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  My Story


「めぐみがわたしを追いかけてくる」
(あかしの驚異的パワー)

― パウロ アカギ カズヒコ ー


兄弟たちは、子羊の血と
自分たちの証しの言葉とで、
彼に打ち勝った。
―ヨハネの黙示録13:11―  

 

― あかしの大反響 ―
「あかしを書くと、めぐみがあなたを追いかけてきますよ」とある方から勧められ、3年ほど前に「鬼の債権取立人から愛の福音伝道者へ」というタイトルで、わたしの半生記を「あかし」として書きました。その内容は、全身が罪の塊のようなわたしに、神がいかに大きな愛を注ぎ続けてきて下さったかというものです。この「あかし」は、すでに2千人以上の方々にコピーが配布されました。
「インターナショナルVIPクラブのホームページ」にも掲載されています。2003年5月24日には「VIPクラブのファミリー・メールマガジン(VFM)」に乗って世界中の千人以上の方々に送信されました。ひとつの「あかし」がこのように無限に広がっていくことに驚きました。同時に、わたしの罪も多くの方々の知るところとなってしまいました。
「よくここまで正直に自分のことを書けましたね。感動しました」というのが読んで下さった方々の大半のコメントでした。「あかし」というよりも、むしろ警察の「自白調書」のようです。あれもこれも、洗いざらい白状するのですから、恥かしさと後ろめたさでいっぱいでした。ですから、何ともきまりが悪く、これを読んだ方には合わせる顔がありません。「2時間かけて一気に読みました。泣けて、泣けて涙が止まりませんでした」と、わたしの過去をよく知っている方が言って下さいました。なかには、刑務所で服役中の受刑者の方もこれを読んで感動して下さったそうです。「やはり、罪人のあかしは罪人にインパクトがある」と妙に感心したりもしました。
このような「あかし」の大反響は、思ってもみなかったことです。それ自体驚くべきことですが、そのほかにも次から次へと「さまざまなめぐみがわたしを追いかけてくる」ようになりました。

わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、
この上ない喜びと思いなさい。
信仰が試されることで忍耐が生じると、
あなたがたは知っています。
―ヤコブの手紙1:2―

― 鬼の債権取立人から涙の債権取立てられ人への転落 ―
3年前に「あかし」を書いたころのわたしは、完全失業者でした。収入がありませんでした。24年間勤めた宝石の輸入商社からは、千八百万円の退職金をいただきましたが、2年で使い果たし、スッカラカンになりました。その頃、「無職ではカッコがつかない」と友人の作ってくれた19社目の名刺をもっていましたが、ただ仕事を転々と移り変わるだけで、定職も定収入もありませんでした。家内は、おそば屋さんのパートとして働き、その日その日をしのいできました。
ところが、「あかし」を書いた直後のことです。ある会社に嘱託社員として応募したら採用されたのです。会社との雇用契約は、毎年4月1日から3月31日までの1年間です。会社が承認すれば、さらに1年間、契約を延長してもらえることになっています。月給は20万円という薄給でしたが、定職・定収入のない状況からの脱出です。この大きなめぐみをこころから感謝しました。当時、その会社は株式の上場を控えていましたので、従業員持株会を組織して、全社員に、なかば強制加入に近いかたちで、持株会への参加を勧誘していました。わたしは、単なる嘱託社員ですから、お義理で最低口数1口だけ加入しました。また、ストック・オプションも数口が与えられていましたが、その権利を行使できるのはずいぶん先のことでした。入社から3年経過して初めて「4月1日現在の在籍者に限り、権利行使できる」という規定があったようです。しかし、わたしには無縁のこととして、ろくに書類も見ないままサインしました。契約したことすら忘れていました。
ちょうど同じころ「破産宣告決定」という文書が、裁判所から自宅に送られてきました。わたしにとっては、持株契約より、こちらの方がはるかに衝撃的な書類でした。すぐに、クレジット契約の「名義貸し」のことが頭をよぎりました。友人の経営する会社の資金繰りを援助するため、高額の宝石・絵画を購入したことを装った架空の契約にサインしていたのです。もし友人が破産すれば、わたしは、クレジット会社3社に対しては、債務者となってしまいます。案の定、裁判所の書類には、多額の負債を抱えていた友人のジュエリー会社が破産したことが書かれていました。34年間の経営の歴史に幕が引かれたのです。不況下にあって、彼もまた「自転車操業」の苦しみのはてに倒産したのです。自然人の死になぞらえていえば、倒産は法人の経済的死亡なのです。あの強気の友人がしょげかえり、きらびやかな店舗は閉鎖され、関係者は「雲隠れ」して、行方がわかりませんでした。結局、友人は、裁判所に自己破産の申立てをして、1年後には免責決定を得たようですが、家族は離散、いまは、本人もどこに移ったのかすら判りません。本人の自宅、保証人の所有不動産すべてが処分され、一般債権者には配当がありませんでした。わたしも、この破産事件に連鎖して、大変な苦境に陥りました。クレジット会社から「カネ返せ」という「督促状」が束のように舞い込んできました。ダイレクトメールより、督促状が多い毎日でした。督促を受けても支払ができない「悪質消費者」として、すぐに信用情報センターのブラックリストに登録されました。以降7年間、わたしは信用消費社会から締め出されました。もう、ローンやクレジットは使えなくなったのです。かろうじて、友人とともに「詐欺の共犯」として警察に突き出される恐れは免れました。でも、支払督促や訴訟を提起され法廷に立たされました。
これまで、「原告」としてたびたび裁判所に出頭しましたが、逆に「被告」となったのは初めてです。恐る恐る法廷に出廷し、罪状を全面的に認めましたので、その日に敗訴。こうして、「鬼の債権取立人」から「涙の債権取立てられ人」に転落してしまったのです。時代劇にみる娘を借金のカタに連れて行こうとする高利貸し、病人の布団をはがすあこぎな悪人役から、今度は「どうかそれだけはご勘弁を」と泣いてすがるみじめな取立てられ役に廻りました。

命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、
舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、
悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。
主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。
―ペテロの手紙3:10〜12―

― 敗訴判決と強制執行 ―
クレジット会社からは、昼夜を分かたず入れ替わり立ち代り、矢のような電話督促、督促書類が自宅に舞い込んできます。「支払の意思はあるの?だったらどこからか工面しなさいよ。クメン!」と若い担当者も、ベテランの女性社員も執拗で強圧的です。何を言われても、ここはガマンのしどころ。逆襲したいのを抑えてハンカチの端をぐっと噛んでいました。クレサラ業者の攻撃は半端ではありません。「カネ返せ」の一点張りで押しまくってきます。クレジット会社は、オートコールセンターでアルバイト社員を雇って、社内の回収マニュアルどおりの対応をさせています。金融庁の事務ガイドラインを逸脱してはいません。そうと判っていても、責められる身にはこたえます。電話の向こうがいかにぞんざいな口をきこうとも、こちらはおとなしく対応しなければなりません。担当者の気持を害すると、ややこしくなるのです。自分の責任を認め、なんとか追求の刃を掻い潜らなければなりません。「収入はない、借金取りに追われる、いっそのこと夜逃げしようか」と思いました。ついに、自己破産しようかとも迷いましたが、こんな状況では免責不許可事由に該当し、破産しても、債務の支払義務は消えません。
わたしの勤める会社は、金融機関等から譲り受けた債権の回収を専業とする法務大臣認可のサービサー(債権回収会社)です。わたしは職場では債権者の立場で裁判所や弁護士と接触しますが、私的には負債を背負った債務者です。つまり、「カネ返せという」仕事をしていながら、「カネ返せといわれる」立場にいたのです。この自己矛盾は非常につらいものでした。もし、会社に知られたら即刻クビです。金銭をめぐるトラブルは、内面的にはキツイものです。思考がネガティブになって、暗く考え込みがちです。攻められる姿は、家族にはとても見せたくありません。さまざまな修羅場を掻い潜ってきたわたしですら神経が細ります。とにかく、攻められっ放し、やられっ放なしで、債権者の攻撃にはダンマリを決め込みました。
経営破綻の末期には必ず危険信号が点滅します。この危険情報を察知して倒産のXデーまでに完全回収をはかって債権の焦付きを防ぐ、もし倒産という異常事態があっても、債務者の自己破産等の法的手続開始前までには、リスクを犯しても回収しておくというのが、「鬼の債権取立人」として取引先から恐れられたかってのわたしでした。危急のときに、わたしは、反射的に現場に飛んでギンギンに取立を敢行していました。「より早く、より多く」回収原資を掴むまで帰社しませんでした。けれども今度は、わたし自身が倒産した友人に対しては求償権を有する債権者なのですが、不思議と動くことができません。
やむなく、かっての会社の債権回収の仕事を依頼していた顧問弁護士に相談しました。「わたしより、あなたの方がよっぽど腕がいいんだから、ご自分でおやりなさいよ」とにべなく断られてしまいました。
回収手段をエスカレートさせたクレジット会社は、判決を得たうえで、わたしに対する債権を債権回収会社に債権譲渡しました。今度は、債権回収会社がわたしに請求を続け、ついには、判決に基づき「強制執行」を敢行。元の宝石会社時代の上司の経営する会社の社外取締役として登記していましたから、役員報酬を差押えてきたのです。ところが、わたしは単なる名目上の取締役にすぎず、役員報酬は1円ももらっていなかったため、この債権差押は空振りに終わりました。債権回収会社には、現在のわたしの勤務先は判っていません。でも10年間の時効期間がすぎるまでは、債権回収会社は、いろいろ財源を調べて、何度も強制執行をかけてくるでしょう。
前の「あかし」に書きましたように、わたしは、不貞行為の慰謝料として家内にわたしの土地・建物の「所有権」を移転していました。ですから、債権回収会社は土地・建物に対する強制執行をすることができなかったのです。もし、名義を変えていなかったら、わたしたち家族はとっくに自宅を追い出されて路頭に迷っていたことでしょう。わたしの不祥事をも、このように益にしてくださる神のはかり知れない深いご配慮に驚嘆しました。

命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまるであろう。
― 詩篇23:6―

― めぐみがわたしを追いかけてくる ―
ところで、勤務先の業績は極めて順調で、2年目にして、東京証券市場・マザーズに上場しました。その権利をわたしが行使できるのは入社3年目の今年4月でした。昨年11月のころ、親しい同僚が「もうすぐ春がやってきますね」と耳打ちしてくれました。わたしには、なんのことかわかりませんでした。同僚は、今年の4月1日に、わたしがストック・オプションを行使できることを教えてくれたのです。なんと、すっかり忘れていたストック・オプションは、分株によって、権利が80倍に膨れあがっているというのです。本当にびっくりしました。突然、天から数千万円というお金が降ってくるのです。でも、もし債権者が強制執行を会社にしてくれば、その時点で雇用契約は打ち切りになります。ストック・オプションの行使の目前に退社しなければなりません。ですから、嘱託契約の更新をはさんだ数ヶ月は、さすがに株のことが気になり、生きた心地がしませんでした。めぐみと攻撃はいったいどちらが先にやってくるのか、それは、神のみがご存じでした。わたしにはどうすることもできません。祈りに祈って、神におゆだねするしかありませんでした。
幸いにも4月1日付をもって雇用契約が更新され、今期も会社に勤めることができました。わずか3年の勤務で、ストック・オプションを行使すれば、以前24年間働いた会社の退職金の2倍以上の経済的祝福を手にすることができます。まさか、こんなに早く、こんなにたくさんのめぐみを手にしようとは、夢にも思いませんでした。ただ大きな神のめぐみというほかありません。わたしのめぐまれた経済的祝福の原因は、罪の悔い改めと懺悔の「あかし」をしたことだと思います。
「あかしを書くとめぐみがあなたを追いかけてくる」というのは、まさしく真実です。涙とともに書いた「あかし」の種をあちらこちらに播いていったら、喜びとともに豊かな収穫の実のりを刈取ることができたからです。しかし、このめぐみは、即刻、家内の銀行口座に全額振替えられることになっています。わたしを素通りして、わたしの悪行という患難に耐えたわたしの家族に対するめぐみとなりました。わたしの人生は、起伏が激しく、登ったかと思うと、底までまっ逆さま、下がったと思うと、また上昇の繰り返しで、まるで、ジェットコースターに乗ったようなハラハラ・ドキドキの連続です。「神のご計画とはこういうものなのか」と愚かで、高慢で、無能な自分に納得させています。神は、常に危ういあゆみばかりする広島育ちの陽気でおっちょこちょいのわたしを見抜いていて、伴侶として岩手出身の堅実でまじめな家内を与え、あやまち多いわたしを救い、導いてくださっています。このような体験から、わたしは徹底的に自分の罪を悔い改め、すべてを神におゆだねすることによって、豊かな祝福に与かることができることを確信しました。「あかし」を書いて、これを公表したことを神がことのほか喜んで、このようなすばらしいめぐみを与えてくださったとしか、とても考えられません。

主は、決してあなたをいつまでも捨て置かれはしない。
主の慈しみは深く懲らしめても、また憐れんでくださる。
人の子らを苦しめ悩ますことがあってもそれが御心なのではない。
―哀歌3:31〜33―

― わたしの不倫事件と娘たちの「逆勘当」 ―
わたしの離婚未遂事件について触れます。前回の「あかし」に書きましたように、あるとき、わたしに愛人ができ、わたしは妻子を捨てて離婚して愛人と結婚しようとしました。わたしには、2人の娘があります。娘たちは、わたしと家内の離婚を望んではいませんでした。娘たちは彼女たちなりにわたしの離婚実力行使を阻止しようとしていました。娘たちはいずれも大学の法学部で学んでいましたが、もちろん離婚事件の実務に携わったことはなく、教養レベルくらいの知識しかないはずとタカをくくっていました。「法律実務のプロのわたしにかかってくるなら胸を貸してやる」くらいの高慢な態度で、「未成熟な子どもが親の離婚問題には関わるなんてとんでもない!」としか思っていませんでした。ところが、彼女たちは、わたしの知り合いの弁護士、図書館、家庭裁判所に家内とともに足を運んで、理論武装をしていたのです。
娘たちの本心は、両親の離婚を体を張ってでも阻止しようという意図だったと後になって家内から聞きました。武闘戦に備えて家内をガードして、切り込み隊長は長女、わたしの姉は応援団、郷里の母と共に女たちの共同戦線が確立されました。そして娘たちのボーイフレンドのバックアップ体制があっという間にできあがっていました。さらにわずらわしいのは、わたしに身近なクリスチャン婦人の「祈りの軍団」が結成され、向かうところ敵だらけでした。それでもわたしは、強引に進めば進むほど、反動で強力に引き戻されるバネ付きの鎖が足に付いていることも知らず、「エイ。やあ!」と愛人の元へと夜逃げをしたのです。協議離婚が整わないまま、腕力で別居に踏み切ったのです。ところが、愛人ともうまくいかず、半年後に涙とともに元のサヤにUターンしたみじめなわたしを迎えたのは、キレた娘たちのわたしへの「逆勘当」でした。このときほど、神の御心に背いたことを後悔したときはありませんでした。あれから、もう5年が経ちました。

愛には偽りがあってはなりません。
悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、
尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。
― ローマの信徒への手紙 12:9〜12 ―

― 家族へのあふれるめぐみ ―
わたしの度重なる不祥事にもかかわらず、神はわたしの家族をあわれんであふれるめぐみをそそいでくださいました。「女の子は、父親に似ると幸せ」といわれます。確かに、長女も次女もわたしに似ています。よくみると、長女は顔つき、体型ともに父親似で、性格はおもいやりの深い、涙もろくやさしいところがあります。感情の表出も豊かです。むずかしい理屈はいいません。素直で、明るく、世間的には「よいお嬢さん」です。
また、次女は美人で聡明、スマート、理論家です。幼稚園から大学まで、ただの一度もストレートにいかず、ハラハラさせた長女と、すべて思いどおりに進んできた次女との違いはコントラスト鮮やかです。ふたりを個別的にみると、これがはたして同じ親から生まれた姉妹だろうかとさえ思うほど違っています。
いまは成人して社会人になりました。長女は、昨年嫁ぎましたが、次女もすでに「適齢期」にあって、ボーイフレンドの影がちらつき、父親としてはおもしろくありません。娘たちが成長して、やがて嫁ぐ日は、最愛の娘を手放したくなくて柱の物陰でそっと涙をぬぐう「花嫁の父」をイメージしていました。はたして、その日はいつ、どんな形でやってくるのだろうと想像していました。ところが、現実には、わたしが引き起こした「不倫事件」によって「絶対にあいつは許せん!」と娘たちを怒らせてしまったのです。無理もありません。未だに、愛する娘たちから「逆勘当」されています。「お母さんは呼ぶけど、あなたは結婚式の出席をご遠慮いただきます」と絶縁宣言されてしまいました。そして、昨秋の結婚式当日は、式場ではなく留守宅でひとりホゾを噛みながら涙をこぼしました。
この長女にも神は、あふれるめぐみと祝福を与えてくださいました。昨春、国家資格を取得したうえ、区役所に勤めるようになったのを機に彼女は結婚しました。その半年後、婚家の父親が現役サラリーマンのまま急逝。遺産相続によって、マイホームが与えられました。さらに、今秋には孫も産まれます。長女は、わずか8か月の間に人生のなかで体験する貴重な祝福をまとめて受取りました。わたしたちをあわれんでくださり、父親としてなすべき無力なわたしに代わり、天の父がすべてをよきにはからってくださっているのです。ミラクルとしかいいようがありません。「神を信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます」という聖書のことばどおりです。
やがて、次女も大きく祝福されることでしょう。父親の目から見ると、次女は、面食いなのか、彼氏はやわな男ばかりで、どれもこれも気に入りません。でも、彼女の理想の男性は「うちの親父とは違うやさしい人」という確かな目をもっています。次女が嫁ぐ日まで、男友達に対しては存在無視の敵視政策を貫いていこうという、わたしの思いが揺らぎ、少しは愛してあげようかと軟化しています。しかしまたしても「わたしも、お姉ちゃんの方式でいく」と次女にすでに結婚式出席拒否を予告されています。
わたしは、これまで、娘たちの教育にもしつけにも無関心で、家内にすべて任せ、ほとんどタッチしませんでした。仕事に没頭して、お小遣いをあげるとき以外は父親ではありませんでした。ろくに会話らしい会話や相談に乗ってあげたこともありませんでした。入学式や卒業式、授業参観日には出席したこともなく、それがあるのを知ろうともしませんでした。父親というよりも、むしろこの家に古くからいる「同居人」にすぎません。ですから、娘たちの幸運を誰よりも喜んでいるのは言うまでもなく、苦労の連続だったわたしの家内です。

ですから、私たちは今後、人間的な基準で人を知ろうとはしません。
かっては人間的な基準でキリストを知っていたとしても、
今はもうそのような知り方はしません。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
―コリントU5:16〜17―

― 愛する人になるように ―
エフェソの信徒への手紙には「そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らはおろかな考えにしたがって歩み、知性は暗くなり、彼らのなかにある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。そして無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。だから、以前のような生き方をして情欲に惑わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心のそこから新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません」(4:17〜24)とあります。
もし、わたしが本気で妻子の救いや健全な親子関係の回復、修復を望むなら、娘たちの成長を待っていてはいけません。まず、自己変革すべきはこのわたしなのです。文中の「異邦人」を「わたし」に置き換えて、声を出して読んでみると、赤面して下向きになり、だんだん声がか細くなってきました。せっかく救われたのに、わたしの日常は、神を知らない人となんら変わらないのです。神を愛し、人を愛する生活をしていないのです。家内や娘たちが救われて欲しいと教会にいくことを勧めますが、「あなたのような罪深い人たちが通っているようなところには絶対に行かないわよ」とピシャリと拒否されています。家内や父親を逆勘当した娘たちは、この聖句を読んでいなかったとしても、その生き方はすでにわたしより聖書的です。性懲りもなく罪を犯す父親よりも、彼女たちの方がよほど素直に聖書に従った生活をしているのです。聖書を文字で読み、頭で理解しただけで、これに従った生活をしない夫の生活態度や日々の行動様式を見ている家内が冗談まじりにこう言いました。「わたしも、神さまに祈るわ。今度、生まれてくるときは、どうぞ、あなたとはめぐり合わない道に歩ませてください」。わたしの方から勝手に好きになり、強引に結婚したのに、いつからかお金に目がくらみ、気にいらないことがあると、わたしは家内に対して悪口雑言をあびせるだけでなく、殴る、蹴るの家庭内暴行を繰返してきました。それを娘たちは怯えながら見ていたのです。家内と娘たちの積年の苦しみによるこころの傷が、わたしの離婚未遂騒動で爆発したのも当然のことです。わたしがもっともっと真実の愛の人に造り変えられ神の御心にかなう誠実なあゆみをする者となったときにはじめて、家族関係の修復と家族の救いがくるのだと確信しています。いま、そのときに希望をもってたゆまず祈り続け、本当の愛を実行していきたいと思っています。これからは、物質的めぐみだけでなく、精神的なめぐみ、霊的なめぐみが、わたしとわたしの家族を追いかけてくるでしょう。これからも、わたしとわたしの家族にそそいでくださる神のめぐみの「あかし」書いていきたいと思っています。

あなたの天を、あなたの指の業をわたしは仰ぎます。
月も星もあなたが配置なさったもの。
そのあなたが御心に留めてくださるとは人間は何ものなのでしょう。
人の子は何ものなのでしょうあなたが顧みてくださるとは。
神に僅かに劣るものとして人を造り
なお、栄光と威光を冠としていただかせ
御手によって造られたものをすべて治めるようにその足元に置かれました。
羊も牛も、野の獣も空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。
主よ、わたしたちの主よあなたの御名は、いかに力強く全地に満ちていることでしょう。
― 詩篇8:4〜10 ―


(2006年 4月 記)

 

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