心のベクトル・頭のロジック

河本次郎 (Jiro Kawamoto)

■氏は東京大学工学部卒業。米国MIT大学院でPh.D.取得。現在、(株)フコク専務取締役。


1.はじめに

主の御名を讃美いたします。最近、牧師先生から“7つの習慣”という本をいただき、読む機会がありました。その中に、ある人の“本当の価値観を探る方法”が載っていました。その方法とは、次のようなものでした。まず、自分の葬式の風景を頭の中で思い浮かべる。自分の写真が飾ってあり、家族や友人たちが集まっている。涙している者もいる。そんな葬式の場で、自分の家族や友人が、自分についていったいどんなことを言って欲しいか、又、どんな生き方をした人であったと言って欲しいかを考えなさい、というものでした。考えさせられました。この証を書いている今も、本当にどんなことを言って欲しいのか考えています。今は何となく、「河本さんという人は、(お父さんは)いつも一生懸命に御言葉に従おうとしていたよね。あんまり出来ていなかったみたいだけど、それでも一生懸命従おうとしていたよね。」と、そんな風に言ってもらえたらどんなに幸せだろうと思っています。

私は、7年前、家内と一緒にカリフォルニアの日本人教会で洗礼を受けました。現在、三人の子供たちと、妻に囲まれながら、ある自動車部品製造会社の専務取締役を務めています。日々の生活の中には、普通一般考えられる色々な問題を抱えておりますが、それなりに充実した日々を送れている今の状態に、心から感謝しています。しかし、もし私がイエス様と出会うことなく、今という時を迎えていたとしたならば、本当に惨めな毎日を送っていたことと思います。

2.受験の覇者として

私は、受験戦争の申し子とでも申しましょうか、こと受験に関してはそれなりの実績を残してきました。中学受験で開成中学を受験し、見事に合格しました。一生のうち三番目にできた試験でした。6年後に東京大学の理科一類を受験し、これも一発でクリアーしました。この試験は一生のうちで二番目にできた試験でした。ついていたとか、運がよかったというより、集中力と精神力、すべてにおいてベストの状態を受験にぶつけた結果、非常に試験のできがよかったんだと思います。小学校2年生ぐらいのときからの夢を達成するための、異常なまでの集中力が受験のときにはあったと思います。大学生活は今までの鬱憤を晴らすかのように少林寺拳法に打ち込みました。文武両道の人間になってやると、肩に力を入れた生活でした。残念ながら、目的を失ってしまった勉強のほうはさっぱりで、試験ではいつも肩身の狭い思いをしましたが、それなりに充実した大学生活を送っていると自負していました。

しかし、今振り返ってみると、私がこの二つの厳しい受験を通して身につけたものは、身勝手な考え方と、心を閉ざすテクニックだけだったように思います。この受験を通ることによって、人間として本当に大事なもの、“自分の心との対話”を自分が失ってしまったという事実には気がつきませんでした。いえ、そこここに綻びのある自分の生き方に、何かおかしいと気づくことがあっても、それを認めることは自分のしてきたことを否定することになると、本能的に深く考えないようにして来たように思います。私一流のやり方で、心を閉ざし、自分を正当化する理論を構築し、都合の悪いことは勤めて忘れようと努力した結果、自分の身勝手な行いから来る軋轢にも傷つかずに高校生活、大学生活を送りました。今思うに、私が受験のときに発揮した異常なまでの集中力は、人間として最も大事な心を閉ざすことによって作り出された物だったのです。

勉強に集中するとき、雑音は邪魔ですから、さっとカットして勉強に入る。失敗をしたりして、自分にとって都合が悪い状態になると、気がめいって集中できなくなるので、自分にとって都合のよい、自分を正当化するストーリーを勝手に作り上げて、自分が傷つかないようにしてしまう。そんなくだらないテクニックにのみ、異常にたけてしまったように思います。勿論、そんな勝手なストーリーは他人には受け入れられるはずも有りませんが、他人にいちいち説明する必要もないわけです。自分の頭の中だけで、勝手に自分を正当化していただけの事でしたが、効率を下げないようにするには便利なやり方でした。将来の自分の大きな目標達成のためだ、という勝手なロジックで自分を納得させ、自分より弱い立場の人たちを傷つけてきました。そして他人を傷つけたことに対しても、常に自分の良心を閉ざし、自分の効率の低下が起きないようにしてきました。本当に身勝手な人間だったと思います。

3.人生の頂上を極めて

その後、色々なものを振り切って、アメリカで勉強することにし、マサチューセッツ工科大学の大学院に入学しました。大変なプレッシャーの中で、以前身につけた、“心を閉ざし効率を追及する生活”が続きました。事務処理能力等は、人一倍の効率でしたからそれなりに成果もあげ、友人も出来ました。聖心女子大学卒の家内とも結婚し、家からの仕送りも十分に有りましたので、傍から見れば、金も有り、そこそこ実績も出してはいるが鼻持ちならない人間だったと思います。その当時、もし私が失敗したとしたならば、アーやっぱり、と思う人はいても、気の毒にと思う人は、恐らく皆無だったと思います。

長男も生まれ、無事、博士号も取得し(この試験が一生のうちで一番できた試験だと思います)、カリフォルニアに職を得ました。丘の中腹に素晴らしい家を持ち、化学会社の研究者として充実した生活を送っていました。アメリカの社会に出て3年ほど経つと、次男と長女も生まれ、人間的にも幾分成長しました。他人にそれほど犠牲を強いることもなくなり、大人しくなったように他人には見えたかもしれません。が、本質は全く変わっていませんでした。大人しくなったのは、まわりがアメリカ人で、理不尽な扱いや態度には、日本人と違って断固抗議するという、私の身勝手な生き方にとって、厳しい環境であったせいだと思います。

私のうぬぼれはとどまるところを知らず、3人の子供が、男、男、女と与えられたことも、当然の事のように思っていました。まるで自分の実力で、運命をひきつけたかのように思っていました。私の父は、今私が勤める会社の創業者社長であり、私は父をとても尊敬していましたし、今でも尊敬しています。父に3人の子供が、男、男、女と与えられ、それが理想であり、自分も絶対にそうして見せるとまで思い込んでいたのです。なんと言う、愚かな思い上がりだったことでしょう。でも、本当に、思ったこと、願ったこと、やろうとした事が実現したのです。今思えば、浅はかな思い上がり以外の何物でもないのですが、当時は全く気づかず、有頂天でした。

4.転 機

3人目の子供、桂奈が生まれてしばらくして、私の今までの人生観では全く正当化することのできないことが起こりました。生まれてから発病したのか、生まれつきなのか、未だにはっきりしたことは判りませんが、幼児性の白内障にかかっている事が判ったのです。幼児性の白内障という病気は、生後4ヶ月目ぐらいまでに手術をしないと、その間、目を通しての信号が脳に伝わらず、脳の発達が不充分となってしまうのです。そうなると、たとえ手術をして目の問題は取り除けても、脳がその信号を解読できなくなってしまい、その結果、目が見えないということになってしまうのです。

幸いなことに、3人目の子供だったので、家内が目の異常に気づきました。2ヶ月検診で何も異常がないと診断した医者は、家内がおかしいと電話で相談したときにも、“問題はないから3ヶ月検診の時に連れて来なさい。”と言いました。家内は食い下がりました。強引に診察の予約を入れて見てもらった結果、幼児性白内障ですぐに手術の必要があると言われました。生まれて3ヶ月目に左目を、3ヶ月と数日後に右目を手術しました。左目を手術した後、瞳の部分を広げておく目薬を、医者が指示するのを忘れたため、手術した瞳がくっついてしまい、4ヶ月目に再手術。さらにその後、左目のコンタクトレンズがメーカーの手違いで、全く度の違ったものが装着されていたことがわかったのです。次から次へと、左目に問題が降りかかりました。

私は娘の目の問題が発覚したとき、心がなえるのを防ぐために、心を閉ざし、抜け出す算段を考え出すことに集中しました。「今何をすべきか」のみに考えを集中しました。家内の対応は全く逆で、全く無防備に、心で問題を真正面から捕らえ、娘の将来を考えて落ち込みました。私は一生懸命家内を励ましたつもりでした。「落ち込むより、今何をすべきか考えろ。」私は平静を装って、普段と全く違わない生活を続けようとしました。家内は壊れたテープレコーダーのように、同じ事を、いまさら心配しても始まらないことを毎日私に訴えました。「なぜ私の子がこんなことに」、「私より、もっとむちゃくちゃな生活をしている人ですら健康な赤ちゃんを生んでいるのに、私が何をしたんだ」と訴えつづけました。家内の心のそこからの訴えは、私にとっては、足を引っ張る雑音以外の何物でもなかったのです。「しっかりしろ。今はやるべきことをやることが先決だ。」私は完全に心を閉ざし、家内をいたわるよりも、強引に前に進むことを優先しました。家内は落ち込みながらも何とかついてきていましたが、左目の3度目の悲劇、コンタクトレンズのミスに、ついに心の糸が音を立てて切れました。日々の生活を何とか送るのがやっとで、週末はベッドから出られないと言う状態が続きました。そのときの家内は、後で読んだ雑誌に載っていた鬱病の症状を完全に示していました。

私は、一人二役をこなし、炊事、洗濯、子供の世話を家内に見せ付けるようにこなし続けました。家内をいたわる気持ちよりも、落ち込み、足を引っ張っている家内に腹を立てていました。世間体を繕うため、私はきわめて平静を装い、冷静に物事を処理していきました。こみ上げてくる家内に対する怒りや、先が見えないと言うところから来る焦りを上手くコントロールして、傍から見ると、とてもよい夫であり、父親のように映っていたかもしれません。しかし実態は全く違ったものでした。私の中には、家内に対する怒りと、すべての物事に対する苛立ち、人生の勝者から落ちこぼれてしまった自分に対する惨めさでいっぱいでした。本当に愚かなことですが、娘の障害で私は人生において他に遅れを取った、とまで感じていたような気がします。

5.心のベクトル・頭のロジック

ある日、日本人教会の牧師夫妻が教会のランチョン・パーティーの食べ物を、礼拝の後、紙皿と箱に入れて持ってきてくれました。「会員から話を聞いた。大変だけど頑張りなさい。」と、言われました。私は平静を装って礼を言いましたが、恥ずかしさと、悔しさで、なんとも言えない気持ちでした。「なぜ僕が、こんな食べ物を恵んでもらわなければならないんだ…。」感謝の気持ちなど有りませんでした。台所のテーブルの上に置いたままにしておいたところ、長男がつまみ食いをして、「お父さん、これ美味しいよ。お父さんも食べなよ。」と言いました。私の心は他人の好意に対して全く閉ざされ、惨めさだけが私の心に突き刺さりました。本当に情けなくて、涙がわいてきました。

その後、義理と世間体から、教会に行くようになりましたが、家内とも、宗教に頼ることだけは絶対にやめようと話していました。しかし、私は教会に通うようになって暫くして、不思議なことに気づき始めました。相変わらず家内の日々の効率は低く、日常生活での私への負担は大きな物があったのですが、家内に対するあてつけや、世間体を気にして行動することから来る苛立ち、焦り、怒りがだんだんうすれていることに気づいたのです。本当に不思議な気持ちでした。それまでは、心の中を覗き込むことは、自分にとって、効率を下げてしまう恐れがあるという思い込みから、心を閉ざして行動してきましたが、教会生活を形だけでも送ることによって、徐々に、自分の心の状態に触れることに慣れていったのです。頭で考えていることと、心が求めていることを、探ることができるようになってきたのです。何が悲しいのか、なぜ悲しいのか。心の状態をじっと探ることができるようになってきたのです。自分の心との対話は、神様との対話でした。神様の前に祈りをささげることによって、心が何を欲しているのか、何を感じているのかを探ることができるようになってきたのです。

家内に対するあてつけや怒りは、頭で考え出した身勝手な自分のロジックに、家内が従わないことから来るものである事に気づきました。心はちゃんとそのことを見抜いていてくれました。その頃から徐々に、私は自分の心に色々な判断を問い掛けることを始めました。頭ではこうするとよいと思うが、これをしたとすると、自分の心はどのような状態になるだろうか、と探ってみるようになりました。以前の私にとっては、心の反応は、特に良心の反応は、効率を下げる恐れがあると言うもの以外の何物でも有りませんでした。心を覗き込むことは、マイナスの可能性はあっても、プラスの可能性は非常に低い物のように考えて避けてきたのです。それが何時の間にか、最も信頼できる尺度として、私の中で位置付けられはじめました。私には、信じられないことでした。

心のベクトルと頭の中のロジックが重ね合わさるとき、自分の中で本当の勇気がわいてきて、すごいエネルギーが得られるのを実感するようになりました。心を閉ざしてしまうことで得られる効率の高さなど、比較にならないほどの充実した状態が得られることに気づいたのです。私は神様に、そのことを感謝せずにはおれませんでした。私のような人間をこのような状態にまで導いてくださることは、神様以外には絶対にできない事であったと確信するに至ったのです。私は、神様のことをもっと知りたいと思うようになっていきました。そして、神様のことを思うとき、神様に祈りをささげるとき、本当に心が平安に満たされていることを実感するようになりました。

私の中で大きな変化が起こっていきました。家内の中にも大きな変化が起こっていたようです。表面は上手くいっていても、私と家内の間には、見えない大きなギャップがあったのです。神様との関係を通して、その大きなギャップが徐々に埋まっていきました。私と家内の関係は全く新しいものに変えられたのです。私たち二人は一緒に洗礼を受けることを決心し、二人一緒に7年前のイースター・サンデーに受洗することができました。

6.そして今―主イエスを知って

自分の心を見つめられるようになって、初めて私は、心を扱うというようなことは、自分はできない人間であるという、強い思い込みを持っていたことに気づきました。そして自分の心に関して強い劣等感を持っていたことに気づきました。心の問題については、未だに全く、自信が有りません。従って、神様の御言葉に従って、心のベクトルを向けようとしてはいますが、傍から見れば、おそらく、あまり上手く言っているようには見えないだろうと思っています。しかし、そんな自分であっても、神様は暖かく見守り続けてくださる、と思うと勇気がわいてきます。今では、多分できないかもしれないが、(おそらくできないでしょうけれども)神様から与えられた時間がある以上、神様が私を見守ってくださっている以上、神様の御言葉に従って生きていきたい、と心のそこから願っています。きっと家内も、同じ事を願っていると思います。

最後に、私が本当にもがき苦しんでいたときに、私の心に強く入ってきた聖書の個所を紹介させていただきます。

■ルカによる福音書 第10章38節―42節■

一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。ところが、マルタは接待のことで忙しくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配っておもいわずらっている。しかし、無くてはならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。