MY DREAM−シリア、ギリシャ、ガボン、カメルーン、ナイジェリア訪問報告

草場 江太 (Kohta Kusaba)

■氏は横浜ゴム株式会社工業品海外部勤務。本稿はYMCA東京国際朝祷会での証しです。

すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どうり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気をとりもどした(使徒言行録9章18,19節)

今年(1999年)の2月と6月、7月に海外出張で欧州、中近東、西アフリカを訪問しましたが、そのうちで、キリスト教の観点から興味を覚えた国々で、見たこと、体験したことをお分かちしたくご報告させて頂きます。

1. シリア

ちょうどアサド首相が選挙に勝利して1971年以来の、大統領の座を維持とは言っても、対抗馬なしの選挙。実質の独裁国家。長年の独裁政権で相当腐敗しているとは思いますが、表向き国民はアサド首相に満足しているように宣伝されています。反対すれば命にかかわるので、やむなく反対分子が押さえられているのか、或いはアサド首相の政治手腕がそれだけ図抜けて優れているのか。首都ダマスカスでは町中にアサド首相の肖像画が掲げられて、まさにアサド首相が神様のような存在にもてはやされていると思いました。

ダマスカスは、バグダッドに次いで世界で二番目古い町と言われています。BC2,500年頃にアラビア半島からセム族が定住し始め、BC2,000年頃のアブラハムの時代すでに都市としての形態をなしていたらしく、当時はAL FAYAHと呼ばれており、それはアブラハムの時代と言う意味だそうです。その後BC332年にアレキサンダー大王に征服されてヘレニズム文化の影響を受けた後、BC64年にローマ帝国の支配下となり、その後7世紀にイスラム教に征服されて、ウマイヤ家カリフ帝国のもと首都であった頃に、この町がもっとも栄えたと言われます。このウマイヤ朝カリフ帝国は、7世紀初頭マホメットにより起こされたイスラム教により打ち立てられた帝国としては、史上最大の地域を領有するイスラム大帝国を築き上げたと言われています。

余談ですが、この王朝の時代の8世紀初頭、今の紛争地キルギスやウズベキスタンを含む中央アジア地域にイスラム教が伝わったと言われます。その後中央アジアはチンギスハーンの蒙古帝国や、チムール帝国等のモンゴル人支配の地域となりますが、モンゴル人が異教徒に寛大であったらしく、イスラム教徒が商人、官吏、技術者として活躍したと言われ、これらの地域はその後はオスマントルコの影響を受けてムスリム地域となった後、19世紀後半ロシア共和国の支配下となり、ソ連内の自治共和国となり、ソ連解体のあと独立、現在に至っています。旧ソ連内には6つのイスラム教国があり、そのうちの5カ国が中央アジアにあり、合計のイスラム教徒の人口は約50百万人で、人口から言えば、インドネシア、パキスタン、バングラデッシュ、インドにつぐ第五のイスラム地域でした。人種的にはモンゴルの影響もうけてはいますが、基本的には中央アジアの国々はトルコ系だと言われます。

話はそれましたが、シリアは、その後オスマン帝国の支配下に長くおかれた後、オスマントルコ崩壊後一時独立、1920年フランスの委任統治下にはいり、そして1946年に独立し今日に至っています。古いだけに全般に汚れた町並みでしたが、町の中央をバラダ川が流れており、城壁の残る古都の部分と、美しい街路樹のあるレンガ造りの家の並ぶ部分をもつ、興味深い町だと思いました。しかし、アサド大統領の長期政権維持による、社会主義的イスラム国家のような政治経済組織の影響か、ずいぶん殺風景な冷たい町との印象もありました。

ここはイスラム教においては、メッカ、メジナ、イェルサレムに次ぐ聖地と言われ、現存する最古の完全な形体を持つモスクである、ウマイヤド・モスクや、12世紀のアイユーブ朝の英雄サラディーンにまつわるお墓や遺跡もあります。彼は十字軍を破りイェルサレムをアラブ人の手に奪い返した英雄としても知られています。

一方、キリスト教においては、使徒行伝のパウロがダマスコに向かう途中突然目がみえなくなり、ダマスコにおいてアナニアスに按手してもらいようやく目が見えるように回復した聖アナニア教会の地下礼拝堂があります。聖書に記された「直線どうり」が、今もアナニア教会のそばにあります。その近くのウマイヤド・モスクの中に、バプテスマのヨハネの首を葬ってある棺が安置されています。これはもともとローマ時代にテオドシウス帝の時に作られたヨハネ教会に、7世紀バプテスマのヨハネの首がここで発見されてその記念にたてられ、その後火災などにあった後、19世紀末に今の霊廟が造られたそうですが。事実を半分だけ信用しているような地元の人の口振りでした。ヨハネはイスラム教においても預言者として崇められているそうです。そのモスクのそばには、使徒9章25節でサウロが町の城壁づたいに逃げた壁もあり、そこは聖パウロ教会と言われ、聖書になじみの場所を訪れることができて感謝でした。

立って”まっすぐという街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています(使徒言行録9章11節)

サウロの弟子たちは夜の間に彼を連れ出し,籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした(使徒言行録9章25節)

この他シリアには、アンテオケと言う、初めてイエス・キリストの弟子たちが、キリスト者と呼ばれるようになった町もあります。紀元前65年にシリアがローマ帝国に滅ぼされた後、アンテオケがローマ帝国シリア州の首都となり、ローマ、アレキサンドリアに次ぐローマ帝国第三の都市として栄えたそうですが、6世紀にペルシャ人に破壊され、7世紀にはウマイヤ朝イスラム教徒に占領され今はアンタキヤとよばれる小さな町となっていますが、今回ここは訪問しませんでした。

二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンテオケで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである(使徒言行録11章26節)

この国はイスラム教国ですが、キリスト教徒も10%余りいて、教会もいくつかあり、熱心な礼拝がもたれています。私もプロテスタン教会の礼拝に参加、なかなか親切な方々の多いフレンドリーな教会との印象をもちました。偶然バプテスト教会の牧師のご夫人に会い、教会の兄弟姉妹と写真をとり、アラビア語の説教の説明も後から英語で通訳してもらい、ヨハネやパウロにまつわる訪問地のお話も聞くことができました。

又、この際の出張時に、このシリアの前に訪問した国、アラビア半島先端のイェメンでもアメリカ南部バプテストの宣教師さんにご親切にしていただき、バイブルスタディーや夜の集会にも参加できました。この時の出張でバプテスト教会の中近東での働きの大きさを知らされ、これらの人々には、私の東京バプテスト教会の牧師ノーマン・ウッズ先生のことを話しました。

帰国後、これまで評判も良く奉仕されていたウッズ牧師が、私の一ヶ月の出張中に東京バプテスト教会を去り横浜バプテスト教会に移られて、後任の牧師デニス・フォールズ先生が牧会をしておられました。新しく赴任されたフォールズ牧師も良いメッセージをされる、日本通のアメリカ人で、大変伝道熱心なすぐれた牧師さんですが、おやめになったウッズ牧師さんには、我々の結婚の際に特別にお世話になり、日頃から我々家族のことも気にかけて下さっていたので、転任されたことを大変寂しく思いました。ウッズ牧師はアメリカ人ですが、南アフリカやナムビア等アフリカでの宣教経験も長く、教会の会員数が大幅に増えてきた在日アフリカ人への宣教にも、すぐれた働きをされました。

2. ギリシャ

この後ギリシャに入り、最初はテサロニケの石油会社訪問。テサロニケは工業都市で、人口約40万人、アテネに次ぐギリシャ第二の都市。もとはあのマケドニアの首都。産業都市で町は整然として、アテネよりもすっきりしたクリーンな外観。ギリシャらしくなく、むしろ西欧的な印象も受けました。人々もアテネ人よりも勤勉で、公正な印象をもちました。聖書の「テサロニケ人への手紙」で親しみがもてますが、今はパウロが伝道をした頃の遺跡はほとんどなく、せいぜいアレキサンダー大王の父の立派な遺跡があるとの事でしたが、時間がとれず訪問できませんでした。当初はテサロニケでゆっくりと行動できるように余裕をもった日程にしたのですが、エジプトのカイロから、アテネに入るフライトが大幅に遅れたために、テサロニケの教会をゆっくりと訪れる機会を持てませんでした。しかし、せっかくテサロニケに来た記念にと、帰りの空港への途上、車で地元のギリシャ正教の教会を通ってもらい、テサロニケの教会の前で記念撮影をしたのが、仕事だけしかできなかったこの地訪問のせめてもの記念となりました。

あなたがたも、多くの困難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主にならう者になりました。こうして、あなたがたは、マケドニアとアカヤのすべての信者の模範になったのです。主のことばが、あなたがたのところから出てマケドニアとアカヤに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰はあらゆる所に伝わっているので、私たちはなにも言わなくて良いほどです(テサロニケ人への手紙第一1章6―8節)

兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょうか。私たちはあなたがたの誰にも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました(テサロニケ人への手紙第一2章9節)

3. 西アフリカ

6-7月に約六年ぶりに訪問。西アフリカ訪問に際し、マラリヤの薬を薦められて英国で購入して毎週一回薬をのみましたが、これが大変きつい薬で副作用のため飲んだ翌日はいつも体調がダウン。体調の落ちたガボンでは、おかげで風邪を引き、お腹をこわし、熱をだして現地のフランス人医師の診察を受け、薬をもらいようやく回復。なんとか仕事は予定どうり進めましたが、海外出張中病気になったのは2回目で、一回目は初めてインドのカルカッタに行った時、そして今回。ともにマザー・テレサのカルカッタと、シュバイツアーのガボンと、それぞれ自然や社会環境の特別厳しい国の、地域住民への医療や奉仕における功績でノーベル平和賞を受賞された偉人が働かれた国の環境は、それだけ厳しくて、私も体調をこわしてしまったのかもしれないと思ったりしました。

カメルーンでは日曜日にプレスビテリアン系教会の英語礼拝に出席。牧師のメッセージは大変聖霊に満たされた力強いものでしたが、前後の賛美やその他を含めて約3時間の長い礼拝。同行してくれたクリスチャンの運転手は途中で退席、付き合ってくれた商社の日本人駐在員の人に少々遠慮して、私達は礼拝に最後までいることなく、サービスの終わり頃に中途退席をしてしまいました。通常海外出張中は一人で自由に教会を訪問しますが、体調を悪くし、治安も悪いので彼らにつきあってもらって教会礼拝をもちました。しかし、フランス語国にあって英語の礼拝に出られて感謝でした。

牧師の力強いお話は、あのアメリカの黒人差別撤廃を叫んだ、マルチン・ルーサーキング牧師を思い出させる力強さでした。"I have a dream, deeply rooted in the American dream.---"この聖霊に満たされた力強さこそ、キング牧師のみならず、黒人が神様から受けた霊的賜物でしょうか。社会的意義はキング牧師ほどではなくとも、聖霊の油注ぎを与える力がある思いました。今、東京では多くのアフリカの方達が住んでおり、彼らのうちで神様のためによき働きをしている人たちが多くおられることを思いますが、日本人にはない、彼等が賜物として与えられた、強い霊的力が我国で良き働きをなさしめている原点の力を教えられました。特に私の東京バプテスト教会でもその働きが示されていると思います。

この話を先日教会のフォールズ牧師にしたところ、さっそく数週間後の9月12日朝の聖日礼拝のメッセージにおいて、"I HAVE A DREAM"と言うタイトルで、私たちは主にあって一つになり、強い者も弱い者もともに愛によって一つとなり、他人の考えや意見も尊重していくなかで、私たちは神様の福音を日本と世界中の人々に述べ伝えねばならないとして、I HAVE A DREAM FOR TOKYO BAPTIST CHURCH. MY TWELVE DREAMS.と言って、教会が福音宣教のために果たすべき努めを具体的に述べられました。これまで福音宣教のためにいかに用いられなければならないかを、これほど具体的に話された牧師はこの教会にはおられなかったと思います。その背後に働く今の日本でのリバイバルの動きと、教会に集う黒人の方達の霊的力を感じると共に、今、ご存知のようにVIP CLUB等の働きの急激なる拡大にその兆候を認めることができます。

この後、ナイジェリアを1週間訪問。アフリカ最大の石油生産国の、石油の町を車と飛行機でまわりました。治安の悪さにはまいりました。又、支払面の信用が全くなされず、ホテルではほとんどすべてが現金の前払い、ホテルでレストランや、ルームサービス、ランドリーを利用してもほとんどが現金の前払いであり、又、部屋の電話も事前にお金をデポジットせねば使用できず、支払いはクレジットカードを実質利用できず大変不便で、治安の悪い国で多くの現金をいつも持ち歩かねばならず不安でした。クレジットカードを利用すると、その番号を悪用されることがあり使用できません。

その他、電力事情、道路事情、排水設備、水道、通信電話事情すべてが、大変悪く不便でした。地方では住民の争いで、夕方以降の外出は禁止されたり、又、道路では車に先方からあてられて交通事故にあったりと、さんざんの国でした。この国では国家収入の2/3は石油関連収入(約US$100億)ですが、せっかく石油他多くの天然資源が産出されても、一部の国や公団の上部の人々が利益を享受し、一般には還元されず、政治もさんざんなもので、国ではなにを行うにも賄賂がなければ順調に進まないのが現状のようです。VIP CLUBでかつて活躍されて、今年の春のナイジェリア大統領選挙にチャレンジすべく昨年ナイジェリアに帰国された、ジョン・バッサさんがクリスチャンとして、ナイジェリア大統領選挙に挑戦して、この国の公正と平和と福音化のために立ち上がった気持ちはよくわかりました。

本年3月の選挙では同じ国民民主党(PEOPLE'S DEMOCRATIC PARTY)の本命候補であった、オバサンジョー氏がナイジェリア大統領に選ばれて、ナイジェリアの民主化と平和への道が一歩前進したとの印象が一般に持たれています。オバサンジョー大統領はクリスチャンでもあるらしく、今は民間人である(退役軍人の)彼の登場でナイジェリアも軍部による悪政からようやく解放されて、民主化、平和への道を進むことが期待されます。しかし、ジョン・バッサ氏は、まだ新大統領の政治がどのようなものかは、少し時間をかけてみないとわからないとの意見であり、必ずしも一般のマスコミのように新大統領を期待をもって迎える立場ではないようでした。

ナイジェリア大統領選挙は、各政党より推薦候補を一名選んで大統領候補をたてて、各政党から選ばれた候補者のなかから大統領を選ぶというものです。この政党内の予備選挙の過程で、予備選挙直前の本年2月にナイジェリア大統領候補の資格年齢がこれまでの35歳から40歳に上げられ、それにより、選挙時点では39歳であった、ジョン・バッサ氏は大統領候補としての資格をなくし、戦わずして選挙に敗れてしまいました。不正な選挙としてアピールし、一部の新聞にもその問題は報道されましたが、最終的には無視されました。

しかし、この事実から、ジョン・バッサ氏の大統領候補としての存在は、オバサンジョー氏にはかなり脅威であった事が伺えるのではないでしょうか。次期大統領選挙に向けて地道に準備し、活動を続ければ、年齢の若い彼ならば、チャンスはあると思いました。しかし、彼自身はむしろ宣教師としての重荷も持っているようであり、ラゴスを発つ際、空港で祈りのリクエストを示され、日本でナイジェリアの彼の働きのために祈って欲しいと要求されました。彼としてはナイジェリア大統領になる気持ちは今も変わらずにもっていますが、福音宣教のために働きたいという具体的思いのほうが大きいとも思いました。添付の彼の祈りを実現し、且つ、ナイジェリアの大統領になってナイジェリアと世界の平和と福音化のために働くことが、彼にとっての夢、即ちMY DREAMとなるのでしょう。

4.MY DREAM

ところで私自身のMY DREAMとは何でしょうか。不況、リストラ、自殺者増加、教育の荒廃、モラルの破壊、正しい価値観と方向性を見失ってしまった今の世の中で、平凡なる会社員(ビジネスマン)である私の夢と希望はいったいどこに求めれば良いのでしょうか。現在勤務する会社の営業社員として、商品を出来るだけたくさん販売して、会社の売上増加に貢献することでしょうか。その目標実現のためにあらゆる策略を弄して日々努力することに生きがいを求めるべきでしょうか。たくさんのお金を儲けて好きなことをして暮らすことでしょうか。あるいは、家庭の平和と子供の将来に希望を託すことでしょうか。自分中心に好きな趣味を楽しんだり、友人達と楽しく交わって気ままに暮らすことでしょうか。

それらの事も、一時的には生きがいになるかもしれません。特に、家庭は個人の幸福にとり大変重要であり、会社も、社会にとり、又、個人が日々の経済的糧を得るために大切なものです。しかし、自分のことだけを中心にして、他人のことを十分に省みることなく日々暮らしていては、神様の前では大変空しい気がします。本当のつきない最高の生きがいと喜びは、神様の愛と平安を日々の生活で実践して、日常接する人々に自分なりに伝えること。永遠の命と、天国への希望を抱く生活を送る中に、愛と喜びと希望の多い価値のある人生を送る鍵があることを人々にわかって頂けるように暮らしていくことに、真に生きがいのある人生を歩む鍵があるのではないでしょうか。

一般的に自分中心にすべての物事がすすんでいく世の中において、イエス・キリストの示された愛と、御言葉により明確に示されている聖書の教えを実践して、聖書の真理と神様の愛を宣べ伝え、世界の平和と福音宣教の拡大を実現させる中に、MY DREAMを私なりに追求する事に人生の本当の意義があると思います。この愛とは、空気が生命の働きに不可欠であるが、目に見えず存在すら忘れられているように、神様の創造物であるわれわれ人間生活の円滑なる活動に不可欠ですが、目に見えぬために、その重要さを見失っている、真に生きる力と勇気と喜びを与える、霊的力とも言えるものだと思います。この愛に焦点を合わせて生きる中にこそ、神様の目にかなう、神様に祝福された人生を送る秘訣があると思います。

栄光在主
1999.10.07(YMCA東京国際朝祷会にて)