もうお酒もタバコもいりません
-46歳で生まれ代わった(Born Again)体験-


加藤 誠彦 (Nobuyoshi Katoh)

■氏は武蔵大学経済学部卒業。伊藤忠商事米国支社勤務を経て、前Enprotech Corporation NY.副社長。これは1999/06/01現在における証しです。

生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです (ガラテヤ 2:20)。

1.はじめに

名前は加藤誠彦(のぶよし)です。 両親から頂いた名前ですが、誠(まこと)と彦 (ひこ)と書いて、ノブヨシ と読みますが、いまだに、正しく呼ばれたことはありません。 ずいぶん臍曲がりな読み方だと思いました。でも、今はイエス様に見出された、誠の男の子(彦とは男の子の意味)だと思うしまた、ノブヨシ の音感が好きです。良き事(福音---ヨシき事)を、述べ伝えよ(述べ--ノブ)と、聞こえませんか?!

イエス様に見出されたのは、私が、他の人より何か良いことをしたからでしょうか?その全く逆です!! なに一つ良いことなどしていません。次の聖書の言葉の通りです。イエスはこれを聞いて、言われた『医者を必要とするのは丈夫なものでなく 病人です』 ---- 私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。 (マタイ 9:12-13)

『罪過によって死んでいた私達を、キリストと共に生かし − あなたの救われたのは、恵みによるのである』(エペソ2:5)。

『あなたがたの救われたのは、実に恵みにより、信仰によるのである。それはあなたがた自身から出たものではない。それは誰
も誇ることがないためである』(エペソ 2:8)。

2.回 想

少し自分の過去を振り返ってみます。

私は、五人兄弟(男ばかりの)の 4男として、昭和 16年10月24日 (1941年)に生まれましたので、現在 56歳です。両親にも、兄弟にも、親戚にも、私の知る限り、一人もクリスチャンはおりませんでした。私が洗礼を受けましたのが、1988年、46歳の時で、今から 10年前のことですので、今よりもっと元気な、若い時でした。 ですからお酒、タバコを止めた話しをすると必ず、体を悪くしのですか?、病気をしたのですか ? と聞かれます。ところが、病気が原因ではありません。肉体的には、健康優良児そのものでしたが、強いて言えば、イエス様を否定し、神様の存在を強く否定し続け、自分が神であり自分の将来のことは自分が決めると強く主張し、目に見えない神など、どうして信じられるか !--どんなに自分が傲慢だったか !!
- どんなに自己中心で、神を神と思わない、罪人だったか !!!私の生まれ歳は、巳年(へびどし)で、血液型は、AB型、星座で言えば『 さそり座 』 ですので、まず自分が絶対正しいと思い込んだら大変です。ご想像にお任せ致します。

ところで、皆様も、学校では、『 見る迄、 信じてはいけない! 』 (Seeing is believing )と教育されて来ているとおもいますが、これが 間違っているなんて ?!見ずに信ずる者は幸いなり、の世界に、どのように、導かれたかを、わたしの体験談を、これから話します。最初に聖書から、私がトマスと同じことをやったのだ、と示されました。

それから、トマスに言われた、『貴方の指をここにつけて、私の手を見なさい。手を伸ばしてわきに差し入れて見なさい。』 トマスはイエスに答えて言った。「わが主よ、わが神よ」 イエスは彼に言われた、『貴方は私を見たので信じたのか、見ないで信ずるものは幸いである』 (ヨハネ 20: 27〜29)

小学校、中学、高校は、いわゆる戦後の物不足の時代でしたし、勿論、酒も、タバコも飲めない、吸えない、まじめな、清らかな生活をしていました。中学、高校は、早稲田実業学校で、当時、野球の王選手が一年先輩で、野球部と王選手が一番脚光を浴びていたなかで、卒業したら、親の手伝いか、商人になるつもりで6年間は、珠算部で、ソロバンばかり練習していました。 お陰さまで、ソロバンは、東京商工会議所の実務検定、および能力検定ともに、一級合格し、その上の初段も受験し、10種目のうち暗算種目が合格せず、残念ながら初段の免状はもっていません。

それでも、中学2年になった時に、英会話の授業があったり、校長先生の英語の原書による『国富論』(Wealth of Nations)の授業があったりで、英語の授業を通して、英語の持つ表現法とか、英語の文章そのものの持つ『自由闊達』さの中に、その頃の『もの不足』の頃の暗い生活の将来に、何か光り輝くものを見いだしてました。何故か、高校卒業の半年前頃(1959年 -- 昭和 34 年)に進路を急遽変更して進学の道が開かれました。 今、思えば、日本経済も昭和 30 年代に入り、やっと戦後から立ち直りつつあったころであり、我が家も例外ではなかったのだと思います。

中学、高校時代の反動か、大学時代に(例の『安保闘争』の頃)酒も、タバコも、同時にスタートしました。 お酒は、新入生歓迎コンパで、飲み始め、こんな旨い、楽しいものが、あったのかと、もう最初のコンパから、一升ビンをあけていました。 初めて、酔っ払いの "千鳥足” を体験しました。 道が右に、左に曲がって見えるものだから、当然見えた方角に進もうとするから、ジグザグとなるのですね!? そして、泥酔して、一人では帰れないので、迎えに来てもらい、家まで連れ帰ってもらっていました。最初からこんな調子でしたから、大学時代の4年間だけでも、どれだけ酒を飲んだか判りません。

3.モーレツ商社マン時代

聖書との出会いも英会話習得目的で、聖公会(Episcopal) の宣教師(アメリカ人)との出会いが最初でしたが、「花より団子」、「御言葉より、実利」で、追い求めて来たこの世的栄達の道、聖書は英語の教科書の一つでした。単純に海外に行ける Chance があるからとの理由で、伊藤忠商事に、昭和 39年4月に入社、直ちに大阪本社勤務となり、財務部外資課へ配属されました。それから、33年間、伊藤忠にお世話になりましたが、その間、3回の、アメリカ駐在を体験し、通算 22年アメリカで生活することになりました。第一回目は、ニューヨーク、5年 (1969年〜74年)、二回目は、ヒューストン5年半 (’78年〜’84年)、3回目の駐在として、2度目のニューヨーク、11年(’86年〜’97年)です。

以下、伊藤忠での生活を振り返りながら、どんなに、私が、傲慢で、不遜で、自己中心な好き勝手な、生き方をしていたかを、振り返ってみます。

(1)Wifeとの出会いと結婚:

23歳の時に結婚しました。早く結婚したのは、実は、伊藤忠の入社式の日に当時の副社長の、挨拶の中に、男子社員は、30歳までは、結婚してはならないとか、結婚しても、生活出来る給与は、払えないとか、一昔前の、丁稚奉公の名残(なごり)を聞き取り、(勝手にですが ---) 、海外雄飛を夢見て入社したのに、現実は、こんなに遅れた会社だったのかと、がっかりすると同時その副社長の発言に、強く反発して、一つの固い決心をしました。一日も早く、良い人を見つけて、一日も早く結婚しよう ! と決心しました。そして、配属された同じ課に働いていた人と、入社、2年目に決心通り、結婚することが出来ました。

(2)東京財務部時代:(1965〜1969年): 酒飲みのルールを鍛えられた時代。

どんなに深酒をしても良いが、翌朝、9:00 A.M. には、かならず出社すること。 これを守れぬ奴は、酒をのむな!今でも、当時の飲み友達との交わりが続いており、(私だけが、酒抜きですが)歓迎して貰っています。 感謝してます。また、私の体験談を話し、また良く聞いてくれる、すばらしい仲間が沢山おります。酒の上での失敗談には、事欠きません。

・靴を履いて会社へ行ったのに、飲み屋の下駄を履いて帰って来た。
・飲み屋を梯子をしていて、支払う金がなくなって、兄貴に電話して 助けに来て貰った。
・水道橋の決闘の仲裁に入り、傷だらけになり帰宅。
・箱根山荘での決闘の立ち会い、等々

(3)胃と腸、小痔: 石炭船対策:

1969年最初のニューヨーク駐在での最初の2年間は、土曜、日曜全て返上伊藤忠アメリカ会社の初めての、機械化(コンピューター化)の為。当時の、上司から、これ位いでへこたれる様な奴は、帰国させるぞ、勿論飛行機ではなく、石炭船で返すからな! と良く言われました。従って、石炭船で帰されない様に、駐在不適格と言われない様に、歯を食いしばって、頑張らざるを得ない訳です。ですから、当然、平日は11:00〜12:00PM頃帰宅、遅い時は2:00〜3:00AM迄仕事、おまけに、土曜、日曜は出社。こんな激務に耐えられなくなって、胃がおかしくなり、次に腸に、さいごは、痔を悪くする人が、多くなり、伊藤忠商事とは、胃と腸、小痔と読み替え、胃も腸も痔も悪くならなかったら、一人前ではない。 等と言われ、折角、あこがれの、花のニューヨークにやって来たのに、体を悪くしてはならないと思い、自己流で、考えだしたのが、『食事はリズムだ!! --- 朝、昼、晩、の一日三回、定刻、食事、粗食可』この様な、自己流健康管理を、即日実行し、5年間継続。

この頃から、飲む時は食べる、食べながら飲む、の習慣が自然と身につき、健康を維持出来る体制が身についた様に思う。 これは、本当の酒飲みからは、嫌われました。 社内でも、本当に酒好きな人は、やはり、酒を飲み出したら、あまり食べない、いわゆる酒豪と言われるタイプが沢山おりましたので。それと同時に、仕事、激務、ストレス、酒の悪循環。疲れと、ストレスをとる為には、酒は絶対に必要と主張し続けて、おりました。

その頃の自己主張を聞いて下さい。

・「酒を飲めないやつは男でないから相手にしない」
・「酒を一緒に飲み、言いたい事を言い会える人間しか信用しない」
・「仕事と酒は、Balance させるもの」
・「日本が眠っている時に仕事をし、日本が起きている間は飲む」
 ・・・等々、自分が全ての中心であった時の主張の数々。

(3)ソロバンから加算機へ、安宅合併の頃:(1974年〜1978年)

ニューヨークから帰国して、配属されたのが、金属経理部鉄鋼貿易経理チーム。不思議なことに、ここで、体験したのが、部下が全員、ソロバンの腕前が、最低、商工会議所の能力検定2級。そして私がチーム長代行として、ソロバンを使用して、点検業務。 ここで、丁稚奉公の、職人堅気が大勢を占めておったのを一年程掛かって、ニューヨーク式、加算機の導入により、加算機のテープを点検する様に変更してもらった。 でも、中学・高校時代にソロバンをやっていてつくづく良かったと思いました。

安宅合併準備の為安宅産業へ出向し、暫くは大手町ビル勤務。相変わらず、酒の量は、増えこそすれ、減ることはない状態の継続。

(4)ガロン・ボトルと第2次オイル・ショック:(ヒューストン駐在時代、1978年〜1983年)

TCM (東洋運搬機(株)社製)のフォークリフト・トラックのアメリカにおける Distributor であった、伊藤忠アメリカ会社の100% 子会社、C.Itoh Industrial Machinery,Inc. 経営建て直しの為、指名により駐在となり、再度の激務に突入。

ヒューストン郊外の住宅地に近い所に、Officeがあり、通勤は便利でしたが、事務所の周りは、倉庫が沢山ある、地域で、おまけに、人員削減、経費節減等、後ろ向きの仕事が沢山あり、同時に、伊藤忠アメリカ会社の Computer System (いわゆる商社システム)からの離脱、On Line Real Time の 在庫管理、Distribution System の構築等、前向きの仕事もあり、特に、夕方 5:00以降の事務所は、たった一人で、10:00〜11:00PM まで、残業の連続。でも、ニューヨークの経験があるので、残業そのものは、苦にはならなかったのですが、あまり Security の良くないビルに、一人でいる状態が、長く続くので、人員整理もしていることでもあるし、護身用に、ピストルを持っておけと、上司に言われたが、それは止め、その代わり、Gallon Bottle (Party Size)と呼ばれた、大好きな、スコッチ、ウィスキーを机の、引き出しに、常備して、社員が全員帰り、鍵を掛けた後は、良くそのウィスキーをのみながら、仕事をしていました。

一応、2年半程で、黒字決算になったので、そろそろ帰国かなと思っていると、伊藤忠アメリカ会社のヒューストン支店の財務経理主任者の交替時期に来ており、外ー外で、転勤の辞令をもらうことななった。ヒューストン支店では、2年半の間に、支店開設以来、単年度決算としては、最高の好決算と、又最悪の決算とを体験し、ここで、サラリーマンの悲哀を体験しました。 (第2次石油ショックの頃)

大型倒産と在庫問題。

この頃、お酒の量が増え、Gallon Bottle を 2〜3日で飲んでしまう。部下を必要以上に、どなる、おこる等、かなり酒のうえの悪い癖が出てきた。また、はじめて、飲酒運転で、逮捕され、刑務所へ。等、かなり酒の悪い噂が、社内を掛け巡っていたようです。

(5)接待と深酒時代(1983年〜1986年):(火に油を注いだ、接待酒)

ヒューストンから帰国し、資本市場室、証券管理チームへ配属。職務上、証券会社の人から、良くゴルフとか、夕食等へ接待を受けることが増え、ただ酒の味を、体験し、飲酒を、仕事を理由に益々正当化させて、火に油を注いだ頃。つくづく、商社マンは、やくざな世界だな! また、商社マンには、酒は絶対、必要だ!と益々、自分の主張が正しいと、確信をもって酒を正当化していました。

(6)命の恩人(北村先輩)との出会い(1986年〜97年):

伊藤忠アメリカ会社、機械部門の部門長であった北村先輩が、私に要求した、ニューヨーク駐在の条件は、次の2点を実行できるか、出来ないか? であった。その条件とは、

(1)家族を連れて駐在すること。
(2)酒を止めること。

家族と良く相談した 結果この条件を飲みます。と言うことで、今回の、3回目の駐在となった訳ですが、このうち(1)の家族を連れてくることはWife、娘、息子を説得して(2)の酒を止めるからと約束して、駐在に出たのですが、どんなに酒を止めることが、難しいかを、今回は、身に染みて分かりました。

自分で、酒を止めようとすると、3日坊主で、3日目には、酒を飲みはじめています。 3日坊主は、何回体験したか、もう酒を止め様と、努めることそのものを、止めようと思う様になっていました。おまけに、北村先輩の仕事の、厳しさに、ついつい、愚痴も出るし、ストレスも溜まる。 従って、ストレスを解消する為には、酒は絶対必要。 と、あいも変わらず飲み続けていました。不思議なことに、北村先輩は、私に、約束が違うではないかとか、酒はいつ止めるのか? とは、一切言わず、それを良い事に駐在してから、2年間も飲み続けていました。この無言の圧力が、目に見えない圧力となっていた様に、思います。

(7)Wife と 娘の洗礼 (1987年12月):

無理に説得して家族を同行したのですが、娘の江美子は高校1年生の楽しい思い出と、友達との別れを惜しんでの New York 生活に大変な苦労を体験し体の不調を訴えていました。娘は、Greenwich,Connecticut にある、Greenwich High School に入学しこちらの学校生活に早く馴染む様に一生懸命努力していましたが、上手く順応出来なかったので、更に 体調を崩して、激しい頭痛で登校せず、食事まで不規則になってきました。

そんな時に、Wife が友達から、ピーター・島田牧師の噂 (いろいろな病いを癒される様だという)を聞いて、その先生の家庭集会に行き、2回目の集会で江美子のことを皆で祈ってもらって、家に帰ってくると学校を休んでいた江美子が、気持ち良さそうに本を読んで過ごしているのを見て祈りが聞かれたと思い、Wife が娘の為に祈り始めた。そして次の集会で、洗礼を受けたいと思い、島田牧師に相談したところ、江美子も一緒に洗礼を受けたいと言うことになり、私に洗礼を受ける事の許可を受け、1987 年 12 月のクリスマスの日に洗礼を受けた。

その後2人の生活の明るくなったこと !! 不思議なことが私の目の前で毎日起こり どうしてこんなに日に日に明るく、朗らかになって行くのかが不思議であったが、何か自分だけが取り残された気がして、なんとなくふてくされて、自棄酒を飲み始めたが、朝帰りしても Wife があまり文句も言わない様になり、更に エスカレートして深酒をする様になった。それでも、この不思議なことに感心し、興味をもって、Wife に、一度、ピーター・島田牧師に、アポイントを取って欲しいと頼んでいた。 理由は単純で、先の 北村先輩との断酒の約束を、駄目元で、悩み事相談して見たいと思ったからです。 溺れる者、わらをもつかむ心境です。

この頃の私の心境は:

・自分が全てであり、自分が神であり、自分以外は何物も信ずる事が出来ず、
・自分の運命は自分が決める等々。自分の肩に背負い切れない程の重荷。
・その重荷に耐える為の酒量の増加。

4.主に変えられて

(8)不思議な体験と一方的救い (1988年5月):

この悪循環から救われる日が、多くの人達の、特に Wife の熱烈な祈りにささえられ、神様からの、一方的な恵みとして、ピーター・島田牧師との出会いにより実現したのは今から 10 年程前の、1988年5月25日(土)の夕刻でした。今回の駐在も、でたらめな酒漬けの生活も、全て、イエス・キリスト(真理)を求め、イエス・キリスト(真理)に巡り会う為の計画された、旅路であった様に思えてならない。

ピーター・島田牧師との対話、以下の通り。

島田師:「人はその罪の故に、イエス・キリストを十字架に掛けて死なせてしまったのです。イエス・キリストは、その罪人の為    に死んでくださり、その罪を許して、救って下さったのです」

加藤 : 「でも、もし神様が私の酒や、タバコが止めさせられなかったらもとの生活に戻りますよ!神様を試しても良いですか?」

商社マンですから、絶対損しない、取引をしようと思い乍ら、「酒とタバコを止めさせて下さったら、洗礼を受けますが、先に洗礼を受けたら、酒とタバコを止めさせて下さるのなら後、先が逆になるなら、やりません」

島田師:(この質問には直接 Yes/No を言わずに) 「神様には不可能なことは何も有りません。必ず止めさせて下さいます」

何回も、必ず止めさせて下さる、と言うので、

加藤 : 「では、どうすれば良いのですか?」

島田師: 「黙祷の姿勢をして下さい」。「では、お祈りします」

      5分〜10分、祈っておられた。

暫くして、静かになったので、

加藤 : 「もう、おしまいですか?」

島田師: 「いや、これから、2つ、3つ文章を言いますから、それをオーム 返しに、後について、言ってください」

加藤 : 「はい、日本語ですね?」

島田師: 「そうです、日本語で言います」

ピーター・島田牧師の後について、イエス・キリストを信じますと、半信、半疑のまま信仰告白 (罪人である事の告白)をしていました。

約 2時間程の面談を感謝し、隣の部屋で待ったいた、Wife と共に家に帰る途中、車の中で、今日の、この信じられない、「眉つば」の話しをし乍ら家に帰り、早速、冷えたビールを冷蔵庫から取出し、コップに注ぎ、アア、馬鹿らしい話だったなア --- と、何時もの様に飲もうとしたが --- コップが口に近づかない。 何回も繰り返し飲もうとしたが --- 同じこと。飲めないのです。驚きです、酒は、その日から飲めない体となっていました。 飲みたくないのです。不思議です。奇跡がおきたとしか考えられません。自分で自分の体に起こった、この大きな変化が信じられなかったのです。

今から思えば、これが生まれ代わり(Born Again)の体験だったのです !!

イエスはこたえて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国をみることはできない。」ニコデモは言った。「歳をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度、母親の胎内に入って生まれることが出来るでしょうか」。 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。誰でも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない」(ヨハネ 3:3〜5)。

それから、2カ月の間、 煙草は、何時もの様に、一日3箱の ペースで吸っていました。酒を取り上げては下さったが、----- それでも、煙草は、いくら全能の神様でも取り上げることは出来ないのだ ----- その証拠に事実あれから 2カ月もの間、以前と変わらず一日、3箱のペースで、Heavy Smoker の状態が続いているではないか ?!「そろそろ、元の酒漬け、煙草漬けの生活に戻ってやろうかな ----- 約束だから」 などと、うそぶく程の毎日でした。ところが2カ月目のある日(週末で家で机に向かって本を読んでいた時)煙草をいつもの様に取り出し,火を付けようとした時、突然、誰かが、「そろそろ、その煙草を止めたらどうだ!」、

「え!?この煙草のことですか?」、「そうだ!」

一瞬、周りを見渡していた。当然誰もいない.

「それでは ----」 一本の煙草を火をつけずに机の上において ----

「誰だ!!??」

----- すでに、 10年、 酒なし、煙草なしの生活が続いています。自分の力ではなく、主なる神の為せる御業! 感謝あるのみ。ハレルヤ !!

誰でも、キリストにあるならば、その人は新しく、作られた者である、古い者は過ぎ去った。見よ! 全てが新しくなったのである。(第2コリント 5:17)

生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです(ガラテヤ 2:20)。

(9)取引成立(祈りの力)と洗礼(1988年6月):

『絶対やめさせてくださいます』が本当に事実となり、島田先生に約束した通りになりましたので(取引が成立したので)洗礼を受けますと電話しました。

信仰による祈りは病む人を回復させます(ヤコブ 5:15)。

私が主の哀れみにより救われたのは、Wife の断食祈祷を始め、教会の人々の熱心なとりなしの祈りのがあった事を、あとで知りました。そして、フィラデルフィアの日本人教会で、ピーター・島田先生から、1988年6月 12日に、洗礼を受けることが出来ました。ハレルヤ !! 感謝します。

4.現在までの歩み

(10)洗礼の後で(1988年6月 〜):

(A)酒の上の試練 (その1):
6月12日に、洗礼を受けた後で、ゴルフに行きまして、あの真夏日の、ゴルフの後の、あの、おいしい、喉越しのビールが、飲まないで、おれるのだろうか?大変な試練だろうと、身構えていましたが、御言葉は、真実ですね、試練と共に逃れる道をも備えられておりました。ビールの代わりに、実は、ソーダ水を飲んだのです。 冷たく、おいしく、喉越しの素晴らしさは、ビールの比ではなかったのです。 是非試して見て下さい。

(B)酒の上の試練(その2):
又、今でも、商社マンですから(営業ではないので、それほどではないのですが)酒を飲めないことで、付合いの悪い奴だと見られることは、あります、特に、昔の、飲み友達からは、なんで酒を止めたのかと、不思議におもわれたり、ときには、からまれたりします。

(C)受けた祝福の分かち合い (その1):
この体験を通して、自分の受けた、この大いなる祝福を、一人でも多くの人に分かち合い度いとの、ねがいから、また一人でも多くの人にこの福音を伝えたい。との思いから、ニュージャージーの教会の宣教部の活動からスタートしたのですが、ラジオによる、日本語伝導放送を、Family Radio として、WWCR の短波放送を通じて全米、全世界へと、リスナアーの皆様の御支援により、昨年までの6年間継続することが出来ました。この番組はニュージャージーの日本語教会(JCCNJ)の初代牧師である、正木 茂牧師(ルーテル・アワーの)の メッセージを中心にした、週1回の一時間番組で、お茶の水の、太平洋放送協会の番組制作の協力によりすばらしい番組でしたが、昨年の春頃から、経済的に続かなくなり、放送を中断しています。

(D)受けた祝福の分かち合い(その2):
ピアノ・バー伝道、カラオケ伝道。長い間、ニューヨークの夜の街に、飲み歩いていましたので、あちらこちらに、顔が知られておりましたので、洗礼後も、付合い等で、ピアノ・バー、カラオケ等の店に出入りしていました。ソーダ水とか、ウーロン茶等を飲み乍ら、話題が酒にまつわる話(体験談)でしたから、気軽に、福音体験をはなすことが出来、何人かは、それがきっかけで、救われました。 ハレルヤ !! です。

(E)受けた祝福の分かち合い(その3):
当然のこと乍ら、今勤務している、ウイルバー・エリス社での、伝道。
家族、親戚への伝道は祈っています。特に、VIPの、市村さん、金森さん、佐々木さん達の、サラリーマン伝道の活動の一端を、この様にお手伝いが出来ることは、すばらしい、祝福だと思っております。

最後に、商社マンとして、福音を伝えて行く時に、職場の上司から、時に、「いいかげんにしろ、仕事と信仰とどちらが大切なんだ?」と挑まれること(挑戦されること)がありますが、その時は、私は、次のコロサイ 3:22〜23で答えておりました。


僕たる者よ、何事についても、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、目先だけの勤めをするのではなく、真心をこめて、主を恐れつつ、従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい(コロサイ 3:22〜23)。


ハレルヤ !! 全ての栄光を主に、御名が崇められますように !!