられました。仕事に行き詰まる、家族に心配事が起こる、どんなことでもまず「神様教えて下さい。導いて下さい。」と祈ることにしています。御利益主義ではないかと言われようとも構いません。小さい頃から、母は「神様に祈りなさい。御心ならかなえて下さる。」と教えてくれました。その言葉を今も忘れておりません。

・今日はここに私の青春時代に大きな感化を受けました元ナザレン教団の橋本牧師(昭和34年から43年まで北田辺の教会を牧会され、平成7年に召天。)の奥様とそのときの教会学校の生徒で今は立派に成功され、コンピュータ関連ソフト会社の社長である松月さんにも出席いただき、私の証の証人となっていただきましたことを心から感謝しています。

・本日、大変つたない証をさせていただきましたが、この証を通して主に従って歩むものには必ず大きなお恵みが与えられると言う信仰をみなさまと分かち合いたいと思います。

・最後に私が好きな内村鑑三氏の言葉を持ってこの証しの結びとしたいと思います。

「謙遜であれ。柔和であれ。しかし、意気地なしであってはならない。謙遜は勇気であるが、意気地なしは卑怯である。二者は外観において相似て、その内容において全く相異なる。そして世のいわゆるキリスト的謙遜には卑怯の結果であるものが多い。」

本当に謙遜で柔和なクリスチャンとして主に従って、歩んで参りたいと願っています。

主にありて