私のメサイヤ

相澤 勵 (Tsutomu Aizawa)

■氏はオリックス信託銀行顧問、アッセンブリ−教団吉祥寺福音教会会員。


略 歴

1939 S14  1 新潟県生れ
1957 S32  3 兵庫県立神戸高校卒
1961 S36  3 慶應義塾大学商学部卒
1961 S36  4 安田信託銀行入行
1985 S60  6 同行ロスアンジェルス支店長
1989 H元  6 取締役 海外営業開発部長
1990 H 2  6 取締役 名古屋支店長
1993 H 5  6 山一証券グループへ移籍(信託銀行設立準備)
1993 H 5  8 山一信託銀行設立 専務取締役就任
1997 H 9 11 山一証券自主廃業発表
1998 H10  4 オリックスによる山一信託銀行買収成立
         オリックス信託銀行顧問就任
         現在に至る

主の聖名を心から讚美します。私のようなものがどのようにして、イエス・キリストを救い主として信じ、受入れ、今日に至っているかを証しさせていただきます。

療養所に入院して

今から、約30年前のことです。信託銀行員である私は、大阪に転勤となり、「支店長代理」という肩書きと 5人の部下が初めて与えられ、毎日張り切って生活をしていました。 ところが、とてもマ−ジャン好きな支店長と次長から、マ−ジャンに誘われ、ほとんど毎晩、午前 1-2時の帰宅がつづきました。身体には自信があったのと、元来お酒が飲めない私を父が心配して、「出世するためには決して上司の誘いを断ってはならない」と言い聞かされていましたから、何時もハイハイと従ってきたのです。

ある日、定期健康診断の結果、肺の右上に陰がある、と言われました。精密検査の結果、あろうことか、「肺結核につき 1年間の結核療養所入院を要する」との診断が下されたのです。暗い気持ちと重い足どりで、療養所に向ったのでした。今思えば、神戸の郊外の松林に囲まれた美しい環境にあったのですが、それをめでるどころか、「 1年の休職は 3年の昇進の遅れとなる」から、銀行業務通信講座ををとってなんとかリカバ−しなくてはいけないとあせりました。「何で私だけがこんなみじめな目に会うのだろうか、この世には神も仏もあったものではない」とイライラした毎日をおくっていました。

そんなある日、先輩の 1人から、「君のいらいらする気持ちは分るが、天から与えられた休息と思って、人生とは何かを考えてみてはどうか」という手紙がとどいたのです。大学の文系を出た私にとって、そこで学んだものは、歴史観にしても経済、経営理論にしても、時代時代によって価値観は変りつづけるし、前提条件の置き方でいかようにも答えが出る、つまり、「この世に“絶対”はありえない」ということでした。

「それでは、 1年間の療養の時が与えられて、もう一度じっくり、人生何たるかを考えてみようか」と思っているやさき、聖書(日本国際ギデオン協会贈呈)が無料で配布されたのです。ひょっとして、この中に答えがあるかも知れないと考えました。初めて聖書なるものを開いてみました。マタイによる福音書 7章に入り、『なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか』等、自己中心の自分を示され、倫理書としてはすばらしい書物であると思いました。ところが、奇跡( 5つのパンと 2匹の魚で、 5,000人が食べあきるとか、死んだラザロが生き返るとか)の話が出てくると、「こんな事を信じているクリスチャンはどこか頭がおかしいにちがいない」と投げだしてしまったのです。

S姉との出会い

そんな時、この療養所に古くからいる重病人で敬虔なクリスチャン(S姉:当時40才代の後半)を紹介されました。S姉は、重病棟で最も重症患者、ガスボンベの力で呼吸、人間的にみれば何の役にも立たない、無きに等しい存在。そのS姉にはいつもニコニコ笑顔が絶えず、“イエスさまはすばらしいお方です”という時のその目はいつも輝いていました。一方この私はといえば、療養所の中で一番軽症で、風邪にちょっと毛の生えた程度と言われたのに、一番暗い顔をしている。時あたかも大阪万博開催の頃ですから、世の中は食糧事情も良く、結核になるなど珍らしいことで、「何とツイテイナイ男なのだろう」と言われることは、まことに腹の立つことでした。

しかし、もっとも腹立たしい状況に置かれているはずのS姉が、なぜ“神さま感謝します”と喜べるのだろうか−この秘密を知りたくて、毎晩 1時間聖書を片手にS姉のベッドのかたわらで、自らの経験談を交えた聖書の説きあかしを聞く日がつづきました。

聖書は心で読むもの

ある日、S姉から大変なお叱りを受けました。“あなたは聖書を、頭で読んでいる。しかも、他の哲学書と同列に置いている。聖書は心で読むものです”と。その夜、はじめて祈りました。“イエスさま、あなたが生きておられるなら、どうか声を聞かせて下さい。そうすれば信じます”と −何の声も聞こえません。しかし、その夜はじめてぐっすり眠ることができました。その日を限りに、あのイライラが私から消えて無くなったのです。

讚美歌に心ひかれて

療養所内で開かれていたキリスト教の集会から流れてくる讚美歌には不思議な魅力がありました。私は高校時代に、オペラ歌手になりたいと思った頃がありました。コ−ラス部のリ−ダ−であった時、NHK全国コンク−ルで第 3位に入賞したものですから、音楽の先生が舞い上がってしまい、“あなたの息子をぜひオペラ歌手に”と父親を説得に行ったのです。しかし、父親が猛反対で断念しました。オペラのマリアこそが最高の歌と信じて疑わなかったのですが、讚美歌の中に全く異質な、心の奥にしみ込んで来る何とも言えない味わいがあり、思わずじっと耳を傾け、心ひかれる者となっていました。

悔い改めと救い

『父よ、彼等を赦して下さい。彼等は何をしているのか、分らないのですから』−<ルカによる福音書23章34節>

罪無いイエスが十字架にかけられた時、自分を十字架につけた人々のために、神に祈られた言葉です。人間が、どうしてこんなことを言えるのだろうか。“父よ、相澤を赦して下さい。相澤は、何をしているのか分らないのですから』と祈ると、−次から次へと熱い涙がこみ上げてきました。こんなに私を愛しておられるイエス・キリストの存在を知ったからです。−“イエスさま、あなたこそ生ける神の子キリストです”

『主は、私たちのために命を捨てて下さった。それによって、私たちは“愛”ということを知った』<ヨハネによる第一の手紙 3章16節>

診療所の裏に、小高い丘があります。その丘に上ると眼下に淡路島が眺められ、明石海峡を大小の船が行き来しています。“あの船は全部、行き先が分らずに航海しています” −と言うと皆、そんなバカなと笑い出すでしょう。 −その船こそ“私”であると示されたのです。「どうやら私の人生は“的はずれ”だった」と正直に認め、神に背を向けて歩むことこそ最大の誤りであると知った時、洗礼を受ける決心をしました。

東京転勤、国際業務へ

導びかれてアッセンブリ−教団明石教会で受洗の後、信託銀行の本社のある東京へ戻りました。仕事は 180度変って国際業務につくことになります。日本全体が国際化をめざして、大きく動き出した頃です。アルミ、パルプ、製鉄等、発展途上国に対する、いわゆるナショナル・プロジェクトが目白押しでした。資本、技術移転等の国際的貢献への参画で、銀行も輝いていた時代です。そんな中で、イラン・イラク戦争に巻込まれたIJPC(イラン石油化学プロジェクト)の悲劇は、カントリ−・リスクというものを強烈に我が国が味わった事件です。

日本語で歌う「メサイヤ」(ヘンデル作曲)との出合い

仕事はますます日が当たりどんどん成果が上る一方で、会社における人間関係は殺伐たるものに変って行きました。朝目覚めても、起き上がろうとする力が湧いてこないのです。あの人事のドロ沼に入って行きたくない。ついに懐の中に辞表を忍ばせるほど、自分を追いつめていました。さすがに、妻と息子は私の異常に気が付いたらしく、そっと息をひそめて見つめている様子が伝わってくると、何とか勇気をふるって家を後にしました。“主よ、なぜこのような中に私を置かれるのですか。こんな状態がつづくなら、私の神経は切れてしまいます。あなたは、そのことをよくご存知なのに、なぜ、私を苦めるのですか” −と主に対決する日がつづきました。

そんなある日、「讚美が好きなのだから、“メサイヤ”<ヘンデル作曲>を日本語で歌うサ−クルに参加したらどうか、との誘いを受けたのです。「聖歌」の編者である中田羽後師の訳で、東京クリスチャン・クワイヤ−第10回公演が上野の東京文化会館で開催されました。私は、合唱団員の 1人として参加、ちょうどメサイヤ第 1部の終曲が近づきNo20ソプラノの独唱が始まりました。

『疲れし者、重荷負うもの、彼がそばにためらわずに行き、安きを得よ。
彼はいとも柔和なれば、彼のくびきを負いて学べ、なが心は安きを得ん』
<マタイによる福音書11章 28,29節>

私の目から、次から次へと涙がこぼれて止まりません。“主よ、あなたに文句ばかり言ってすみませんでした。あなたは私のかたわらにいて、 この重荷を共に荷負っておられるのを、今、はじめて知りました。あなたはずっと遠く におられると思ったのに、−何とすぐ横におられたのですね。もう大丈夫です。主にあって乗り越えることができます”

海外赴任

『あなた方の会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなた方を耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、逃れの道も備えて下さるのである』<コリント人への第一の手紙10章13節>

それまでの暗いトンネルを抜けるように、虎ノ門支店の副支店長への道が開けました。そこで、いわばマネ−ジメントの訓練を受けた後、突然ロスアンジェルス支店長として海外赴任の命が下ったのです。海外のトップ・パ−ソンで行く時は、絶対妻と同行すべきだと思っていたので、それを家族に告げました。その結果、大学受験を目前にひかえた 1人息子に、想像以上の孤独との戦いを強いることになってしまいました。

支店長就任後間もなく、オフィスビルの建設ロ−ンの破綻と日系ミシン会社の破産に遭遇、思わず顔が青ざめました。破綻を狙いすましたように、複数のいわゆるハゲタカ・ファンドから安くその債権を買いたいとのアプロ−チを受けました。アメリカの経済は、何と底の深いことか。後日の山一の破綻の波をくぐり抜けるのに、この時の経験が大変役に立ったのです。

現地のファ−スト・アッセンブリ−教会では、東洋系は私 1人で、しかも日本人は珍しがられました。かつて療養所でもらったギデオンの「和英対照訳聖書」が、ここで再び英語の弱い私には大変な助けとなるのです。

4年の滞在のうち後半は、南カリフォルニアのランドマ−クビルやホテルが、次々と日本企業に買収されるという勢いを目のあたりにしました。 1棟 300億円もする高層ビルも、東京都心のタタミスクウェア−( 1坪) 1億円として 300坪の土地の価格で買えてしまうのですから、東京のバブルのすざましさが良くわかります。ちょっと働けばそれ以上に業績が伸びるので、とにかく夢中で働きました。

交通事故(キャデラック 5,000cc全損)

東京からとんぼ返りで帰った翌日の早朝。カナダ・バンク−バ−へ出張のため、LA空港へ向かって自宅を出発し、間もなく信号を左折(日本の右折)したとたん、私の車のサイドに猛スピ−ドで直進して来たホンダのスポ−ツカ−が激突。私の 5,000cc大型車は芯棒が折れて全損、スポ−ツカ−も前部エンジンル−ムが大破で全損。 2人共(相手は白人の米人)救急車に乗せられて病院へ。念のため 3日間脳波などの精密検査を受けましたが、比較的軽い打撲症以外に何の異常も無く(相手方も同様)不幸中の幸いの命拾いでした。それでも、運転席の隣に備え付けたばかりの電話器がもったいないから、総務課長にとりに行くように頼みました。事故車置場から帰ってきた課長は、まっ青な顔をして、“よくあの車の中から 5体無事で出てこられましたね。ただの鉄のかたまりですよ。もしも誰か同乗車がいたら、大変なことになっていました”と報告してくれました。

動けば動くほど、収益が上がります。仕事に夢中で、それまで 2人ペアで出張していたものを、“支店長も、単独で手分けして動こう”とスケジュ−ルは過密化。聖日礼拝の時も、体は礼拝の形をとっていても、心は翌週のビジネス・スケジュ−ルのことに思いをめぐらせるありさまでした。ビジネスが“偶像”となり、私はビジネス・スケジュ−ルにただ振りまわされる“奴隷”となり果てていたのです。−この事故を通して私の軌道の誤りを、主は修正して下さいました。

『自分の肉のために蒔くものは、肉から滅びを刈取り、聖霊のために蒔くものは、御霊から永遠の命を刈り取るのです』<ガラテヤ人への手紙 6章 8節>

『だから神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすればそれに加えて、これらのものはすべて与えられます』<マタイによる福音書 6章23節>

ビジネスマンの最もおち入りやすい罠は、“仕事の偶像化”と“むさぼり”の罪です。この事故は、私に対する主の深いあわれみです。

帰国と取締役就任

銀行はおしなべて、厳しい減点主義で知られています。 1年間の休職は、 3-5年の昇進の遅れを覚悟するという挫折を味わった者でありますが、イエス・キリストを救い主として受け入れて以来、徐々にそのことが気にならなくなってきたのです。“他者との競争に打ち勝つことが総てのような世界”からの自由が与えられた恵みは大きいのです。それは、「この世の尺度と、神さまからごらんになる人間の価値とは全く異なる」という真理を知ったことによります。

そのようなマイペ−スで歩んでいた者に、突然神さまから“取締役”というプレゼントが与えられて、一番驚いたのは本人でした。未だに不思議でその理由が分りません。

1年間海外営業開発部長として、欧米の上場企業に東京マ−ケットへの上場の勧誘とその手助けをした後、名古屋支店長に就任。 2年間、東海 3県の堅実な気風にふれ、実に豊潤な道が備えられました。同時に、名古屋の安田教会の移転と大増築、名古屋神召教会への改称と教勢の拡大をつぶさに経験。牧師以下信徒全員の新築に向う霊的な一致と、銀行員のソロバンの常識をはるかに越えた聖霊の働きの御業を見ることができました。

山一グル−プへの移籍と山一信託銀行の設立凖備

“金融ビッグバン” −この言葉が未だ耳新しく聞こえる平成 5年('93年)。 4大証券が信託銀行子会社を、都銀興長銀が証券子会社を100%親会社の出資で設立。いわゆる銀・証相乗入れ時代の幕開けとなりました。平成 5年 5月、安田信託銀行の社長から、「山一グル−プへ移籍し、山一信託銀行の設立を手伝って欲しい」との依頼を受けたのです。証券界に全く無縁で、相場の世界にセンスのない私は、「自分は不適任です」との返事をしたのです。が、人材とノウハウは望むだけ応ずるとの熱意に、その夜、主の御前に静まり、「住みなれた安田グル−プを離れたくないし、信託銀行を作るなど前人未到の世界で苦労が見えており、とても行く気になれません」と訴えたのですが−。

『恐れるな。わたしはあなたと共にいる、たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右手で、あなたを守る』<イザヤ書41 6章10節>

何と主は、“移籍しなさい。私があなたの行く所を祝福するから…!!”とのゴ−・サイン。主の約束を信じて安田グル−プを出る決意をしました。

信託銀行許認可取得と開業、黒字転化へ

山一グル−プへ移籍 5月;許認可取得 8月;開業10月:

たった 1行で書けるこれだけの事項。10月 1日  4大証券系信託銀行、一斉に開業と決められました。この間、時間との戦いの中での悪戦苦闘の数々はいつか述べたいと思います。どれだけ多くの方々に、無理を承知で頼んだことを快く引き受けていただいたり、門外不出のノウハウをいただいたり、その恩恵には枚挙にいとまがありません。しかも、開業後 2年目で早くも黒字決算となり、主の約束の確かさにただ目を見張る思いでした。

ギデオン入会と山一の動揺

平成 9年のある暑い日、日本ギデオン協会の新井総主事(いわゆる事務局長)から封書が届きました。私とギデオン聖書との出会いをぜひギデオン誌に「証詞(あかし)」として投稿するようにとの依頼状と、新井総主事ご自身の「証詞」、すなわち新井兄は公立高校の教諭という一生保証された身分を捨てて、主の召しに応答された経緯が同封されていました。

私もギデオンとの出会いがなければ、未だ主の愛を知らずに過しているに違いないとの思いから、心に迫りを覚えるままに「証詞」を書き上げ、お茶の水のギデオン本部を訪れました。そこで目の前にギデオン会員の加入申込書を開かれ、「ぜひ、会員となるように」との強いお勧めを受けたのです。

その頃、親会社である「山一証券」は、社長以下首脳陣が総会屋への利益供与の疑いから逮捕されるという最悪の事態に陥り、さらに海外への損失移転、一部大口先への不正な利益供与等のウワサがマスコミに取り上げられました。同じ「山一」の信用に立脚している私共子会社への影響が心配で、総主事に思わず、「責任に押しつぶされそうで、不安な日がつづいており、このために祈って下さい」と申しました。

ギデオンの入会申込書は、“そのうちに……、”とオフィスの机の引出しに放置されたままとなり、マスコミの「山一」に対する厳しい批判は、日に日に強まる一方でした。主の祝福を信じてここまで来たのに。黒字決算から累積赤字の一掃もできたのに。この事態をどう受け止めたらよいのか。11月 9日、主日礼拝の時に「ギデオン入会」と「山一の動揺」とで心の整理がつかず、「皆さん祈って下さい」と訴えたのです。

翌日オフィスの机の上に、再度ギデオンの申込書を開いて、主の御前に静まっていると、27年前初めてギデオン聖書にふれた時から今日までの半生が次から次へと、走馬灯のように浮かんできました。主は、どれほどこの私を愛して下さり祝福して下さったか。一方、主の愛を伝えるのにいかに貧しい人生であったかが示されました。ひとしきり泣いた後、職場の不安定ゆえに、主の召しに腰がひけた非礼を詫び、その足で、総主事に申込書を提出し、「新井兄、次回お会いする時、私は失業者かも知れませんね」と“冗談まじり”に話しました。「百年ののれん」「世界的ネットワ−ク」「数十兆円の預かり資産」「 7千人以上の社員」。その影響を考えれば、誰がつぶせるのだろうかとの人間的な思いが、私にはありました。

山一の崩壊

その 2週間後、11月21日 3連休の初日の早朝。家内の泣き声で目を覚ました私の見たものは「山一崩壊」を告げる新聞の一面記事でした。“こんな事態に陥っているのに、何で私に教えなかったのですか” −この家内の訴えに対して、私自身もまた全く知らない晴天の霹靂だったのです。

まさかの思いが正直ありました。「山一」の信用の上に立つ子会社の末路は決まったも同然。会社は清算、社員は解雇、役員である自分も当然失業者として新たな職を探さなければならない。一瞬のうちに、会社崩壊のシナリオが頭をよぎりました。“主よ、この事態はどう受けとめたらよいのですか”と何度も何度も問いかけました。そのうちに、再びあの聖言、“たじろぐな、私があなたの神だから”

不思議と平安が心のうちに満ちてきました。“今あなたは、砂の上に建てられた大きな家が崩れていくのを目のあたりにして、恐れおののいている。しかし、あなたは私という岩の上に建てられた家である。あなたも、あなたの職場も、これによって倒されることはない。あなたは今こそ、人生をふりかえってみて、本当に、私が神であることを知るべきだ。あなたは、私がすべてを解決できる主の主、王の王、権威の権威であることを、知らないできた。このような状態にあなたを置いたのも、私だ。弱ったひざを真っ直ぐに伸ばしなさい。今こそ、すべてを私により頼みなさい。私は、あなたを主にあって勇者として導く”と −当初「清算」と思われていた当行も、買収したいという会社が現れたのです。その中で、私共の唯一の願いは、“希望する従業員は全員採用して欲しい”ことでした。これを受入れる前提で、オリックスと交渉開始となりました。しかし、それには15の条件が課されました。12の条件は順調に満たされました。残る 3つの条件は、相手との関係で、とうてい不可能な難問でした。

買収成立からオリックス信託銀行へ

金融の常識では不可能と思われる大きな壁。すっかり意気消沈している私に、同じアッセンブリ−吉祥寺福音教会の 1人の姉妹が、祈りのうちにこんな聖言(みことば)が与えられました、と。−旧約聖書;歴代誌U 20:15『彼は言った、ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびヨシャパテの王よ、よく聞きなさい。主は、あなた方にこう仰せられます。あなた方は、このおびただしい大軍のゆえにおそれてはならない。気落ちしてはならない、この戦いは、あなた方の戦いではなく、神の戦いであるから。この戦いでは、あなたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ、あなた方と共にいる主の救いを見よ』

今までは、戦いの主役は“私”。主は私のそばにいて右手で支えて下さる方−という意識で戦ってきましたが、ここから先は完全に神にゆだねなさい。神が前面に出て戦われるから、と。この聖言を前にオフィスで祈る日がつづき、まさに奇跡としか言いようのない難問の解決を見せられたのです。若い人達は“超ラッキ−”と喜びましたが、これは一方的な神の恵みです。

4月28日、無事調印成立、従業員の希望者は全員雇用。最悪の事態は避けられ、役員は全員解雇となったが、私だけは顧問として残る道が許され、新たな名称で再出発となりました。

初めは小さな過ちから

山一の崩壊から始まって、かつて大蔵省が絶対につぶさないと言っていた大銀行が、次々に破綻していくさまを見ました。共通していることは、どんな優秀な経営者でも、しょせんは人間ですから、 1度や 2度は過ちを犯します。しかし、大切なことは、その過ちを隠さないこと。最初の時点で公表していれば、かなりの痛みが伴ったとしても回復は充分可能でした。しかし、自分がその立場であれば、どうだったか。自分の失敗、過失を公にする勇気があるだろうか。正直に言って、自信がありません。だからこそ人は、神に依り頼む信仰が必要なのだと思うのです。

この“うつし世”にあって“ビジネスの世界”にあっても、神がこんなに具体的に“生きて働かれる主である”と知った恵みは大きい −東京クリスチャンクワイヤの日本語によるメサイヤで、この年こそ44番(ハレルヤコ−ラス)「全能の主、永遠に治めたまわん、主の主、諸王の王、ハレルヤ!!」(ヨハネの黙示録第19章他)− 53番(終曲)「讚美と名誉と権能(ちから)と富と知識、御座に座したもう子羊にあれ、永遠にあれかし、ア−メン」(ヨハネの黙示録第 5章他) −この讚美を、全く新たな信仰をもって歌うことができました。

“会社教”から真の羅針盤を求めて

私のこんな小さな銀行にも、目をとめて下さる主が、日本を愛しておられないはずがない。ただひたすら、会社を信じ懸命に会社に尽し、その掟を守ってさえいれば、終身、安定した人生を過せるという構図はみごとに崩壊しました。ようやくこれに目覚めたビジネスマンは、真のゆるがない指針を求めつつあります。“聖書”、この中には無限の知恵がかくされており、神の人間を愛してやまないメッセ−ジがあふれています。

大きな問題に遭遇したときは、逃げずにしっかりとその事態を受け止めて、“主よ、なぜですか”と神にせまってみて下さい。人間の思いと異なる神のみ思いが伝わってきます。重荷が重荷でなくなり、それに耐える力が湧いてきたり、新たな展開が生まれたりします。“私を知りなさい、私に依り頼みなさい”と日々、神はサインを送っておられるのです。私たちに必要なものは、どのような事態の中に置かれたとしても、それが神による、「私にとって最善の道である」ことを“信仰”をもって受けとめることです。それはやがて“益”に変り、“恵み”に変えられるからです。なぜなら、神は、“愛”であり、あなたを 1人子イエス・キリストを犧牲にしてまで、愛しておられる方だからです。

これからのこと……

『天の下では、何事にも定まった時期(とき)があり、すべての営みには時がある』<伝道者の書 3章 1節>

『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた』<伝道者の書 3章11節>

今年 1月を以て60才の誕生日を迎えました。2000年には、金融界に足掛け40年もの歳月を過すことになります。幾度かはこの世界から離れたいとの思いがありましたが、そのたび毎に自分の思いと異なり“そこにとどまりなさい”と導かれました。

中高生を中心に若い魂のために、ひたすら聖書を手渡す働き(ギデオン協会)。
讚美を通して、主をほめたたえることの歓びと、主のお心の一片を知り、また伝える働き。
方向感を失って悩めるビジネスマンに、真の羅針盤の確かさとその恵みの深さを証しすること。

−これ等のライフワ−クを遂行する上で、どんな所に身を置くべきか、あるいは今のままが良いのか。この一年間、祈りつつ備えて行きたいと思っています。主は、どんな答えをお出しになるのでしょう。総てを牧者なる主にゆだねて、その導きに従いたいと思っています。イエス・キリストこそが、私のメサイヤです。

『主は我が牧者なり、我れとぼしきことあらじ。
我れを緑の野に伏させ、憩いのみぎわに伴いたもう。
我が魂を生かし、我れを正しき道に導きたもう。
よし、我れ死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れじ、
主共に居ませばなり。主のむち、主の杖、我を慰む』
<詩篇23篇>

  栄光在主

  1999年 4月 2日(金)記
  4日(日)イ−スタ−を目前にこの証しを書き上げる。感謝