家族の絆

松本 政典 (Masanori Matsumoto)

■氏はセゾン生命保険勤務

1.「イエスの血」を知る経緯

この証を通して私たちの主イエス・キリストに栄光が帰されることを心から願いつつ。

信仰によって、初子を滅ぼす者が彼らに触れることのないよう 彼は過超しと血の注ぎを行いました(ヘブル11:28)。

神様はイエス様の血潮により私と私の家族に言葉で言い尽くせない恵みとあわれみをもって愛の家族へと導いて下さっていますことを心より感謝します。幸せな家族は世の中にもクリスチャンの中にもたくさんおられるかとは思います。ここではイエス様の血潮の日常生活での適用により劇的に家族愛の祝福へと導かれていった私達の証を通して少しでも皆様のお役に立ち、主が栄光をお受け下さいますように。

今から4年近く前、仕事があまりにも多忙で信仰がまったく無くなる寸前の状況まできていたため、家内と相談の上、おもいきって転職することを決意しました。年齢的なことと何とかして家族を養っていかねばという切迫感に追いやられるかのように、韓国へ初めての断食祈祷へと導かれたのでした。

期間中、来院されたキム・ヤンベイ師より按手の祈りをしていただく恵みにあずかりました。師が私に語って下さった中で一番心に残ったことがありました。それは、「あなたはサタンに攻め込まれている。だから、あなたと家族のためにイエスの血で覆われるように、毎日祈りなさい」というお勧めの言葉でした。

帰国後、祈り求めていた条件にピッタリと合った会社がみつかり、再就職することができました。ただただ,神のあわれみと恵みのゆえであります。主の御名をほめたたえます。

時期ははっきり覚えてはいません。1年位過ぎてからだったと思いますが、VIPクラブ幹事の市村氏より、ある2冊の小冊子をいただいたことを契機に再びあのお勧めの言葉を思い出して、その通りに祈りだしたのでした。それは、イエスの血とサタンに対抗する内容の本でした。この本は,韓国でのお勧めを日常生活で実践するための手引き書として、まるで神が私にプレゼントして下さったかのようでした。とにかく、以後通勤途中はもちろんのこと少しでも空いた時間があれば上着の内ポケットより取り出してはむさぼるように読み 、その真理を求め始めました。

聖霊様が、自分と家族のために毎日「血潮」で覆われるように祈る力を与え、本を通して「血潮」の意味と重要性を徐々に理解できるよう助けて下さいました。

最初は、祈りの中で「血潮」で覆われるように祈っていましたが、いつの頃からか家族へのスキンシップということからか?妻子の頭に直接手を置いて「血潮」で祈るようになっていました。

出勤前ということもあって慌てて早口で祈るようなこともあります。とにかくほぼ毎朝の祈りに加え、後にその本を読んだ家内のリクエストにより夜も祈ることにもなり、現在は毎朝毎晩恵みによって祈りに 励ませていただいております。
「血潮」の祈りを始めてから2年近くになりますが、ふと我が家を振り返ってみますのに本当に自分でも驚くほど、夫婦関係・親子関係・家族全体がお互いに仕え合い、愛し合う雰囲気になっているではありませんか。これは「血潮」による効用のなにものでもありません。イエス様に栄光をお返しします。

2.イエスの血の効用

以下に現在までに私達が体験させていただいている「血潮」の効用をまとめてみました。

(1)祈りに入るとき,いろんな雑念が払われて、短時間で祈りに集中できるようになる。

以前は祈り始めても祈りたくない思いやらいろんな事柄が頭の中をよぎり、なかなか祈りに集中できませんでしたが、悔い改めて自分を血で覆っていただき「血潮」を唱えて近ずくとき、神様だけに心が定まり祈りのなかにスーッと入っていけるのは実に感謝です。(第1ヨハネ1:9;ヘブル10:19−22)

(2)悔い改めやすい魂に導かれる。

ちょっとした罪にも敏感になり、スグ悔い改めて「血潮」で覆われ「イエス様の血の線」でサタンの攻撃から守られることを常に意識するようになりました。( 箴24:31; 詩篇32:5)

(3)健康が祝福される(第3ヨハネ2節)。

以前に比べると本当に病気が家族もろとも極端に少なくなりました。特に家内は朝起きると毎日に近いほど、体調の悪さを訴えていました。私も体が強いほうではなかったので薬は常備品で、中でも 頭痛薬セデスは二人で結構ガンガン飲みまくっていました。家内の場合、あまりにも頻繁なので苦しむ妻を前に見て見ぬふりをして早々に出勤することも多々ありました。本当に、今思えば情けない夫だったとつくづく反省しきりです。

子供達にしてもよく風邪をひいたり、熱をだしたりで病院通いはしょっちゅうでした。ところが、「血潮」で祈り出してからは、妻子が病んでいるときは、とにかく御言を引用してイエスの御名によって大胆に病魔を追い出す祈りを徹底して行うようになりました。ときにはヤコブ5:14の御言葉通り、患部にオリーブ油を塗って祈ったりもするようになりました。そのことにより、現在私ども家族は極端に病気が少なくなりました。ハレルヤー!!( エペソ5:28; マルコ16:17、18)

(4)家族愛が生まれる(詩編133編;第1コリント13:2〜8)。

「血潮」の祈りの効用のなかでも、このことが一番驚いたことです。いつのまにか、家族が愛し合い、仕え合い、協力しあって生活していることに気づいたのです。まず私自身に妻を愛し、思いやる気持ちが与えられ、それを実行に移す力が与えられたことは大変意義ある主からのプレゼントでした(エペソ5:25〜33; 第2コリ13:3〜8)。

また子供の教育にもあまり感心がなく、結構感情的になっては叱っていましたので、あまり子供達も寄り着かない様子でしたが、私のほうから積極的に子供と関わりを持たねばという気持ちが起こってからは、子供達のほうから私のほうに寄って来るようになり、楽しい一時を過ごせるようになりました。当たり前のようですが、私にとってはこれは奇跡なのです。

この家族愛をとおして、神の愛の深さを味あわせていただいております。主に感謝!

(5)父権が家族の中に生まれる(ピリピ2:6〜7)。

この言葉は日本では死語になりつつあるのではないかと思われるくらい使わなくなりました。しかしながら、我が家においては"血潮"の祈り以後妻子の私に対する態度が変化しているのに気づいたのです。子供達の私を父として信頼し従う姿(時には反抗しますが)は、父親として慰めを受けると同時に大変嬉しくもあり感謝です。家内も子供達に対して父親として立てていてくれますし、長女にしても妹に家庭におけるお父さんの存在意義を自分なりに教えている姿を見るにつけ尊敬してくれているのがわかります。私自身愚かな者だとわかっているので、神の御前に恥じいるばかりです。おそらく、イエス様が仕えられたように、私も家族に仕えさせていただきたいとの願いからの信仰による行い(主の恵み)を通して、神が建ててくださった権威かと個人的に考えます。

(6)父親は家庭の小牧者・祭司なり(第1ペテロ5:2、2:9)。

家族の中で家長としての役割を担うべく、会社での仕事も去ることながら、家族―つまり妻子の様子にも常に目を配ることが必要だと思うようになりました。確かに仕事が多忙でそういう余裕が無いときもありますが、無関心であるならばサタンに付け入るすきを与えることだと教えられている次第です。 イエス様御自身も羊のために命を捨てられました。

また、霊的にも養い導く祭司的役割 (「血潮」の朝晩の祈り等 )を果たすことの大切さを学んでいます。

(7)聖書の御言に対する飢え渇きと理解が増し加えられる(詩篇42:1・2;コロサイ1:10)

(8)性的苦悩・誘惑からの解放と勝利(ローマ9:37)。

このことは、本当は省きたいのですが、恥を忍んで、主に栄光があることを祈りつつ記します。はっきり申しますと、私はこれに関しては随分長年悩んできたほうで、こればっかりは、こんなものかなと半ば諦めていました。つまり、男として生まれてきた以上、一生悩みつづけるものなのか?と。 確かに、聖霊が充満しているときは、勝利できます。しかし、社会で働いていれば必ずしもそういうときばかりとは限りません。特に視覚に訴える性的刺激による誘惑には、よく敗北してはどうしていつも…悔しさと情けない思いで自責の念にかられていました。

ところが、ここにも「イエスの血潮」は勝利を与えて下さったのでした。以前はほふり場に引かれる牛のように、サタンの餌食になっていました。 …が、「むなしい物を見て罪を犯すことの無いように"血潮"によって私の目と思いを覆って下さい。」と日々祈りつつ、誘惑の危険を察知したときは、即座に「"御血"よ、お願いします。」と繰り返し「血潮」による守りを信じて告白する(唱える)とき、必ず勝利できることを発見したのです。

感謝!これからも一生涯戦いです。 (箴言24:26、27;第2テモテ2:22;マタイ5:28)

(9)霊的なUP・DOWN(波)が小さくなる感じがします。

(10)救霊への熱き思いが湧きあがる(マルコ16:15;イザヤ6:8)

親族・隣近所の住民・会社の人々・仕事で会うお客さん・通勤途中で見る数多くの滅び行く魂への切なる救霊の熱き思いは募るばかりです。主よ、私を、クリスチャンを遣わして下さい。

(11)家庭に祭壇を築く (創世記35:1〜5)
アルゼンチンの日本人宣教師のアドバイスで、今年の5月頃から家庭の中に祭壇を築く第一歩として、少しの時間ですが、毎朝夫婦でお互いのために祈り合う恵みにあずかっています。このことを続けさせていただく中、家内も私もお互い日々本当に励まされています。

3.感謝と賛美

イエス様が十字架の上で流された「尊い血潮」を心から感謝します。パウロ先生が言われたように、私と家族にとっても十字架以外に誇りとするものは何もありません。ただ神様の恵みにより、「血潮」の真理の教えと日常生活での適用・家庭に祭壇を築く夫婦の祈りを通して、キリストを土台とした堅固な家庭を築いて下さっています。

そして、「血潮」の真理も含め、イエス様ご自身(御言)の広さ・深さ・高さ・長さを生涯をかけて求め続けていきたいと思います。(第1コリント8:2;ピリピ゚3:13〜14)
妻が言いますには、「『血潮』を適用するようになって一番変わったのはあなたです」と。そういえばイスラエルがエジプトから脱出できた決定的要因はやはり「血」でした。私もイスラエルのように、ただ神のあわれみによって 最悪極まりない形式的な信仰生活から脱出させて下さったことを覚え、心からこの偉大な神に感謝します。( 出エジプト12:21〜22)

私と家族に関するこの証を神にお献げし、主イエス・キリスト様に栄光をお返しします。

私が頂いた本にもありますが、「血潮」の真理は聖書の中で最も重要な真理の一つであります。しかしすべてではないということです。つまり聖書は全体をもって読まれ実行されるものであることをご理解いただければ感謝です。この点は各人くれぐれもご注意ください。

この証を読まれ、「血潮」に関する本を日常生活に適用してみていろんなすばらしい体験をされましたらご連絡いただければ感謝です。また、証も多くをこの紙面では語り尽くせません。ですから、詳細をお知りになりたい方は直接お会いしてお話しできれば幸いです。主にありて。


<「血潮」に関する本のご紹介>
「イエスの血の力」・「悪霊に対する勝利」
H.A.マクスウェル・ホワイト 著
(株)オアシス・クリエイト 出版