神の恵みを感謝して受ける

中山 雄幸 (Yukoh Nakayama)

■氏は日本原子力発電株式会社総務部次長。これは1999. 3.16、新宿VIPにおける証しの記録です。

アウトライン

1. 主を信じるようになった経緯

「世は自分の知恵で神を知ることが出来ませんでした。」
(Tコリント1:21)

2. どのように変えられたか

3. 現在の仕事(原子力)と信仰の関係

(1) 原子力は神の恵みである。

原子炉の原理、中性子、放射線、事故の試練、教訓
「神の創られたものは、皆良いものであって、感謝して受けるなら、何一つ捨てるべきものはない(Tテモテ4:4)」
「地とそれに満ちているものは主のものだからです。
(Tコリント10:26)」

(2) 人間の生活とエネルギについて

生活水準とエネルギ
先進国と発展途上国
太陽エネルギ等
エネルギ・セキュリティ
地球温暖化

(3) 人間の責任

科学技術文明と問題点

「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの
よい管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。」
(Tペテロ4:10)」

(4)まとめ

・原子力は神から与えられた恵み
・エネルギと人間の生活は密接な関係
現在の生活水準維持のため原子力は重要な手段
・原子力問題の解決は人間の責務の一つ

 

はじめに

ここで証をする恵みを与えられたことを感謝します。今日は、次のことを主に証します。

1. 主を信じるようになった経緯
2. どのように変えられたか
3. 現在の仕事(原子力)と信仰の関係

1.主を信じるようになった経緯

まず、私ががキリスト教を信ずるようになった経緯について証をします。

私がキリスト教と出会うきっかけとなったのは、まったくの偶然からです。 それは、1983年6月に、会社の仕事で、九州電力川内原子力発電所に研修派遣をした時でした。私は妻と鹿児島の川内市へ転居しました。私は東京では車の運転を必要としていなかったため、その時までは自動車の免許を持っていませんでした。しかし、その時すでに、福井県敦賀市にある当社の建設中の原子力発電所の試運転に携わることが決まっておりました。この敦賀では自動車がないと生活が不便ですので、川内で研修中に自動車免許を取ることとしました。そして、アパートから自転車で通えるほどのところの自動車教習所へ通っていました。 また、私は、同時に、翌年の秋に会社の同僚と一緒に米国で同じ型の原子力発電所を製作していたウエスチングハウス社の原子力シミュレータ訓練に行くことも決まってため、英会話の勉強もしなければなりませんでした。そのため英会話教室も探していました。

その自動車学校に通っている道の途中に英会話教室の募集のポスターが出ていました。それがキリスト教会だったのです。この英会話教室では、米国の宣教師が教えているものでしたし、教会ならば授業料もやすいのではないかという程の気持ちで、この教会の英会話教室に通うこととしました。但し、ここでは一切キリスト教の話はありませんでした。これは私の望むところで、それまでキリスト教に関心もなく、神様を信ずることなど思いも寄らないことでした。むしろ、技術者として無宗教であることを誇りにすら思っていました。

妻は、私が教会の英会話教室に通っていることは知っていましたし、実は、後から知ったのですが、彼女は小さいときから高校生くらいまで東京で教会学校に通っていたのでした。また、高校はミッション系の学校でした。そのようなわけで、半年過ぎたころ、彼女が元旦に教会の元旦礼拝に行くことを提案しました。私もどんなところかいっしょにいってみることにしました。

教会では、教会員の方々に暖かく迎えられ、また、牧師も英会話で面識がありましたからお話をしたりしました。その後彼女は熱心に教会に通うようになり、半年後の夏に洗礼を受けました。私も時々礼拝に通うようになりましたが、礼拝は何か西洋的で違和感がありましたし、牧師の話は良い話だとは思いましたが、洗礼を受ける気にはなりませんでした。ただ、夫婦として妻の考えないし価値観を理解する必要があると思い、東京に転勤で帰ってからもいっしょに教会へ行きました。また、聖書も読みました。聖書は最初はとっつきにくく、カタカナの名前もいっぱい出てくるし、わかりにくい物語のようでした。わからないところはそのまま読み飛ばし、読んでいくうちに、「世は自分の知恵で神を知ることが出来ませんでした。」(Tコリント1:21)と書いてあるのを読んで、ふっと気が付きました。神を知ろうと自分の頭の中でいくら考えてもだめなんだと。この事に気が付くと、次々といろいろなことが分かったというか、見えてきました。

話は変わりますが、原子の話で申し訳ないのですが、「ハイゼンベルグの不確定性原理」というのがあります。原子を見ようとすると、何か光のようなものを当てる必要があります。しかし、これを当てるとそのエネルギーで電子が動いてしまうという矛盾が生じます。従って、原子は永久に見ることが出来ないということが分かったのです(正確には、原子の時間と位置を同時に確定出来ない)。神様は原子を見ることをお許しにならなかったのです。

また、宇宙の始まりもそうです。今の知識では、宇宙は膨張しているとのことですが、逆に宇宙の始まりは、エネルギーの塊が一瞬のうちに爆発して生じ、これがビックバンと呼ばれるとのことです。それではその最初のエネルギーはどこから来たのでしょうか。

人間の良心もそうです。なぜ悪いことをすると良心が咎めるのでしょうか。どんなに悪いことをする人でも悪いと分かっていると思います。良いことをしていると思っている人はいないのでしょう。なぜなのでしょうか。生命の誕生、人の寿命、運命など、この世に人間が分かったと思っていることでも突き詰めて考えていけばいくほど分からない、又は、分かり得ないことに突き当たります。

ここで、仮にここに「神」という言葉を置いてみたらどうでしょうか。もし、これによって説明が付くならば又は、理解できるならばどうでしょうか。私はこんな疑問を持ちながら、米国の研修に行きました。そこで米国の教会も見てみたいと思い、研修の世話をしてくれる方に相談しました。その方は快く引き受けてくれ、毎日曜日に教会に連れていってくれました。そこで米国のキリスト教社会の一端に触れました。また、教会の牧師と話す機会も得ました。キリスト教が生活に根づき、人との接し方も親切で、その方の友人ですが、黒人も含め、四人の子どもを養子として自分の子どもといっしょに育てている人もいました。

私は帰国して、クリスチャンになる決心をしました。しかし、キリスト教の教えの中で、「復活」を理解することが出来ませんでした。このため率直に牧師に相談しました。すると牧師は「今から聖書の全てが分かる必要はない。ただ、神を認め、イエスキリストを主と告白し聖書を主の御言葉として聞いていく気持ちがあればよいのです。」と言ってくださいました。

そして1984年12月23日クリスマス礼拝でバプテスマを受けました。この私の決心のために多くの教会の方々が励まし祈ってくださいました。また、不思議なことに、私の仲人をしてくれた元上司が、まったく別の教会で同じ日に洗礼を受けたことを後で知りました。このように、私がキリスト教を知ってから、約一年半の間に私の周りはキリスト教で満たされることになりました。

その後、敦賀へ転勤し教団の敦賀教会に行き、東京へ戻ってからは三鷹バプテスト教会、現在では府中バプテスト教会に通っています。

 

2.どのように変えられたか

次に、キリスト教を信じてどのように考えが変わったかについてふれます。

神を受け入れた場合、今まで不思議とか偶然とか思っていたことが、主の御心であり、「必然」と考えられるようになりました。このように考えると、不安や怒ったりすることが少なくなります。また、自分のしたことがうまく行かなかったりしても、それは「神様が望んでいないことだな」と考えることが出来、がっかりする時間が少なくなります。むしろ神様が守ってくれていて、良い方向へ導いてくれているのだと思ってきます。神様は、必要なときに必要なものを与え、必要でなければ与えません。ですから、自分で神様にとって正しいと思うことをすれば、後は神様が決めてくださるので安心していられます。

たとえば、数年前、本社に転勤したころ、ここでの仕事が合わず、つらい思いをしていた時期がありました。この時「神様どうにかしてください」と祈りました。すると、当社では転勤して一年で再び転勤することは珍しいのですが、その年の七月に敦賀へ転勤しました。

また、人間関係でも、「この人は神様が必要として、この世に自分と接するように遣わされた」と思うと、たとえ嫌いな人でも、あまり腹立たしくなりません。無理してでもその人にやさしく接していると、相手も変わり心を許してきて、いやな人間ではなくなってくるから不思議です。このような経験は何度かしました。

神様が自分を愛してくれていると考えると、自分がこの世にいる意味とか価値が感じられます。神様は何かを私に期待してこの世に送ってくれたのです。それがなんだかは分かりませんが。これはそんなに難しく考える必要はありません。

例えば、こんなことがありました。私が敦賀に居た時でしたが、ある日広告を見ていて突然妻と二人で思い立って滋賀県の大津にあるお店に食事に行くことになりました。琵琶湖の西海岸の道を走っていると外国人夫妻がヒッチハイクをしているようで、親指をあげているのが遠くから見えました。外国人は当然と思ってヒッチハイクをしているのでしょうが、日本人にはなじみがないのでみんな無視して通り過ぎていきます。私たちは気の毒に思い車を停めて乗せてあげることとしました。その夫婦は英国のバーミンガムから京都観光に来ている人でした。その夫婦を大津駅で降ろして目的のお店に行ったのですが期待していたほどのお店ではなくがっかりしました。しかし、これは多分神様が困っている英国人夫妻を見て私たちをこの場所に遣わしたのだと思いました。

このようにこの世に居る人夫々に役割があるのです。神様から見ればこの世の人には役割があるだけで、偉い人も偉くない人もいないのです。金持ちもそうでない人も、目の見える人もそうでない人も、どのような人も神様の期待している役割を果たすためにこの世に居るのです。神様にとってすべての人が大事な人なのだと思えるようになりました。

3.現在の仕事(原子力)と仕事との関係

次に、原子力に携わるクリスチャンとして、原子力に対する個人的な意見を以下に述べてみたいと思います。

(1) 原子力は神の恵みである。
(2) 人間の生活とエネルギについて
(3) 人間の責任

(1) 原子力は神の恵みである

現在原子力発電に使われている原理は、アインシュタインが発見した原理で、主にウランという物質が二つくらいに分かれるときに発生するエネルギを利用し、水を熱し蒸気を取り出して、(タービン発電機を回し電気を出して)います。( )の部分は火力発電所と基本的に同じです。ところが、この二つに割れるという性質はどんな物質にでも起こるわけではなく、ウランのような核分裂性物質という特殊な種類の物質にだけ起きるものです。

また、この物質が割れたときに中性子という物質がはじけだし、これが又他のウランに当たって割れるという現象が次々と起こります。これを連鎖反応といいます。 この中性子の出方もすぐに出るもの(即発中性子)と、ゆっくり出るもの(遅発中性子)の二種類があります。原子爆弾は、濃い核分裂性物質を使い即発中性子により一気にエネルギを取り出すものです。これに対して、原子炉では、薄いウランをゆっくりした遅発中性子を利用し、用心深く制御しながら、一定の割合で徐々に燃やしているのです。実にうまく人間が利用できるような性質を持った物質があるものです。もし、ウランのような核分裂性物質がなかったら、そもそも原子炉は成り立ちませんし、核分裂性物質があっても遅発中性子がなかったら、原子爆弾しかできず、原子炉は成り立ちません。

この世のあらゆる物は神から与えられたものです。ウランもプルトニウムも同じです。

「神の創られたものは、皆良いものであって、感謝して受けるなら、何一つ捨てるべきものはない」(Tテモテ4:4)

「地とそれに満ちているものは主のものだからです」(Tコリント10:26)

原子力の勉強をすればするほど、神の業の素晴らしさを感じ、神はわれわれ人間に恵みを備えてくださっていると感謝せざるをえません。 これは放射線についても同様です。放射線は粒子又は光のようなもので、エネルギを持っていますから、これが他の物質に当たりますとエネルギを与えます。これによって物質は電気を帯びます。これを電離作用といいます。この放射線は、原子力の出現によって現れたわけではなく、元々天然にも存在するもので、この電離作用もまったく同じ性質です。

放射線は、その発見当初から危険性が認識されていたため測定技術の研究が進められてきました。放射線はこの電離作用のおかげで、直接電気信号になるため、かなり微少の放射線も測定が可能となっています。これは化学物質など、放射線を出さない他の物質では、化学反応や電気抵抗、光、温度等何らかの方法で電気信号に変換して測定しなければならず、微少量が測定しずらいのと比べ大変有利となっています。このように放射線は危険を伴うがゆえに微少量まで測定が可能なように備えられているのだと思います。すべて神のなせる業といえないでしょうか。

原子力は最初に原爆という不幸な使われ方をしました。その被害を考えると胸のふさがる思いがします。しかし、これを主の試練として受け取り、その不幸な体験から人類が多く教訓を学び、再びこのような不幸を起こさず、また、負の財産を管理する知恵を与えてくださるよう祈っていくしかありません。

原子力の事故についても同様です。旧ソ連のチェルノブイル発電所の事故は大変不幸な結果を招いてしまいました。しかし、この原因をよく知っていただきたいのです。技術的には、原子炉の基本的安全設計に関わるものと、六つもの重大な運転規則違反を犯したことが重なって事故が発生しました。

原子力に限らず、あらゆる事故は、その技術的ないしは直接的原因と、その背景となる社会的ないしは間接的原因があると思います。この事故の場合も、数多くの規則違反を犯した背景等を考えると、旧ソ連の硬直した社会主義体制があったことは見逃すことができません。 神はこの事故を通じ、ソ連に国家体制を考え直す機会を与えるため試練を与えたのだと思います。また、原子力関係者には安全文化を考えさせる機会となりました。私たちはこの中から多くのことを学ぶ必要があります。 この辺の状況については、「チェルノブイルからの証言(技術と人間)」という本などからその辺の事情は読み取れます。

繰り返しになりますが、原子力は神の恵みです。問題は、それを利用する人間の態度の問題です。人間のおごり、傲慢さこそ注意しなければなりません。人間のおごり、傲慢さがあれば原子力に限らず神の裁きを受けます。 原子力を原子爆弾の様な不幸な使い方をせず、平和目的のために使用すべきだし、人間にはそれができるように主によって備えられています。

(2) 人間の生活とエネルギ

人間の文化的生活の豊かさとエネルギ消費は比例関係にあり、日本は発展途上国と呼ばれている国々の10倍近いエネルギを消費し現在の生活水準を保っています。日本の国が消費するエネルギは、

(一人当たりが消費するエネルギの平均値)×(人口)

となりますので、国のエネルギを減らす場合、一人当たりの消費量を減らすかどうかという問題となります。これは前述のように生活水準と密接に関係します。ある程度は省エネルギの努力によって若干の減少は可能ですが、基本的に変わらないものです。

一例ですが、現在の農業生産といえども多くのエネルギを消費していることはご存知のことです。従って、現在の生活水準と人口を維持しようとするとエネルギ総量は変えにくく、人口が増えれば総エネルギも増えます。もし、原子力を止めた場合、その代替エネルギをどうするかよく考える必要があります。

日本では石油、石炭、天然ガスはいずれも多量に輸入する必要があります。また、このように利用しやすいエネルギ資源を、原子力を利用できる技術があるにもかかわらず、先進国が独占していてよいのでしょうか。発展途上国のことも考えるべきです。

太陽エネルギ等将来のエネルギもあります。勿論、これらの研究開発をする必要はありますが、理論的にも、量的、経済的にも現在の化石エネルギや原子力エネルギの補助とはなっても代替とはなりません。

もう一つ、エネルギとして重要なものは、エネルギ・セキュリティーからの観点です。石油資源は、政情の不安定な中近東に集中しており(80%以上)、これの依存を高めることはできません。これに対して原子力は比較的安定した地域から輸入されるほか、一度燃料を入れれば少なくとも一年間は発電できます。エネルギ資源は分散、多様化すべきです。

さらに最近地球温暖化の観点から人類存続のため、炭酸ガスを発生する化石燃料の使用を減らす要求が出てきています。この観点からも、地球温暖化ガスをほとんど排出しない原子力が重要性となってきています。

エネルギが逼迫した場合、まず第一に影響を受けるのは社会的弱者でしょう。これからの高齢化社会、福祉社会に備え、エネルギの量と質をどのように解決していくか良く考えていく必要があります。

(3) 人間の責任

人間は、古代からその生活を向上させようと努力をし続けてきました。それにより、文化ないし文明が栄え、その一つの結果として科学技術文明があると思います。しかしながら、科学技術文明により人口問題、酸性雨、地球温暖化等の自然破壊をしてきたことも事実です。エネルギ問題もその一つです。科学技術文明を止めれば、これらの問題はいっきに解決します。

しかし、一方、失業、貧困、疫病、餓死等の問題が発生します。やはり、科学技術文明により発生した問題は、科学技術的手法の延長線上によってしか、解決していかなければならないのではないでしょうか。人間が、これからも、弱い人を助けつつ、繁栄を維持するためには真剣に人類の将来を考え、自然と人類の調和を考えて改善していく努力が必要でしょう。単なる科学技術の否定は歴史の流れに逆行するだけで、人類の将来の問題を解決することにならないのではないでしょうか。

原子力についても、いかに事故を発生させないか、放射性廃棄物、プルトニウムの管理をどうするか、技術的、社会的方法論を議論し、改善していくべきだと思います。我々原子力に携わるものはそのために努力しています。

原子力の潜在的危険性は、大いに考えなければなりません。しかし、この危険性も人間が文明生活を続けていく上で、受ける利益も考慮に入れ、他の危険と比較し、受け入れられるかどうか考えなくてはなりません。交通事故、排気ガス、たばこ、食品添加物によるガンの発生、環境ホルモン、炭坑における落盤事故、タンカー衝突による原油の海洋汚染等多く存在します。その中で、どのようにそれらを防止しつつ、利用していくかが、人間に求められた知恵なのではないでしょうか。

それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みのよい管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。(Tペテロ4:10)

まとめ

(1)原子力も神から与えられた恵みの一つである。

(2)エネルギと人間の生活は密接に関係しており、この生活水準を維持してい くならば、原子力は重要な手段である。

(3)原子力の問題を前向きに検討し解決を図っていくことが人間に課せられ た責務の一つである。