人生の意味とは?

茶之木 淳  (Jun Chanoki)

■氏はHSBC証券会社東京支店調査部アナリスト。本稿は1999年春インターナショナルVIPクラブお茶の水会場でのスピーチの原稿です。

1.人生の意味の探求

人生の意味・目的とは?これは、誰もが人生のどこかで必ず持つ大いなる疑問です。なぜ生きるのか?何が人生で最も大切か?これらは誰もが簡単に答えを見つけることのできないほど、深く、避けることのできない疑問です。あなたの人生の目的は?なぜ生きるのか?あなたはこの質問に対する答えを知っていますか?人間は過去何千年も繰り返しこの問題を自問自答してきました。

近代20世紀の哲学的、人間的な答えはおおよそ次のようになります。「人間は自分自身でその人生の意味を探さなければならず、むしろ答えを捜せるか否かよりも、この答えを探すためのプロセス・試みに意義がある。」現代日本において、この大いなる疑問に対する一般的な回答は次のようなものでしょう。「努力することそのものが意味のある人生である。」

日本企業の多くの著名な経営者が、日本経済新聞の『私の履歴書』というコラムで自叙伝を書いています。このコラムは毎日、朝刊の最終面に掲載されており、多くのビジネスマンたちが読んでいます。これらのトップの方々の大部分は、社会的に価値のある何かを成し遂げてきた人たちです。彼らは、彼らの人生そのもの、誕生からこれまでのビジネスにおける成功の連続物語を新聞社の依頼により執筆しています。そして、そうしたトップビジネスマンたち自身もこの大いなる疑問を投げかけています−人生の意味とは?−しかし面白いことに、これらの自叙伝から私が読み取れる共通した答えは、「懸命に働くことが意味のある人生である。」と言うことです。

この答えにあなたは満足しますか?私は満足しません。アメリカ人であるクライスラー社の前会長が自叙伝の中で次のようなことが書かれてありました。−オフィスでもっと多くの時間を過ごさなかったことを死の床で誰も悔やまない。ある人は、誰かをもっと愛さなかったことを悔やむかもしれない、また、誰かを赦さなかったこと、誰かに謝らなかったことを悔やむかもしれない、しかし、私たちは、会社のためにオフィスでもっと残業しなかったと決して悔やむことはありません。

何人かの大成功をおさめたアメリカ人そして華人ビジネスマンは、人生の意義について、家族を愛することだと言うかもしれません。また、たくさんのお金を儲けることは最も重要ではなく、人生において2番目に重要なことであると言うかもしれません。あなたの心はこの大いなる疑問に対する答えとしてこのような答えであれば満足しますか?この質問をすることを避けていませんか?いままでこのような経験をしたことがありますか?−あなたの心は空虚と無意味に満たされ、それがあなたを無価値に、不幸に、無目的にさせていることをあなたは判っていますか?

2.私の求道

クリスチャンになる前に、私もこの大いなる疑問を持ち、答えを探し求めました。私はこれから先の道のりにぼんやりと現れている暗い未知の将来への不安―今は、それが神への畏れであり、神の最終的な裁きの座に直面する人間の運命と信じていますが―を持っていました。私がクリスチャンになる前、周囲の人々はしばしば私のところへきて、「あなたは幸せな人に見える」と言いました。実は、それは真実ではありませんでした。いつもの私の笑顔しか見ていない周囲の人々は、私の心が痛んでいることには全く気がついていませんでした。

私が答えを探していた学生時代、学生寮でいろいろなタイプの人と出会いました。そこには、自らを駆り立てる自己中心的な「一般的な学生」が沢山いました。麻薬中毒の学生、パーティーで酒ばかり飲んでいる学生もいました。こうした中で、"Light of the World"(世の光)とばかりに輝いていたのがクリスチャンの学生でした。私は彼らに大変興味を持ちました。私は、彼らと議論をして彼らを「茶之木 淳の宗教と人生哲学」に変えようとしてみました―しかし、いかんせん私には、私自身のなかに「真の信念」を持っていないことが分かりました。

神さまは憐れみ深く、私に福音を伝えるためにアメリカ生まれの中国人クリスチャン学生と混血の日系人クリスチャン学生を遣わしてくださいました。神さまは、私が私の人生ではじめて天の「見知らぬ神」に祈ることができるように徐々に私を変えてくださいました。その後、世界文学の授業で聖書を読んだ時に、引きずり込まれるような強いものを感じました。私は、砂漠を放浪してのどの乾きに苦しんでいる時に新鮮な水を見つけた人々のように聖書を読み始めました。

"Light of the World"的なクリスチャンと聖書に初めて出会い、人生の意味と目的とは?との疑問への答えに対する私の探求は、次のステップを迎えました。すなわち、私は次のような基本的かつ大切な疑問に突き当たりました―神は存在するのか?イエス・キリストとはだれか?私たちは罪人か?私は罪人か?私たちの罪のためにキリストは死んだのか?キリストは唯一の道、真実、いのちか? キリストは十字架に架けられ死んだ後、3日後に本当に復活したのか?

私の心は、宇宙のかなたに超自然的な「神」はいるではないかと信じるようになってきました。(それまでは、私は確信の持てない不可知論者であり、それは基本的に実質のない無神論者でした)。しかし、クリスチャンの友人はどんなに私が議論をふっかけても、キリストは十字架の上で死んで、3日後に生き返ったことを固く信じており、このことには妥協しませんでした。彼らのキリストが復活したことの力と希望を信じる信仰は、それまでの私の信念や理解をはるかに越えていました。

私を本当に変えたものは、神に対する祈りです。その後私は、この大いなる疑問への答えに対する探求心から、しばしばこの「見知らぬ神」に祈りはじめました。そのときまでに、数人のクリスチャンが私の良い友人となっていました。これらの友人の一人から、私はテモテへの第一の手紙6:3−7を示されました。この聖句を通じて、私は私が罪人であり、聖書は真実を語っていることを知りました。

わたしたちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません(テモテへの第一の手紙6:7)

3.神様との出会い

神さまはもう一つの事柄を通して、人間の運命と歴史は神さまの手の中にあること、そして私がどんなに否定しようともがいても、歴史を定める神さまは存在するということを私に示されました。私は、神さまに向かって、私の人生の方向を定めることを決心しました。私は、聖書が言っていること―キリストは主なる神であり、そしてキリストが救い主である―を受け入れました。私は、イエス・キリストを心に受け入れました。イエス・キリストは、私の罪のために十字架で身代りに死んでくださり、そして、墓に葬られた後、三日後に復活されたことによって、イエス・キリストが神の子であることを示したと言う福音(Good News)を私は信じました。キリストへの信仰を通じて、私は神の子供となり、神の家族の一員となりました。

イエスさまは次のようにおっしゃいました。「人は神の国に入るために生まれかわらなければならない。」私が信じた後、「神がいない」から「キリストは生きている」と私の価値観が一夜にして方向転換した事実は、人生の方向性が変わった、つまり私は生まれ変わったということでした。これは、1981年に起こりました。それ以来、紆余曲折はありましたが、神は詩篇116編を神秘的な方法で私に語りかけてくださり、神さまがいつも私の願いを聞いていてくださり存在していらっしゃることを知りました。

私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。主は私に耳を傾けられるので、私は生きる限り主を呼び求めよう(詩篇116・1、2)

さて、大いなる疑問に対するあなたの答えは何ですか?あなたはこの答えを知りたいですか?そのためには、第一に、真実を素直に求めること、そして「見知らぬ神」に祈ることをお勧めします。そうすれば、神さまはあなたに答えをくれるでしょう。第二に、聖書に答えを求めてください。聖書は歴史上最大のベストセラーで、世界中で最も多くの言語に翻訳されています。共産主義者が、ある一つの本を翻訳数で聖書に追いつこうと試みました、しかし、共産主義は衰退し、この努力は今も実現していません。こうした人々は、「答え」を見つけられなかったのではないでしょうか。

私は、旧約聖書の創世記・出エジプト記、新約聖書のマタイ・ルカ・使徒行伝を読むことから始めることをお勧めします。もし、聖書のいくつかの言葉の理解があなたにとって難しければ、あなたは一人ではないことを思い出してください。―あなたを助ける為に牧師やクリスチャンリーダーがいるのです。バイブルスタディーグループに参加してはどうですか?私に聞いて頂くことも出来ます。あなたが神さまとその真実を求め、キリストを見つけることをお祈りします。

質問:人間のおもな目的は何ですか?
答え:人間のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。

― ウエストミンスター小教理問答より
(第1コリント10:31、黙示録4:11、詩編73:25、26をご参照ください)