私の主イエスとの出会い


井上 治夫 (Haruo Inoue)

■氏はアルゴジャパン株式会社勤務

1.祈 り

主よ、感謝します。主よ、あなたがわたしにして下さったくすしき御技を証しさせていただけるこの機会を感謝します。この証しをあなたへの祈りで始めます。それは、それを読む方々に、これはわたしの証しではなく、あなたの証しであることを知っていただくためです。どうぞ、わたしを助け、あなたの栄光を証しさせてください。わたしは、あなたにすべての栄光を帰します。イエス・キリストの御名によって。アーメン

2.主は、ご自身の者を知っておられる

わたしは、1958年(昭和33年)東京で生まれました。両親とも教師で、姉が一人おりました。とても仲の良い幸せな家族でした。父が三男だったこともあると思いますが、いっさい宗教色のない家庭でした。後でわかったことですが、「人の死」をその職業とするような仏教を父は嫌っており、「神道」も興味を持っていませんでした。大戦下の十代の頃父は、人間同士が殺し会う戦争の狂気に非常に悩み、教会と扉をたたいたこともありました。しかし、残念ながら父の訪れた教会は、主の霊にあふれた教会ではありませんでした。父は、いわゆる「キリスト教」というのにも失望してしまいました。

わたしの幼少のころの思い出はあまり記憶にありませんが、そのころ読んだある童話がいつも心に残っていました。それは、「幸福の王子」という有名な童話ですので、ご存知の方も多いと思います。その童話の「主人公」の銅像とツバメは、多くの人々を助けたあとボロボロになり死んでしまいます。人々は、かつては宝石をちりばめた「幸福の王子」が、みすぼらしいぼろぼろの銅像になったといって壊しています。しかし、「王子」とツバメの魂は、天国へ神の元へ上げられるという話しでした。今思うと、主がその時から神や天国について、わたしの心を用意されていたのが分かります。 

初めてイエス様についてもう少し知ったのは、小学校の頃だったと思います。当時、父は三鷹にある都立教育相談研究所に勤務していましたが、そこで催されたクリスマスパーティーに主席したときです。そこには、十字架にかかったイエス様の像がありました。そこで、「どうやらクリスマスは、イエス・キリストと何か関係があるらしい」という印象をぼんやりと持った記憶があります。しかし、誰も救いについて説明してくれた人はいませんでした。「イエス・キリストは、十字架刑で死んだ人らしい・・・なんだか気味悪くって、怖いなぁー。」と思ったことを覚えています。

わたしが主を知る前に、また主を求める前に、主が準備していて下さったことでもう一つ思い出すのは、中学時代の夏休みに宿題に英語のReaderとしてパール・バックの「聖書物語」を読んだ、というより「読まされた」ことです。そのストーリーはとても興味深かったものの、わたしのとって世に数多くある昔話しの一つ以上のものではありませんでした。しかし、「普通」の昔話しとはっきり違っているのは、聖書物語が「神」を中心に書かれていたことで、それが印象に残りました。

3.「愚かな者は心の内に神は無い」と言う

このように神はわたしが幼いころから心の中に「神」「天国」「イエス・キリスト」「十字架」という小さな種を落として下さいました。しかし進化論をあたかも証明済みの、確固とした事実であるかのごとく教えているこの世的な教育を受けて育つ中で、「神」の概念はわたしの頭からなくなって行き、中学頃からだんだんと退廃的な考えを持つようになってきました。 酒やタバコにも手を出し始めました。当時、ロック音楽にも興味を持ち始めましたが、この手の音楽はわたしの心に秩序に対する反抗的な思いを植えつけました。

高校になったころにはまったくの無神論者になっていました。物理や数学が好きだったこともありますが、極端に唯物論者で、神や天国、霊の世界などは、幼稚な古代人の妄想と確信していました。ある時、倫理社会のテストで、「イエスの十字架とその復活について書け」という問題がでたことがありました。一度も聖書を読んだことも無いのに、答案用紙の裏側を全部使って、「復活なんかあり得る訳が無い。そんなのは、弟子たちが作り上げたでっち上げに過ぎない。」と「論破」しました。 

そんなわたしでしたが、心の中にはいつも空虚な思いがありました。先に書きましたように、まったくの唯物論に偏っていましたから、すべては原子と電子と中性子の集まりに過ぎないと考えていました。その結果、「そこにある電信柱と自分の存在に違いはどこにあるのだろうか?」という疑問がでてきました。そう考えると、心のむなしさはさらに大きくなっていくばかりでした。 

そのむなしさを満たそうと、いろいろやってみました。クラブ活動を一生懸命やったり、友達とコンパを一生懸命したり。スキーやスケートをしてみたり。また、当時ニーチェやカント、パスカルなどの哲学書や、シェイクスピアなどの文学、「善の研究」「出家とその弟子」など日本の哲学者の著書なども読んでみました。そのような「崇高」な書物だけではなく、「プレイボーイ」が「健全な雑誌」に見えるほどいかがわしい書物も「一生懸命」読みました。

しかし、むなしさは一向に減らず、ますます大きくなるばかりでした。自分はがけっぷちにいるような気がしていました。理由も目的もわからないまま惰性で生きていくのは、あまりにもむなしく感じていていました。その頃までは、心の中は混乱していましたが、まだ外見は一応「一般的な若者」のふりをしていることがなんとかできていましたが、もしこのまま意味もわからずに生きていくのなら、心の中の混乱が外見や行動にも出てきつつあるのが分かりました。それが「正しい」ものではないことは分かっていましたが、自分でも自分がどうなるか分からず危機感を感じていました。

4.不信者の祈りを聞かれる神

そんな18歳のある夜のことです。何もかも「むなしく」、「やるせなく」どうしようもありませんでした。自分でもどうしてそうしたのか分かりませんでしたが、人生で始めての「祈り」を祈りました。本能的とも言っても良いほどでした。ベッドにひざまずき、こう祈りました。

「神様、助けて下さい。」

それだけです。涙が込み上げて来ました。

まだ、本当の神を知らず、イエス様も知らず、聖書も読んだことがありませんでした。どの「神」に祈っているのかも知りませんでした。それは、つっぱった心が正直になった一瞬でした。しかし、それはその瞬間だけでした。すぐに、「俺、何をやってんだ?祈るなんて、馬鹿みたいなことをして」と、「祈った」自分をあざ笑っていました。そのまま、その祈りについても、自分が祈ったことも忘れてしまいました。

しかし神はそこにおられ、その祈りをお聞きでした。そして、神はその祈りをお忘れになりませんでした。

その祈りの数週間後、わたしの人生を180度変える出来事が起こりました。ある日、いつものように新宿の西口を歩いていてトラクトを受け取りました。それには、救いについて書いてありましたが、この世的な考え方しか知らないわたしには、なんともとりとめの無い内容で、幼稚にさえ見えました。トラクトの最後に、「手紙を下さい」とありましたので、「素直」に手紙を出して見ました。「倫社の答案」のような手紙をです。神なんかを本気で信じているクリスチャンとやらを、馬鹿にしてやろうという気持もありました。もちろん、その時は自分が祈ったことさえ完全に忘れていました。

5.救 い

それから数ヶ月、手紙でのやり取りが続きました。わたしの懐疑的で、論争的な手紙に関わらず、ある姉妹が忠実に手紙で養ってくれました。自分にはまだ信仰はありませんでしたが、彼女が祈りをこめてその手紙を書いてくれていたことがよく分かりました。

手紙の中で多くのの聖句が引用されていましたので、だんだんと聖書全体にはどんなことが書いてあるのか興味を持ち始めました。そこで、自分の聖書を購入し読み始めました。ちょうど休み中でしたので、多くの時間を聖書を読むことに費やすことができました。1日に新約聖書を5章、旧約を5章、詩篇を5篇、箴言1章読む計画を立てました。もっとも詩篇119編には参りました。ページをめくってもめくってもこの一編は、一向に終わりません。この日はその1編だけでいいことにしました。旧約聖書も始めはとても興味深かったものの、出エジプト記の後半あたりから、「雄牛1頭と、山鳩・・・なければならない。うんねん」のあたりで挫折しました。(後になって、ヨシュア記から再び読み始めましたが・・・)

当時最も心に浸透してきたのはやはり福音書でしたが、頭は非常に抵抗していました。特に、主のなされた多くの奇跡は全く信じ難いことでした。それでも、非常に引かれるものがあり、理解できず、また信じることができないまま読みつづけました。

やがてヨハネの手紙を読んでいて次の聖句が目に留まりました。

 「すべて愛する者は、神を知っている。神は愛である」

 「フーン。神は分からないし、天国やら永遠の命もよく分からない。愛も説明できないけど、愛は確かにあるし、なければとても生きていけない。もし、聖書にあるように神=愛なら、愛があるから神もいるということになる。それなら、その愛である神を信じる」

ただ、「神は愛」、それだけを信じ、受け入れました。

しかし救いについてはまだわかりませんでした。救いの計画や、十字架の意味は手紙でよく説明してくれていましたが、なかなかわかりませんでした。パウロの書簡でも、「これこれこういう者は神の国を受け継ぐことはできない。」とも書いてあります。自分もその「リスト」の中で上げられているような「人物」の一人でした。それを見ると、「いくら神が愛でも、俺はダメだ。」と思ったものです。

1ヶ月ほどして、ある兄弟にそのことを話しました。彼は、にっこり微笑んで聖書の一節を見せてくれました。

もし、わたし達が自分の罪を告白するのなら神は真実であるから、その罪を許し、すべての不義から清めてくださる(1ヨハネ書簡1:9)。

「君は、自分が悪いと告白したでしょ。ほら聖書には、神は既に許して下さっていると書いてある。」

主を褒め称えよ!喜びの涙がこみ上げて来ました。神は、こんなわたしでも愛して下さる。わたしにも救いを与えて下さっている。ハレルヤ!その時の感動、喜びはとうてい言葉で表せません。しかし、主の救いにあずかった兄弟姉妹の方々には、その説明は必要ないでしょう。

6.聖霊によるバプテスマ

救いはわたしにとってとても素晴らしい出来事でした。それは、主が言われたように、「新しく生まれる」ことでした。主が、こんなわたしに救いを与えるために、ご自身の命を投げ出してくださったほど、わたしを愛して下さっていることもよく分かってきました。そして、主がご自身の命という代価を払って与えてくださった、この永遠の命を、他の人にも伝えたいと強く思うようになりました。誰かが主に従ってわたしに福音を伝えてくれわたしが救われたように、もしわたしが主に従うのなら、主はわたしを通してさらに他の人に救いをもたらせてくださる、と考えるようになりました。

救いは、主の賜物であり、わたし達の行いによるものではないことは分かっていました。しかし、それが主の賜物であるがゆえに、他の人にも分け合わないわけにはいきませんでした。しかし、そのような大胆さをわたしは持っていません。子供のころから人の注目を引くようなことをするのは苦手でした。

聖書には、「ただ聖霊が下るときあなたがたは力を受けてわたしの証人となるであろう」また、「天の父は・・・もとめて来るものに聖霊を賜らないことがあろうか」とあります。

そこで、自分の部屋で主に聖霊で満たしてくださるように祈りました。それが、わたしが受けた「洗礼」です。後である牧師に聞かれたことがあります。「どこの教会の、どの牧師によって洗礼を受けましたか?」、わたしの答えはただ一つです:「自宅で、イエス・キリストによって洗礼を受けました。」

7.証しをしないクリスチャン

時を同じくして、忘れられないことが起こりました。隣のおじいさんが亡くなったのです。近所付き合いをしない人でしたので、18年間隣どうしでしたがほとんど顔を見たこともありませんでした。しかし亡くなったということを聞いて、とても心が痛みました。隣に住んでいながら、わたしは彼に福音を伝えていなかったからです。自分の部屋で、涙を流して主に祈りました。泣きながら、心からの祈りを主に注ぎ出しました。

主は言われました。「彼は救われている。」

この主の励ましに感謝しましたが、それだけでは満足せずに祈りました:「主よ、ありがとうございます。でも御心でしたら、彼が救われたというしるしを何かみせてください。」

主の答えに対して、さらに「しるし」を求めるのは「信仰の立場」と合い入れないこともありますが、この時には「しるし」を求めるように導かれたのです。

ちょうどその時、父母がお通夜から帰って来ました。わたしの顔を見て父が言いました。

「・・・さんは、クリスチャンだった。神父さんが来てお通夜をしていた。」

わたしは喜びに溢れ主を褒め称えました。

「なんていうこと!人の死を喜ぶなんて!」おばあさんが言いました。
「彼は今、主と共に天国にいるんです。喜ばずにはいれません。」

家族全員がわたしを変な目で見ていましたが、その喜びを隠すことはできませんでした。こうして、主は大きな悲しみを喜びに変えてくださいました。しかし、その後で再び悲しくなりました。それは18年間隣どうしだったのに、近所の誰も彼がクリスチャンだったことすら知らなかったことです。彼が近所に対して証しをしたのは、そのお葬式が最初で最後でした。

「そのような主の明かりを隠してしまうクリスチャンだけにはならないように、主がわたしを助けてくださいますように。」

主の救いを証しするクリスチャンとして生きていくことを、主に対してコミットメントする祈りを主に捧げました。

8.福音を述べ伝えよ

主は20年以上たった今でも毎日の生活の中でその祈り答えてくださっています。それ以来、多くの場所で、さまざまな機会に証しをしてきました。多くの人が主を受け入れ救われました。また、何人もがさらに活発な主の「証し人」と成長し、宣教師、牧師、教師などになった人もいます。主を褒め称えます。

主は、台湾人であり、主への信仰と福音を証する重荷をもった尊い姉妹を妻として導いてくださり、8人の子供たちによって祝福してくださいました。現在、長野県松本市に住んで主の福音を伝えることを、第一の目的として生活しています。

現在の主がこの地域でなされている、主要な活動を簡単に紹介します:

まず会社内において成長しているクリスチャンの兄弟姉妹の群れがあります。その群れは、ただの「信者」の集まりではなく、ビジネスという場において福音を伝えて行くということを第一目標に掲げている主の「弟子」たちです。

また、松本、塩尻近辺で家庭礼拝を守っている兄弟姉妹の群れがあります。それぞれ自分に与えられている場所と方法で福音を伝えています。祈りや、交わりのために月に二度集まっています。

また、子供たちと一緒に土、日にはトラクトを配りに町へ出ます。それは、「残る実」という観点から見ると、それほど実りの多い方法とは言えませんが、子供たちとともに福音のメッセージを注ぎ出すという意味で、特に子供たちの訓練の面で大切な位置をしめています。

長男は、この夏よりインドの宣教の畑に旅立ちます。半年、または御心でしたら1年間の予定です。

家内が「中国語を話せる」という賜物をいただいている以上、それを主の栄光のために使うことも大切なことです。家内は、知り合いにアメリカ人の宣教師とチームを組んで去年1ヶ月間、中国へ宣教の旅に行きました。今年も御心でしたら、10月頃に行く予定でいます。

自宅では、日本人のための英会話クラスや外人のための日本語クラスを少しずつ始めています。現在、英会話クラスに一人、日本語クラスに一人来ています。ですから、「クラス」と呼べるようなものではありませんが、その二人とも主を受け入れて救われました。御心でしたら、自宅をさらにオープンにして主の羊をもって養って行くことができるように祈っています。

9.すべての栄光を主に帰せよ

先日、ある兄弟と久しぶりに会いました。彼は最近、ある姉妹と結婚しましたが、この姉妹は、何年も前に主がわたしを使って主に導かれた人でした。彼は、わたしに言いました。

「わたしの奥さんとなる人を、主に勝ち取ってくれてありがとう。」

わたしは答えました、「主に感謝します。この20数年間、主がわたしを使われて真に残る実を結ばせてくださったことが何度もありました。ただ救われるだけでなく、さらに主のために実を結ぶようになるような人を主に勝ち取ったことが・・・。しかし振りかえってみると、そのように主に使っていただいた時というのは必ずと言って良いほど、わたしが大きな試練や戦いのまっただ中にいる時でした。とても弱く感じ、毎日が試練と戦いの連続で、ただ主の恵みだけに頼って、毎日泣きながら必死に主にしがみ付いていたときでした。ですから、わたしには何の手柄もありません。それは、すべて主がしてくださったことです。わたしは、ただただ主の恵みによって、必死に主にしがみついていただけです」。

ハレルヤ!!すべての栄光が主にありますように。

ある読み物にこんな言葉がありました。 

「主は、心の砕けた男女のみを使われる。主は、それ以外の人をお使いなることが出来ないのである。」
(主の御心でしたら「砕かれる過程」についての証しもいつか書かせていただけるかもしれません。) 

もしかしたらこの証しを読んでおられるあなたは、たった今試練や戦い、困難、苦難に直面しているかも知れません。もしそうでしたら元気を出してください。それは、主が働かれる絶好の機会だからです。主に顔を向けてください。主にすべてを委ねてください。主は、人の思いにも浮かばないような方法で、わたし達の苦難を主の栄光に使われます。ですから、「あなたの冠を奪われてはいけません」。主に恵みよって主の約束に立ってください。そして、共に主を褒め称えましょう。

または、あなたはまだ主の救いを知らないかもしれません。主は、わたしのような全く主を知らない人間の祈りをも聞くことのできられる神です。わたしのように、高ぶって主に敵対して語ることもはばからないような人間の祈りをも聞いてくださる方です。主は心の奥底までご存知であり、その痛みをご存知です。主は、その痛みを「知っている」だけではなく、その痛みをご自身「経験」なさっています。主は、わたし達の弱さを顧みることのできないような方ではありません。ですから、主の愛と救いを受け入れてください。そして、主に主の愛をあなたに対して証明するチャンスを与えてください。どうぞ、この祈りを一緒に祈ってください。

「イエスさま、どうそわたしのすべての過ちをお許しください。心の中に入ってください。永遠の命をお与えください。あなたの愛と聖霊によって満たし、あなたを愛し、わたしの隣人を愛することをお助けください。主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」。