何を信じるか


佐々木満男Mitsuo Sasaki)

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■氏は東京大学法学部卒業。丸の内の国際弁護士事務所所属の渉外弁護士。ハーベスト・タイム・ミニストリー理事。「インターナショナルVIPクラブ」を主催し、ビジネスマンへの福音伝道に力を注いでおられます。これは1995年4月9日の東京バプティスト・チャーチのイースター伝道集会でのスピーチを修正・加筆したものです。


 わたしは、道であり、真理であり、命である(ヨハネ14:6)。



1.生活の根底にあるもの―不安・むなしさ・無力―

私は東京の下町で生まれ育ちました。父は祖父の代から米屋を営んでいました。長男である私は高校を出たら、当然、米屋を継ぐものと父から期待されていました。しかし父は気性も体力も強く非常に厳しい人だったので、一緒にいるだけで緊張してしまい全く楽しくありません。何とかして父から逃げよう、逃げようとしていました。

一生懸命に勉強して、ある私立大学の商学部に入学しました。「大学に入ったら父があきらめてくれるのではないか」と思ったからです。ところが入学した年に、近所の米屋の息子さんが、同じ大学の同じ学部を卒業して、米屋を継いだのです。私はこれを聞いてびっくりしました。これでは私も4年後には米屋を継がなければならないのではないかと不安になりました。そこでその翌年、こんどは国立大学の法学部を受験して、入学してしまいました。

大学卒業後は弁護士になりました。そのおかげでようやく父もあきらめてくれました。幸いなことに、今では、妹が柔道・剣道の有段者のおむこさんをもらって、米屋を継いでくれています。

弁護士になってからは、国際的な法律事務所で働くことになりました。そして、日本と外国のさまざまな法律問題・紛争処理に携わってきました。20代の若さで顧問会社数社の取締役や監査役に任命されたり、一流企業の代理人弁護士としていろいろな国々へ出張して仕事をしたりしていました。外見的には大変華々しい生活をしていたと思います。

ところが、国際的な法律問題や紛争処理は、法律、文化、商習慣、言語などの違いがあるために非常に難しく、また仕事がどんどん増え、しばらくすると、ストレスのため疲れ果ててしまいました。「何のために弁護士になったのか、父を継いで米屋をやっていた方が余ほど楽ではなかったか」などと疑問を持ったりするようになりました。

社会のいわゆるエリート・コースをどんどん昇って行っても、ますます不安と心配がつのるばかりです。人はいずれは死んで消えていくことを思うと、「人生とはなんとむなしいものか」と考え込まざるを得ません。


2.イエス・キリストとの出会い

そこで、もう一度ゼロから出直してみようと思い立って、オーストラリアのメルボルンの大学に留学しました。国際弁護士の激務から解放されて、再び学生気分に戻り、初めのうちは天国にいるような思いで楽しく過ごすことができました。ところがしばらくすると、社会から逃避したような学生生活にも飽きてきたのです。そしてまた人生の不安とむなしさが大きくつのってきました。

そんなときに、友人に誘われて、あるクリスチャンの集会に参加したのです。そこで、それまで私が経験したことのない、あたたかい愛と喜びと平安を持っている人々に出会いました。「私も彼らのようになりたい」と思いました。その後、友人たちと聖書を学んで、
聖書に書かれていることを心から信じることによって、イエス・キリストと出会うことができたのです。

3.イエス・キリストに出会ってから

イエス・キリストに出会ってからは、確実に私の人生の方向が変わってきました。キリストを通して、宇宙万物を創造し、支配している全知全能の唯一・絶対・永遠・無限なる神がおられることを知ったのです。しかも、その偉大な神の本質は愛であることを知りました。そして、キリストの霊、すなわち聖霊を受けることによって、日々の生活の中で、私に神の愛が無限に注がれていることを体験できるようになったのです。

キリストに出会ってから、私は、「不安」、「むなしさ」、「無力」という、人生の三つの根本的問題から解放されました。

(1)不安からの解放


まず、生活の根底にあった「不安」から解放されました。それまでの私の人生は不安の連続でした。米屋を継がされるのではないか、試験に落ちるのではないか、仕事に失敗するのではないか、病気になるのではないか。その不安を解消するために、がんばって勉強したり、仕事に励んだり、スポーツに打ち込んできたように思います。したがって、そこには本当の喜びも楽しみもありません。

しかし、イエス・キリストを心の中にお迎えしてからは、次第にそのような不安がなくなってきました。
全知全能の神は、私の本当の父であり、私を心から愛し、守り、導いていてくださることを、信仰によって、日々の生活の中で体験するようになったからです。こうして今では、安心して学び、喜んで仕事をし、レジャーを心から楽しむことができるようになりました。

(2)むなしさからの解放

次に、「人はいつかは必ず死んでしまうのだ」という「むなしさ」から解放されました。それまでの私には、どんなに学んでも、一生懸命に仕事をしても、愛する家族がいても、死んでしまったら、何の関係もなくなってしまうのだという、大きな「むなしさ」がありました。

しかし、
キリストを信じることによって「永遠の命」が与えられました。「死んでも天国において永遠に生きていける」という希望を持つことができたのです。そしてこの世の生活は、人々を愛し、神からまかされた仕事を行うという、楽しくかつ重要な意義があることを知りました。

(3)無力からの解放


最後に、キリストに出会うまでの私は、いつも自分の「無力」に悩まされてきました。やるべきこと、やりたいことはたくさんあるのに、それをやる力がないのです。しかし、キリストを信じてからは、神の無限の力と知恵が与えられるようになりました。

そのようにして今では、
どんな難しい事件にも、「神には不可能はない」ことを信じて、祈りつつ取り組んでいます。そして、ひとつひとつの事件を通して、神のすばらしい奇跡の解決を体験させていただいています。

4.何を信じるか

私たちは生まれてからこの方、いつも何かを信じて生きています。「人は何かを信じなければ生きることができない」ように造られているのではないでしょうか。子供の頃は親を信じ、勉強しているときは学歴を信じ、社会に出れば会社や財産や健康を信じるといった具合にです。

しかし、かつての阪神大震災を思い起こせば明らかなように、目に見え、手で触れることのできるもので、本当に頼ることのできるものは何ひとつありません。関東大震災がいつ再び起こるかわかりません。日本の政治や経済もいつ崩壊するかも知れません。いつ会社が倒産し、家庭が破綻するか知れません。そこで多くの人々は、安心を求めて、いわゆる新興宗教等に救いを求めます。ところが、一連の不祥事を追っていくと、諸宗教にも真の意味の救いがないことがわかってきます。

究極的には、救い主・イエス・キリストを信じる以外に、本当の救いはありません。キリストを信じること以外に人はすべてを委ねて安心して生きていくことはできないのです。

イエス・キリストは、「わたしは、道であり、真理であり、命である」と言われました。キリストは私たちの罪の身代わりとして、十字架にかかってその命を犠牲にしてくださいました。そして死後三日目によみがえって、私たちに永遠の命を与えてくださったのです。

聖書によれば、天地万物はキリストによって創られ、支えられているのです。キリストは「王の王」であり、「主の主」であると書かれています。イエス・キリストは、昨日も、今日も、いつまでも永遠に変わることがありません。人類の歴史上、イエス・キリストと並びうる人は一人もいないのです。

私たちの人生で最も大切なことは、「何を信じるか」です。何を信じるかで、その人の人生が決定してしまいます。
もしあなたが、神の御子であり、王の王であり、主の主であるイエス・キリストを信じるなら、永遠の命が与えられます。そして神の無限の力と愛と恵みを享受することができるようになるのです。私がその証人です。また、世界中のクリスチャンがその証人です。

この人による以外に救いはない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである(使徒行伝4:12)