歌い続けよう主の愛を

上田 正敏 (Masatoshi Ueda)

■氏は住友商事株式会社国際貿易管理室次長。本稿は1998年11月10日インターナショナルVIPクラブお茶の水での証しに一部加筆したものです。 

主はこう仰せられる。
「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。
つわものは自分の強さを誇るな。
富む者は自分の富を誇るな。
誇る者は、ただ、これを誇れ。
悟りを得て、わたしを知っていることを。
私は主であって、
地に恵みと公儀と正義を行う者であり、
わたしがこれらのことを喜ぶからだ。
―主の御告げ−」
(エレミヤ書9:23〜24)

1.救いの証し

私は、昭和47年3月関西学院大学法学部を卒業し、住友商事株式会社に入社し、以来20数年間審査部の仕事をしてきました。私が初めてキリスト教の集会に出席したのは、社会人になって3年目、25歳の時で、父に誘われて出かけたのが最初でした。父はその頃ラジオの福音放送を聴いていて、60歳近くになってからキリスト教の信仰をもつようになっていました。

父は言いました。「お父さんはキリスト教の信者になったから、自分の葬式は教会ですることに決めた。葬式の当日になって、初めて教会に行くようでは、教会の人の顔もわからず困るだろうから、一度挨拶に行っておきなさい。」と。
もしストレートに教会の説教を聴きに行くようにと言われていたら、反発して行かなかったかもしれません。しかし、このように言われると、「それもそうやな」と変なところで納得して、とにかく父と一緒に行くことにしました。

それは阪急茨木駅の近くの茨木聖書教会で、土曜日の夜に社会人男性のために開かれたメンズバイブルクラスという集会でした。信者の方が一人証しをされましたが、内容はほとんど覚えていません。ただ、その人の顔が終始輝くような笑顔であったこと、また、アメリカ人宣教師のダン・マカルパイン師をはじめ、教会の人たちが暖かく私を迎えて下さったことが印象的でした。それから日曜日の礼拝にも出席するようになりました。

小さい頃から音楽が好きだった私は、礼拝の中で歌う賛美歌やゴスペルフォークにはすぐに親しみを覚えるようになりましたが、聖書の中の罪や救いのメッセージを素直に心開いて受けとめることはできませんでした。そのような頃、礼拝の週報に書かれていたのが、エレミヤ書9:23〜24の聖句でした。専門的な知識や経済力などは若い私にとっては憧れであり、自分の身につけることができれば誇りとしたいものでした。プライドに凝り固まった私の心の中を見通されているようで、ドキッとしました。しかし、賛美歌には抵抗感がなく、歌うのが好きになりました。

ある日の礼拝で、一人の女性の教会員の特別賛美がありました。その時の歌は、私もよく知るっていたゴスペルソングでした。その歌声は心にしみとおるような響きで、私が自分で歌っているのとはまったく別の曲のように聞こえました。

この違いは何だろう。この人には神を信じる信仰があり、私にはない。
私は、その賛美の歌声を通して、信仰なしに自分勝手に都合のよいように聖書を読んでいた高慢な自分の姿を示されたような気がしました。

キリストは高慢な私の罪のためにも死んで下さり、罪を悔い改めキリストを受け入れる者は救われ、永遠の命が与えられる。その理屈は頭ではわかっていても、なかなか素直に心に受け入れることができませんでした。

そんな日が続いていたある日曜礼拝で、説教の終わりの頃に「今ここでキリストを自分の救い主として受け入れる決心をする人はいませんか。手を挙げて示して下さい。その人のために祈ります。」と招きがありました。私の心の中では、理屈ではわかっていてもなお心に受け入れられない、しかし、信じて救われたいという気持ちが揺れ動いていました。受け入れることのできない理屈が悪いのか、それを拒み続けている心が悪いのか、自問自答を繰り返し、手を挙げようかどうかと迷っているうちに、祈りが始まってしまいました。私はもはや何もキリストの救いを拒否する理由がないことがわかりました。そして、礼拝が終わるとすぐにマカルパイン宣教師のところに行って、キリストを信じる決心ができましたと話し、祈っていただきました。

私は早速教会の聖歌隊に入ることにしました。すると皆が、私が救われて聖歌隊にはいるのを祈って待っていたというのです。たくさんの人の祈りの支えがあって救われたことを知りました。その年のクリスマスは、生まれて始めて本当の意味のクリスマスを祝うことができました。

2.結婚への導き

私の信仰の歩みは始まったばかりでした。これからの人生において直面する問題はすべて、信仰によって導きを求めようと決めました。最初の大きなテーマは結婚でした。

ある時、職場の上司の部長とともに取引先の中堅紡績を訪問し、トップの方々とお会いする機会がありました。訪問から帰って数日後、部長に呼ばれました
「あの時の副社長さんから君に結婚のお話があるんだけど、上田君どうする?」
私は、一度お会いしただけで自分のことを何も知らない人から結婚の話を勧められ、困ってしまい、部長にお願いして丁重にお断りいただくことにしました。その後、何となく気が済まなかったので、丁度年末の頃だったこともあって、新年の挨拶に合わせて手紙を書くことにしました。結婚のお話をお断りしたお詫びと、自分自身の結婚についての考え、信仰をもつようになった経緯など、たとい理解してもらえなくてもよいと思って、信仰の証を書いた手紙を送りました。

一月くらいしてから、思いがけなく分厚い手紙の返事が届きました。その方(橋本常一郎副社長)も意外なことにクリスチャンで、住友銀行に長く勤められている間、ヨハネ第一の手紙第4章の「神の愛」が仕事の上で大きな支えとなったと、手紙の中で語っておられました。私は、実業界の中にも、立派に信仰を持ち続けている方がおられるのかと大きな励ましを受けました。

思い切って手紙を書いたことから、私の結婚の相手は同じ信仰をもつ女性という考えが明確になりました。しかし、自分の人生の伴侶を自分で間違いなく見つける自信はありませんでしたので、毎日一生懸命に神に祈るようになりました。
「神様、あなたが私にもっともふさわしいと定められた人を、絶対に見過ごしたり、間違ったりしないように、鈍感な私にもハッキリわかるように示して下さい」と。

教会では毎週礼拝の後、聖歌隊の練習があり、その中に礼拝で特別賛美をした女性がソプラノのパートにいて、練習の終わった後、よく一緒に帰るようになりました。私の気持ちはその女性に傾いていきましたが、「神様、この人がそうなんですか?ハッキリ言って下さい」と何度も祈りの中で尋ねました。誰にもこのことを話したりしなかったのですが、一月くらいして、父に「いつまで祈ってるンや」と言われ、父は少し前から気づいていたようでした。

私は、一月祈っている間にも自分の気持が変わらずにいたことから、この人がその人であると確信を得て、教会の役員の方を介して、彼女に意向を伝えていただきました。祈って返事をしたいとの答えでした。それから、一緒に食事をしながらお互いの信仰の歩みを語り合い、二度目にあって話し合ったとき、お互いに確信をもつことができ、一緒に結婚について神様の導きを祈りました。その時、私たちの間を確かに聖霊が通り抜けられたと感じました。

私たちの結婚が決まって、橋本さんのお宅に婚約の報告にお伺いし、結婚式にも参列していただきました。その数年後、橋本さんは心筋梗塞で入院され、心臓のペースメーカーを付ける手術をされました。その折りに、病院にお見舞いにいき、出版されたばかりの水野源三詩集「我が恵み汝に足れり」をお贈りし、讃美歌397番「病の床にも慰めあり」の歌詞をお読みしたところ、大変喜んで下さり、かえって私の方が強められた経験をしました。

3.仕事と信仰

会社での仕事は、入社以来審査部の業務にたずさわってきました。取引先の信用状態を調査分析し、営業部から回ってくる与信限度の申請書を審査し、与信承認の範囲内で取引が行われているか管理するのが主な業務でした。

私が審査を担当していた関係会社の取引で、意見が対立していた案件があったのですが、その取引先の経営が行き詰まり、その取引を担当していたH事業部長も病気で緊急手術を受けるため急遽入院と言う事態が起こりました。長時間の大手術の後、一命をとりとめられて、しばらく入院しておられた頃、お見舞いに行きました。お元気なときには、私の言うことにはあまり耳を傾けようとはせず、商売一途という方でしたが、体をこわされて初めて、それまでの無謀なやり方に気づき、私の話を静かに聴いて下さるようになりました。手術後は疲れやすいので、水野源三詩集「我が恵み汝に足れり」をお持ちして、短く聖書の話をして帰りました。退院されてからも、時々お見舞いに伺い、ラジオの福音放送のテープをお届けしたりしていました。

そのような時、私はその関係会社に出向することになりました。出向先での仕事も審査課長として全取引先の与信管理を行うことでした。手術後の経過も順調に進み、職場にも復帰された頃、Hさんを教会の特別伝道集会にお誘いしました。病気で一番苦しかった時に心の支えとなったのは聖書の話だったと言って、喜んで集会に出席されました。私は彼が本当にキリストの救いを受け入れることができるように祈りました。そして、Hさんはその集会のメッセージの中で招きに応じて手を挙げて、信仰の決心を表明されました。

また、ある時、支店の取引先に経営状態が危ないらしいという噂がでている先がありました。私は東京出張の帰りにその支店に立ち寄って注意を促して帰ってきました。それが土曜日のことで、日曜日の内に事態が急変し、翌日の月曜日には自己破産の申請を行い倒産してしまいました。たまたま日曜日に事態の連絡を受けた同じ部の同僚が、私の家に連絡をとろうとしたのですが、その日は年一回の教会総会があり、夕方まで家を空けていました。そのため、連絡がとれなかった同僚が月曜日の朝一番に私の代わりに出張し、処理にあたってくれたのでした。

このことがあって、私は社内の全管理職一人ひとりに教会案内を手渡して、話しました。
「私は毎週日曜日には教会に行っています。緊急の時は、ここにご連絡下さい。」

出向先の会社では、毎月第一営業日の9時から、朝礼が行われていました。男女各一名の社員が自由なテーマで短いスピーチをすることになっていました。その順番が私にも回ってきました。私は、仕事と信仰という題で短く話しました。
「仕事については、神に仕えるように忠実に。人に対しては、愛をもって接するように。普段なかなかそのようにはできていませんが、いつもそうありたいと願っています。」

そして、6年間の出向が終わって本社に戻るとき、会長、社長、全管理職に、出向期間中の感謝のことばを添えた新約聖書を記念にプレゼントしました。

出向から戻った後、大阪本社から東京本社に転勤になり、現在は東京本社の国際貿易管理室で、安全保障貿易関係の法令遵守のための社内自主管理業務を行っています。国際社会は今日も色々な変化が起こっており、誰も経験したことのない、将来の見通しがわからない難しい時代になってきました。

しかし、このような時代は今が初めてではありません。いつの時代にも、人が生きていく中で、苦しみ、悩み、不安や孤独に思ったことはあったはずです。イエス・キリストはその中にあって、常に確かな導きを与えて下さいます。私の仕事に対する姿勢は、いつも次の聖句を基本にしたいと心がけています。

心を尽くして主により頼め。
自分の悟りにたよるな。
あなたの行くところどこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
(箴言3:5〜6)

4.むすび

聖書の御言葉には、人を変える力があります。また、賛美には、人を動かす力があります。私は、賛美を通して神様に導かれ、教会でともに賛美する中で結婚に導かれました。妻は、神様を賛美する喜びを多くの人に知ってもらいたいとの祈りを込めて、昨年の夏、知人の宣教師夫人のピアノ伴奏で、讃美歌テープ「朝祈る前に」を作りました。私は生涯、妻とともに神様をたたえる賛美の歌を歌い続けたいと願っています。

讃美歌テープ「朝祈る前に」に収録の“朝祈る前に”という曲は、水野源三詩集「我が恵み汝に足れり」の中の詩に私が作曲したものです。

【HP作者注】
上田兄よりこのテープと楽譜をいただき、HPでの公表を依頼されたのですが、現段階では私の技術の欠如のため、それができなくて申し訳ありません。これは将来への楽しみな課題としていただければ幸いです。