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  My Story


「もし二十一世紀に龍馬がいたら〜韓国へのコーリング」

新聞記者 中田朗

 今晩は。新聞記者をしております中田朗と申します。この度は岸本茂雄様にお声をかけていただき、VIP池袋の集会でお話しできる機会を与えていただいて、心から感謝を申し上げます。
 昨年の今頃、私はVIP神田駿河台で初めてお証しさせていただきました。その時は、私がどうしてイエス・キリストを信じたのか、また、どのような経緯で新聞記者という仕事に導かれていったのかについてお話しさせていただきました。それまで、救いの証しについては教会や超教派の集会でお証しする機会はちょくちょくあったのですが、仕事を始めてから後のことは、まとまった形でお話しする機会は今までありませんでした。そういう意味で前回は、神様が私に対して、これまでどんなに良くしてくださったのか、自分の人生を振り返る意味でも、非常に良い機会となりました。
 さて、昨年、私の証しを聞かれた方は覚えておられると思いますが、私はその時、次回の予告をしたんですね。その時私は、こう語ったのです。「韓国とのかかわりについては、面白いエピソードがたくさんあるのですが、時間の関係上お話しできないので、またの機会にお話しできたらと願っています」と。ということで、今回は「もし二十一世紀に龍馬がいたら〜韓国へのコーリング」という題で、少しお分かちしたいと思っております。ちなみに、今年はNHK大河ドラマ「龍馬伝」のヒットで、ちょっとした龍馬ブームです。それにあやかって、タイトルに「龍馬」を入れたわけですが、なぜ「龍馬」が出てくるのかは、後で種明かしをさせていただきます。
 さて、私にとって神様からのコーリング(召命)はいくつかあります。その一つが「書くこと」、すなわち書くことを通して神様の働きをし、栄光を現すことです。そのために神様は私をキリスト教メディアの一記者という立場に置いてくださいました。
 そして、もう一つが韓国へのコーリングです。この韓国に対するコーリングは、私にとっても意外でした。学生時代、二、三十代の頃は、韓国に対しては全く関心がありませんでしたし、興味もなかったからです。しかし四十代になってから、神様は私を韓国に呼んでくださいました。今となっては、私と韓国との関わりは、仕事においてもプライベートにおいても、切っても切れない関係となっております。ソウルにはすでに七、八回訪問していますし、韓国ドラマ「冬のソナタ」の舞台となった春川や、観光地として有名な済州島、東海も訪れたことがあります。実は明日から四日間に、仕事とプライベートを兼ねてまたソウルに行きます。そんな感じで、年に二回は韓国の教会を訪問したり、友人に会うために出かけています。

 さて、私と韓国との関わりについては、まずこのことからお話ししたいと思います。名付けてチェ・ジウ事件とでも申しましょうか? それは、私にとって最初の、強烈な韓国異文化体験となりました。
二〇〇六年の七月頃、私どもの会社にソウル・オンヌリ教会のスタッフらが訪れました。オンヌリ教会のハ・ヨンジョ牧師に日本宣教のビジョンが与えられ、日本でキリスト教放送局「日本CGNTV」を立ち上げ、日本の教会のために二十四時間、衛星アンテナを通してキリスト教番組を放送したいということでした。実はオンヌリ教会といのちのことば社は、文書伝道という点で二〇〇二年頃から互いに協力し合い、親しい関係をもってきました。なので、オンヌリ教会のスタッフの方々は、まず我が社を訪れたわけです。スタッフらも、「いのちのことば社に行けば、日本の教会全体のことについて知ることができる、とハ牧師が言っておられたので来た」とのことでした。
この二十四時間キリスト教番組を放送するというそのスケールだけでも驚きですが、韓国式のやり方がまたユニークでした。まだ日本CGNTVが海のものとも山のものとも分からない段階で、その年の十月に大勢の人々を集め、東京と大阪で開局記念セレモニーを開くというのです。そしてそのゲストの目玉が、あの韓流ブームの火付け役となった「冬のソナタ」のチェ・ジウさんでした。オンヌリ教会のあるスタッフが「チェ・ジウさんをインタビューさせてあげます」と言うので、「これはスクープだ!」と私は有頂天になってしまったわけです。それからの私は、いつチェ・ジウさんを取材できるかで頭がいっぱいになりました。オンヌリ教会のスタッフが訪れるたびに私は、何度も、何度も尋ねるわけですね。「チェ・ジウさんをいつ、どこで取材できますか?」と。
ところが、話は二転三転していきました。最初は日本でインタビューができると言っていたのに、オンヌリ教会のスタッフは「やはり韓国でないと難しい」と言い出したのです。「韓国でも構わないので、いつ取材できるかお知らせください」と伝えたのですが、その後は何の音沙汰もありません。こちらから何度も返事をするよう催促したのですが、結局、チェ・ジウさんのスケジュール調整が難しいということでインタビューの話は立ち切れとなりました。「ならば開局セレモニーには必ず来ますね!」と念を押すと、スタッフの方は「はい、必ず来ます」と言い切っておりました。
私はその言葉を信じて、韓流ファンの友人や会社の仲間に「チェ・ジウさんが来るから一緒に見に行こう」と、開局セレモニーに何人も誘いました。中には「チェ・ジウさんを見られるなら必ず見に行きますね」と約束をした、大の韓流ファンで静岡在住の友人もおりましたし、クリスチャンでない人もたくさん誘いました。
さて、当日です。私はその日の朝にも、「必ず来ますね」とオンヌリ教会のスタッフに確認をしました。スタッフは「はい、来ます」と答えたので、安心していたのです。ところが蓋を開けて見ると、チェ・ジウさんはおりません。代わりにチェ・ジウさんのお詫びの言葉が収録されたビデオ・レターが流れるではありませんか? 「今回、皆さんとお会いしたかったのですが、行けなくなってしまって申し訳ありません。皆さんを愛しています…」
「だまされた!」と思いました。「韓国は計画がコロコロ変わる場合がありますよ」とある人から聞いていましたが、まさかこの時にやられるとは! 本当に裏切られたような気持ちになり、やがて私の内側からむくむくと怒りが込み上げてきました。「今朝まで、来ると言っていたではないか? クリスチャンが人をだますとはけしからん!」もう、怒り心頭です。静岡からわざわざやって来た友人の新幹線往復代はどうなるのか? ノンクリスチャンの友人に対して証しにも何もならないではないか? 絶対、赦せない…。
実際、オンヌリ教会に限らず、韓国教会が主催する集会では、これまでもこういうことがよく起こりました。そのことが理由で韓国が嫌いになったり、一度そういうことがあってからは、韓国教会とは一切かかわらなくなったという日本人も何人か知っています。日本人はこういう体験をすると、黙って離れていくことが多いのではないでしょうか? 私も心の中で「金輪際、韓国とは関わりをもつのをやめる!」と決めていました。しかし、それだけでは気持ちが収まらなかったので、翌日から私は、オンヌリ教会関係者に抗議メールをしまくったのです。
私はこの出来事を、チェ・ジウ事件と勝手に呼んでおります。それだけ、私にとってこの事件はいろんな意味でショックだったわけですね。しかし、不思議なことに、この出来事が逆に韓国、特にオンヌリ教会の方々と深く関わるきかっけにもなっていったわけです。

 さて、チェ・ジウ事件のその後を語る前に、なぜ私が韓国と関わるようになったのかについてまずお話しします。私と韓国との最初の出合いは二〇〇二年でした。ご存じのようにこの年は、日韓共催ワールドカップが日本と韓国で行われた年でもあります。この年、私は二度、韓国を訪問しました。
最初は私どもの会社いのちのことば社が企画したオンヌリ教会訪問ツアーに参加したことです。オンヌリ教会は韓国ソウル市内にある五万人規模のメガチャーチですが、実はいのちのことば社は、二〇〇一年頃から、当時いのちのことば社の専務だったM氏とハ・ヨンジョ牧師との出会いを通して、オンヌリ教会の出版部門であるツラノ書院との関係を深めておりました。病気療養のため日本で治療を受けていたハ牧師は、この時、日本にオンヌリ教会とツラノ書院を始めるというビジョンをもったそうです。そしてハ牧師はある韓国人宣教師の紹介で、M専務と出会いました。M専務はじめいのちのことば社の職員は、東京オンヌリビジョン教会設立とツラノ書院開設に全面的に協力し、書店においては本や用品、CDなどのディスプレイのお手伝いをしました。私は取材にお伺いし、東京オンヌリビジョン教会とツラノ書院ができたことを、新聞で大きく取り上げました。その関係で、オンヌリ教会との親密な関係ができたわけです。翌年、ハ牧師のご好意で、いのちのことば社の社員はこぞってオンヌリ教会の招待を受けることになりました。そして、ツラノ書院を訪問し、西氷庫(ソビンゴ)と良才(ヤンジェ)にある教会堂を見学し、そこで行われている礼拝や若者向け集会に参加したりしました。とにかくその規模と、集会の熱気に驚きました。特に、まだ夜明け前の朝五時から始まる早天祈祷会に、何百人もの人が続々と集まり、信徒たちが神様に向かって熱心に祈る姿には本当に圧倒されました。「クリスチャン人口一%の日本の教会と、リバイバルした韓国の教会との違いは、まさに早天祈祷会の祈りのパワーだ」と思い知らされた一瞬でした。
もう一つは、韓国・基督公報の記者との協力によるワールドカップ伝道の取材でした。取材は韓国で一週間、日本で一週間のスケジュールで行われました。私は基督公報の取り計らいで、何とワールドカップの開幕式と初戦のフランス対セネガル戦を観戦することができたのです。また済州島にも飛び、美しい海と空を見、おいしい物を食べながら、ワールドカップ伝道の現場を取材できたのです。特に驚いたのは、韓国代表に選ばれた選手の約半分はクリスチャンだったことです。イ・ヨンピョ、ソン・ジョングク、イ・ウンジェ、チャ・ドゥリなど一流選手がみな熱心なクリスチャンで、フィールドでことある事に祈る姿は印象的でした。特にうらやましいと思ったのは、教会がそういう一流のクリスチャン選手を物心両面でサポートしている点でした。試合で日曜日に礼拝に出られなくても、常に選手と帯同する牧師、宣教師がいて、試合前に礼拝をもつことができるのです。日本ならば、試合を選ぶか礼拝を選ぶか、で選手は悩むのでしょうが、韓国ではプロスポーツ選手でも信仰生活が保てるように配慮がなされ、環境が整えられているのです。また、これらクリスチャンのプロ選手たちが公の場で証しし、教会で福音を語ることで、若者らに大きな影響を与えています。これはスポーツ選手だけでなく、芸能人、政治家などにも言えることで、私は韓国のキリスト教文化の広がりと深さ、福音宣教の多彩さに、本当に驚かされました。
この二度の韓国訪問で、韓国に対する関心、興味が生じたことは確かです。そして私は韓国を訪問している間、韓国の方々のびっくりするようなおもてなし、日本人が忘れかけてしまった情の深さ、信仰の熱心さにふれました。そのたびに私は、「この国についてもっと知りたい」と思うようになったわけです。また私はワールドカップ開催中、非常に美しい場面を目撃しました。それは東京・新宿区にあるヨハン教会に取材で訪れた時のことです。その日の午後は、韓国戦と日本戦が交互に行われたのですが、その試合をビックスクリーンで大写しにし、その前で韓国と日本の若者が太極旗と日の丸を振って、大声を張り上げながら、一緒に肩を組んで応援しているのです。
ご存じのように、韓国と日本はこれまで「近くて遠い国」と言われてきました。日本が戦時中、朝鮮半島を三十六年間も植民地支配してきたことによって、両国の関係は非常に悪いでした。日本の首相が戦犯を祀る靖国神社を参拝するたびに、韓国中が抗議の声を挙げ、歴史教科書から従軍慰安婦の記述が削除されたり、竹島が日本の国の領土と記載されるたびに、韓国ではデモが起きました。そんな険悪な関係にあった両国の若者たちが、肩を組んで「頑張れー!」と、日本チーム、韓国チームを一緒に応援しているわけです。その光景は今も私の脳裏に焼き付けられています。
このように、私にとって二〇〇二年は韓国体験元年となりました。しかし、この関わりは決して自分から願ったことではありませんでした。なぜなら、オンヌリ教会訪問ツアーへの参加は私自身の単なる好奇心でしたし、日韓共同取材によるワールドカップ伝道取材は、「お前が行け」という上司からの命令だったからです。しかし、その年に韓国に行っていたおかげで、その数年後に押し寄せてくるオンヌリ教会による日本宣教、ある日本の牧師先生は「韓国から来た黒船」と呼んでおりましたが、その黒船に対処する備えが私の中にできていたからです。ですから、その後の展開を振り返るたびに、まさにあの年は韓国に対する、神様からの最初のコーリングだったと思わされております。
それから二年後、日韓関係において忘れられない出来事が日本で起こります。そうです、韓国ドラマ「冬のソナタ」が大ヒットし、日本で韓流ブームが起こったのです。私は流行にはうといほうで、「冬のソナタ」が日本の女性の間で大ブームになっていることは知っていましたが、どんなストーリーで誰が出演しているのか、全く知りませんでした。けれども、周囲があまりに騒ぐので、私も何気なく「冬のソナタ」の解説本や「秋の童話」「オールイン」「美しき日々」など、当時、ヒットしていた韓国ドラマのガイドブックに目を通してみたのです。そうしているうちに、ある韓流本に載っていた韓流スター名鑑の宗教欄に目がいきました。そしたら、何と「冬のソナタ」の主要な出演者の半分以上がクリスチャンだったんですね。もちろんチェ・ジウさんはクリスチャンで、聞くところによると、現在、弟子訓練で有名なサラン教会の主任牧師をされているオ・ジョンヒョン牧師のいとこにあたる方だそうです。また、ヨン様ことペ・ヨンジュンさんはカトリックの信者ですし、脇を固めていた俳優はほとんどがクリスチャンでした。
二〇〇二年に韓国を訪問した時に、スポーツ選手や芸能人にクリスチャンがいっぱいいることは予備知識として知っていましたが、日本全国の女性たちを魅了する「冬のソナタ」の出演者の多くがクリスチャンであることには本当に驚いたのです。それを知った時、なぜか「韓国語を勉強しなければ」とふと思ったんですね。それで、いてもたってもいられなくて、財布の紐を握っている妻に「韓国語を勉強するから授業料よろしく」とお願いしたわけです。そして、二〇〇五年一月から週に一回、韓国語を学びに、新大久保にある韓国語学院に通うようになったのです。
これは、私の中では画期的なことでした。なぜなら、私は語学には全く自信のない人間だからです。英語に関しては全くのお手上げで、いくら勉強してもわからない、何言っているのか理解できない、そういう人間でした。そんな私が四十歳半ばで韓国語の勉強を始めようというわけです。別に、ペ・ヨンジュンさんやチェ・ジウさんなど韓流スターと韓国語で話したい、と思ったわけではありません。なぜだかわからないけれども、「とにかく今、勉強しなければ」という衝動にかられたわけですね。そして、この韓国語の勉強が、後で大いに役立つわけです。

 さて、話をチェ・ジウ事件に戻します。私はこの一件以来、怒りと憤りで一週間ほど悶々とした日々を送っておりました。そんな私に神様が語りかけてくださいました。私は開局記念セレモニーが終わった翌週の日曜礼拝の説教を忘れることができません。その日、牧師が語った聖書の言葉はこうでした。
「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」イエスは言われた。「七度まで、などとは言いません。七を七十倍するまでと言います…」(マタイ十八章二十一、二十二節)
さらに、私はその後、取材先で二人の人から「赦し」を通して解放された体験談を聞くことになりました。一人は「今までずっと憎んできた父親を赦すことができた。その時から肩の荷が一気に軽くなり、人生が楽になった」、もう一人は「私の人生の転機は、私を傷つけたあの人を心から赦せた時です」と語っておりました。
人も場所も全く違うのに、立て続けに「赦し」についての話を聞いたわけです。「これは神様が、あの件に関して『赦しなさい』と、繰り返し語りかけてくださっているのに違いない」と思わずにはいられませんでした。しかも、一回でなく三回も、です。これらの事があった後、私はこう祈りました。「神様はあの件を赦しなさいと言われるのですね。ならば赦します」
すると、今度は神様が私に、「お前にも悔い改めるべき点がある」と語りかけてくるではありませんか? 私は驚いて、「何を悔い改めるのですか?」と返答しました。すると、はっきりこう語りかけてきたのです。「彼らは何も持たず、だた、私を信頼して日本宣教のために来ているのだ。なのに、なぜ日本人は彼らに日本のことについて、何も教えてあげないのか。日本について知らなければ、失敗するのは当然ではないか。あなたが、それをすべきではないか」。この神様からの返答には、驚きました。神様に言われたら何も反論できません。私は渋々、「すみませんでした。彼らに日本のことを教えます」と答えていたのです。
その三日後、日本CGNTVのスタッフが私に会いたいとの連絡がありました。一人はK本部長で、もう一人は日本語が上手なキムさんという方でした。私たちは新大久保駅近くの韓国料理屋で会い、食事をしながら話しました。K本部長は開口一番、こう言いました。「開局セレモニーでのことは心からお詫びいたします。二度と同じ過ちは繰り返さないよう努力します。それで、ぜひお願いがあります。私たちはまだ、日本宣教をするための準備ができていません。どうか、日本のことをもっと教えてください」。すでに神様からの語りかけを聞いていた私は、その言葉に驚きました。「これは神様が働いておられる」と、そう実感しました。
それから約半年間、私はキムさんと毎日のように会ったり、電話をしたり、メールのやり取りをしたりして、日本で仕事をする上でどういう点に注意しなければならないか、日本人の気質や日本の教会の現状について、私の知識を動員してキムさんに伝えていったのです。特に「約束の時間は必ず守ること」、「時間に遅れる場合は、必ず一本電話を入れること」、「事実を事実として伝えること」、「不確定要素がある場合は『〜予定です』ぐらいにしておくこと」、「計画を変える場合は事前に連絡をすること」など、日本人と韓国人との間で起きやすいトラブルを防ぐ手だてについて、繰り返し、繰り返し伝えていきました。
初期の頃は、かなりきついことも言いました。例えばこうです。「あなたがたは韓国教会を代表して日本に来ています。もし、オンヌリ教会による日本宣教で問題が生じ、失敗に終わったなら、日本の教会はすべて韓国に背を向けるでしょう。そして、ほかの韓国教会が日本宣教のために来た時に、オンヌリ教会のその失敗が障害となるでしょう。オンヌリ教会は、今後、日日本に日本宣教のためにやってくる韓国教会のために、良い模範
とならなければ」。その言い方がかなり辛辣だったので、キムさんには本当に申し訳なかったなあと今、反省しております。
ところが、キムさんは私のような者のアドバイスにも真剣に耳を傾け、忠実に守ってくれただけでなく、ほかの日本CGNTVのスタッフにも一字一句漏らすことなく、こんな私のアドバイスを伝えていたのです。さらに驚いたことは「もっと日本について教えてください」と、会うたびに食いついてくるのですね。きついことを言っても、いつも彼はニコニコしながら「中田さんの言っていたことは本当に正しいです。助かっています」と感謝してくれました。また、よくこのようにも言っておりました。「すみません。また、韓国人の癖が出ました。ご迷惑おかけします」。彼は一生懸命、日本について、日本の教会について理解するよう努力しておりました。私は彼の姿を見て、「ああ、この人は本当に日本宣教のために命がけで来ているのだなあ」ということが分かったのです。
さて、しばらくは私が間に立ってVIP代表の市村さんや三谷さんを紹介したり、J-PASSSIONという若者集会の準備委員会に連れて行ったり、取材の時に私がいろんな団体の先生と会わせたりしていきました。そうしていくうちに、彼もいろんな日本の牧師先生や、宣教団体のスタッフがたと親しくなり、出会った先生がたが番組に登場するようになって、次第に日本CGNTVが日本の教会にも認知されるようになっていったようです。そして開局セレモニーの四か月後ぐらいには確かに二十四時間、キリスト教番組を放送する放送局として確立しておりました。感謝なことに、五年目を迎えた日本CGNTVは今、日本の教会になくてはならないキリスト教メディアとして認知され、定着しています。
オンヌリ教会の日本宣教は、日本CGNTVと共に、二〇〇七年から沖縄を皮切りに始まった韓流文化伝道集会「ラブ・ソナタ」の働きも、今日本の教会に大きな影響を与えています。実はラブ・ソナタは、いのちのことば社のスタッフのアイデアも反映しています。最初、オンヌリ教会はオンヌリ教会独自で日本宣教をしようと考えていました。しかし、いのちのことば社側は「韓国教会が独自で行うと必ず反発が起こる。日本の地域教会との協力関係で行うのはどうか?」と提案したのです。そして集会のコンテンツはオンヌリ側で、呼びかけと宣伝は地域教会で、という形にし、ネーミングは「冬のソナタ」を愛で完成させるという意味を込めて「ラブ・ソナタ」、主催もラブ・ソナタ実行委員会としました。このコラボレーションが見事にはまったわけです。もし、日韓教会の協力でなく、オンヌリ教会独自で行っていたら、ここまで成功していなかっただろうと思います。
また、オンヌリ教会は日本側の意見をすぐプログラムに反映させるという柔軟性をもっていました。ある時、私はラブ・ソナタのゲストに関して、ラブ・ソナタ本部に意見を述べたことがありました。私はこう言いました。「日本では星野富弘さんとかレーナ・マリアさんとか、ハンディキャップをもった人の証しが用いられています。一度声を失ったが、奇跡的に回復したテノール歌手のベー・チェチョルさんや自動車事故で大やけどを負ったイ・チソンさんのお証しなどは効果的だと思いますよ」と。そしたら、ラブ・ソナタ横浜あたりから、ベー・チェチョルさん、イ・チソンさんがレギュラーの証し者として立つようになったのです。
このように、オンヌリ教会のすばらしい点は、「日本の教会のことは日本人に聞け」という姿勢が徹底していたことでした。オンヌリ教会による日本宣教の成果は、まさにキムさん始め、オンヌリ教会のスタッフたちが、日本の教会に仕える姿勢で奉仕してきたからだと私は思っています。
一方で、もし私が神様の語りかけに耳をそらし、彼らを赦さず、日本について伝えることをしてこなかったなら、今頃どうなっていただろうと考えてしまいます。神様はたぶん、私の代わりを立てて、彼らに日本について知らせていたかもしれません。あるいは、そういう人が誰もいなくて、日本宣教はもっと遅れていたか、失敗に終わっていたかもしれません。何はともあれ、私は彼らを赦せたことによって、韓国のクリスチャンたちと一緒に日本宣教の働きの一端を担い、その成果を一緒に喜べたことを感謝しております。
キムさんは、私のアドバイスによってどれだけ日本宣教の助けになったかわからない、とよく言っておりました。また、私の語ったことによって、今後、日本宣教をどう進めていくべきか目が開かれたとも言っておりました。そのアドバイスを一部、紹介します。これは、私自身が記者として心がけていたことが、とっさに出てきた言葉でもあります。

──私は、リバイバルが外国からもたらされるのではなく、日本の教会から起こると考えています。それも日本人のアイデア、新しい試みによってです。大切なのは、その芽を摘まないで育てていくにはどうすればいいか、です。
日本では、失敗がなかなか許されない文化ですが、韓国では何かを始める前に叩かれたり、芽をつみ取られるようなことは、日本よりは少ないように見えます。また、たとい失敗しても「大丈夫(ケンチャナヨ)」と温かく受け止めてくれるでしょう。オンヌリ教会は「出て行きなさい」とお尻を叩いて送り出すけれども、失敗して戻ってきた若者も温かく迎え入れているでしょう? だから、韓国人は、日本人では考えられないような大胆な行動ができるのではないでしょうか?
私が日本CGNTVやラブ・ソナタに期待することは、「一歩、勇気を出して踏み出した日本のクリスチャンたちを支え、守ってあげる」働きです。また、失敗を恐れ消極的になってしまった日本のクリスチャンたちを励まし、「大丈夫、支えてあげるからやってごらん?」と促してあげることだと思います。
日本人は、できるのです。しかし、古いスタイルとの戦いで、始める前に疲れ切ってしまうのです。私たちは、もっと新しいことに挑戦するクリスチャンたちを評価し、応援すべきだと思います。その役目が日本CGNTVであり、ラブ・ソナタではないでしょうか?
私は日本から始まったムーブメントとして、VIP、チア・にっぽん、ゴスペルブーム、世界青年宣教大会「すっと」などを高く評価しています。私の願いは、オンヌリ教会の日本宣教が一連の「外国からきた一時的なムーブメント」に終わってほしくありません。むしろ、オンヌリ教会が日本の教会やクリスチャンに「大丈夫。やってごらん?」と促し、日本から始まった新しいムーブメントを、古い考えをもった人たちの攻撃から守ってあげるという役目を果たしてくれたら、きっと日本の宣教の歴史に輝かしい足跡を残すと思います─

 こういった話を、キムさんとしてきたわけですね。そのようなやりとりを通して私は、彼との友情を深めていき、いつのまにか私たちは「兄貴(ヒョン)」「弟(トンセン)」と呼び合うまでになっていました。「韓国とは金輪際、関わりたくない」と言っていた自分が、今まで以上に韓国と深く関わることになってしまったのです。ちなみに、キムさんは三年間の日本CGNTVでの働きを終え、今、韓国の神学校で宣教学を学んでおり、その学びを終えたら、また日本に戻ってくるそうです。

 さて、オンヌリ教会との関わりを通して感じた、韓国教会による日本宣教のメリットについて、また日韓教会が協力する上での注意点について、少しお分かちしたいと思います。
韓国教会による日本宣教の一番のメリットは、何と言っても言葉のハードルが低いことです。韓国語は日本語と文法が似ており、また発音が似た言葉も多いのです。例えば「教会」は「キョウヘイ」、「感謝」は「カムサ」、「祈祷」は「キド」、「賛美」は「チャンミ」と、本当によく似ています。韓国人にとって日本語は最も習得しやすい言葉です。実際に、日本に来て日本語を学び始めた韓国人の多くは、二年ほどでペラペラです。語学の才能がある人ならば、半年ぐらいで日常会話が話せるようになります。また、韓国人の中に日本語を話せる人が結構いるので、日本人が韓国語を話せなくても韓国人とコミュニケーションが取れます。裏返せば、韓国語は日本人にとっても勉強しやすい言語であるのです。
この言葉のハードルの低さは、大きなメリットです。なぜならば、百五十年前に日本にやってきた欧米の宣教師たちが一番苦労したのが、この難解な日本語をどう習得するか、でした。その点で、日本語をたやすく習得できる韓国人は、欧米の人たちよりも日本人とコミュニケーションがとれ、日本人の心、文化をより深く理解でき、日本の教会とも協力しやすいのではないかと思います。
第二のメリットは地理的に近いということです。日本と韓国は飛行機で三時間ぐらいです。三、四万円ほどで往復できますし、無理すれば日帰りもできます。地理的に近いということは、多くのクリスチャンを宣教のために送りやすいということです。さいたまスーパーアリーナに二万六千人を集めたラブ・ソナタ東京の時はオンヌリ教会から五千人の信徒が日本宣教のためにやってきました。これは欧米の教会ではなかなかできないことでしょう。このように韓国の教会は日本宣教のために働き人を送りやすいのです。
もう一つは、韓国と日本の宣教協力には大きな相乗効果があるということです。韓国教会による日本宣教は、言葉を換えれば、戦争、植民地政策などで被害を受けた国民が、被害を与えた国民に神様の愛を伝えることです。韓国の方々の心の中には、被害者意識が今もあることでしょう。この歴史的な問題は、今まで両国を「近くて遠い国」としてきました。けれども、韓国人はその被害者意識を克服し、憎しみを捨て、相手を赦すことによって、日本人はその韓国の方々の被害者意識、憎しみを理解し受け止め、過去の日本が犯した過ちを心から謝罪することによって、互いが和解し愛し合う時、神様のアガペーの愛が最高の形で現れるのです。
実際に、私がラブ・ソナタに参加した方々の感想でよく耳にした言葉は「何で、憎んでもおかしくない私たち日本人に、ここまでしてくれるのか?」という感謝、感動のひと言でした。ある牧師は「この愛に応えられなかったら、日本の教会の未来は決してありえない」とさえおっしゃっておりました。韓国教会と日本の教会が協力して宣教を行うということは、困難さもありますが、他国の間にはない愛と赦しの相乗効果も生まれるのだということを、私は目の当たりにさせていただきました。
以上の点から、私は韓国教会による日本宣教は、神様のご計画であると確信しております。私自身、神様は日本の福音化のために、先に韓国教会をリバイバルさせ、キリスト教国にしたのではないかとさえ感じます。
しかし半面、交通整理も必要だということをお伝えしなければなりません。それは互いの文化、習慣、考え方、行動様式の違いから来る摩擦です。日本と韓国は、想像以上にいろんな点で違います。どんなに動機が純粋でも、物事の進め方の違いによって、摩擦が起きたり、関係が悪くなったということが、これまでしばしばありました。
例えば、プロジェクトの進め方についてです。ある韓国の方によると、韓国人はあまり先のことを考えたり計算せずに、一歩踏み出すそうです。とりあえず大会の開催地と日時だけ決めてしまい、それに向かって動き回りながら、まるでジグゾーパズルにピースをはめ込むかのように中身を作りあげていくのです。また、その過程で、中身もどんどん変化していきます。
しかし日本では、一歩踏み出す前にかなり計算し、考えなければなりません。最初にプロジェクトの目的、ねらい、キャッチフレーズなどを決め、さらにそれを実現させるために、効果的かつ迅速に進めるにはどうすればよいか、またそのための費用、人材、どこに協力すればいいか、まず紙の上である程度の形をつくってからスタートします。ですから日本では韓国に比べ、その計画プランというものが非常に重要です。それに対し韓国では、計画というものは状況に応じてダイナミックに変わっていくもののようです。
この物事の進め方、計画に対する両国民の意識の違いでよく聞かれる不満は、日本側からは「計画が何の説明もなくコロコロ変わって困る」、韓国側からは「手続きが多く、プロジェクトがなかなか進まなくてじれったい」です。計画を柔軟に変え形がどんどん変わっていく韓国式と、一度決めた計画プランは忠実に守りながら進めていく日本式。この違いについては、日本式、韓国式のどちらがいいか、ということではなく、互いのスタイルを理解し認め合うということが大切だということでしょう。この理解がないと、その過程で「こんなはずじゃなかった」と不満や誤解が生じ、関係が壊れてしまうことになるでしょう。
この物事の進め方、計画に対する意識の違いは、御霊の助けと互いの努力、相互理解によって必ず克服できることだと私は信じております。
さて、日本人である皆様にも提案したいことがあります。それは、ぜひ韓国語を勉強していただき、片言でもいいから韓国の皆様に韓国語で話しかけてほしい、ということです。
私は二〇〇五年に韓国語の勉強を始めましたが、その韓国語がその後、仕事においてどんなに役に立ったかわかりません。実は、私の韓国語は本当に拙いものです。自己紹介と挨拶、簡単な会話ができる程度なのですが、それでも英語を話す時とは全く違った体験をしました。韓国語で話しかけると、まず驚かれます。そして表情が一変し、必ずこう言ってくれるのです。「ハングンマル、チャラシネヨ!(韓国語、お上手ですね!)。オディエソ、コンブハシムニカ?(どこで勉強をされていますか?)」十人中九人はそう言ってくれます。下手くそにもかかわらず、です。そして、一気に心を開いてくださり、親しい友人(チング)になってしまうのです。そうこうするうちに、気がついてみたらこの5年間で、韓国人の方の名詞が二百枚以上にもなっておりました。
ちなみに、一般では日本における韓流ブームの影響もあって、韓国語を学ぶ日本人が増えています。NHKによると、数あるテレビ・ラジオ講座のテキストブックの中で、最も売れているのが「テレビ・ハングル講座」だそうです。英会話ではないのですね。
また、私は日本人が韓国語を学ぶことには、大きな意味があると思っています。それは日本人がかつて、あの朝鮮半島を侵略していた時代に、韓国の方々から韓国語を奪った歴史があるからです。
ですから皆さんにお勧めします。今年は韓国併合百年にあたります。この節目の年に、ぜひ韓国語を始めてみてはいかがでしょうか? 最初は挨拶、自己紹介程度で構いません。今までは主に韓国の方々が日本語でコミュニケーションをとってくれましたが、これからは日本のクリスチャンたちが韓国語で話しかけるのです。そして、ぜひ韓国人とお友達になってあげてください。そうするならば、日韓両国の教会の宣教協力はもっとスムーズに進展していくでしょう。そして、ぜひ日本について教えてあげてください。わたしは、気になったらすぐに韓国の方に言うようにしています。そうすることで、彼らも日本で宣教しやすくなり、日本人に対しても信頼してくれるでしょう。
さて、今回の講演タイトルは「もし二十一世紀に龍馬がいたら」でした。皆さん、もし坂本龍馬が今生きていたとしら、一体、何をすると思いますか? ちなみに龍馬は、犬猿の仲だった薩摩と長州を結びつけて薩長同盟を成し遂げ、明治維新の立役者となりました。私は、もし龍馬が今生きていたとしたら、同じく犬猿の仲だった日本と韓国を結びつけたのではないか、と思うのです。
日本と韓国を結びつけることは、至難の業です。政治の力では、結局、戦後65年経っても二つの国を結びつけることはできませんでした。しかし、神様はすでにその布石を打ってくださっています。その一つがスポーツを通してです。二〇〇二年、日本と韓国がワールドカップを共催することで、両国は一歩、近づきました。次にドラマを通してです。二〇〇四年の「冬ソナ」ブームによって両国がもっと近づくことができました。そして、その次は福音によってです。日韓両国の教会がその違いを超えて宣教協力することによって、さらに関係は密になったのです。
このように、今の時代に必要なのは、日本と韓国を結びつける坂本龍馬のような存在ではないでしょうか? そのキーマンが「韓国語ができ、多少なりとも韓国の文化を体験している日本人」、「日本語ができ、多少なりとも日本文化を体験している韓国人」でしょう。キムさんはじめ日本語ができるオンヌリ教会のスタッフたちは、日韓の互いの文化、行動様式の違いを説明し、調整する潤滑油という重要な役割を果たしてきました。そのお陰で、オンヌリ教会の日本宣教は大きな成果を挙げることができたのではないでしょうか。
私は取材先で、いろんな人からこういう言葉を聞きます。「韓国人の大胆さと日本人の緻密さが一つになった時、神様はきっとすごいことをしてくださる」と。私も同感です。韓国と日本が手を携えて福音宣教をする時、すばらしい相乗効果が起こると私は信じております。ですから、日本と韓国を結びつけるために奔走する、龍馬のような存在が今、絶対必要なのです。私自身はすでに、坂本龍馬になった気分でいます。ぜひ皆さんも、坂本龍馬になった気分で、韓国語と韓国の文化を勉強し、日本人と韓国人の強みを融合して、アジアに、そして全世界に福音を伝えていくという働きに参加されてはいかがでしょうか?
最後に、私の伯父が残した言葉を紹介して終わります。私の伯父はクリスチャンで、NGOの働きを通して生涯アフガニスタンを愛した方でした。その伯父が、こんな言葉を残しております。

 ぜひ、外国の人と友だちになりなさい。そうしたら、あなたはその人だけでなく、その人の国をも愛するようになるでしょう。そして、愛する友がいる国とは、今後一切、戦争しようなどとは思わなくなるでしょう。外国の人と友だちになるということは、まさに平和づくりでもあるのです。

 私は、キムさんはじめ、何人もの韓国の方とお友だちになることができました。そして、韓国を愛するようになりました。これからも、もっともっと多くの韓国人の友だちをつくりたいと願っています。そして、ぜひ皆さんも、どこかの国の人とぜひ友だちになってください。もしかしたら、誰も聞いたことのないような国の人と友だちになるかもしれません。でも、もし友だちになれたら、あなたはその人の国をも愛するようになるでしょう。

  本日は、ご静聴ありがとうございました。


 


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